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真面目系クズ?

初めてそう思ったのは高校生の頃だった。

何がきっかけでその言葉を知ったのかは覚えていないが、きっと自分に嫌気がさしていたのだろう。

愛想が良いくせに仕事は全然できない。

僕は愛想が悪くなった。

僕にとって愛想を良くしている状態は、やる気がある証拠なのだ。

頑張っても出来ないということが分かると、やる気が無くなる。なので愛想も悪くなる。

いつから愛想が悪くなったんだろうか。

まだ正社員の時は愛想が良かった。

辞めてフリーターになってから少し悪くなった。
感情が死んだのか、バカバカしくなったのか…。それでも今振り返ればまだ愛想は良かった。

問題はフリーターすら辞めてからだ。

「何をやっても、どう頑張っても無駄だ」

環境を変えれば、努力をすればどうにかなると思っていた。しかしどこに行っても、どれだけ工夫をしても改善の兆候は見られなかった。

何か怒られる度にIQの数値がチラつく。

「やっぱり、この数値は正しいのかなあ」
「いくら努力しても無駄なのかなあ」

今まで何となく感じてきて、目に見える形でも突きつけられて、それでも騙し騙し、誤魔化し誤魔化しやってきたけれど、やっぱり無理みたいだ。過去の積み重ねが全てを証明してくれている。

数値や診断名だけでも、失敗経験だけでも完全には折れなかったとは思うが、その全てを突き付けられると完全にやる気が無くなる。

特定のコミュニティだけではなく、国家公認の無能なのだから。

まあ、コミュニティを渡り鳥のように転々とし続けても、そのうち学習性無力感に陥るかもしれないが。薄々生まれつきだと気がついていたとしても、まだ決定的なネタバレを食らっていないので、努力で何とかしようとするだろう。

砂漠を歩くのはどこかにオアシスがあると信じているからだ。歩いても歩いても見つからない。
この段階ならオアシスが見つからなくても歩き続けられる。行動意志力はかなり低下しているが、それでも努力でどうにかしようとしている。

ヘトヘトになりながら歩いている時、天から声が聞こえた。神の声だった。神によると「その砂漠にオアシスなど存在しない」とのこと。「あるのは砂漠のみ」。

奇跡的にオアシスがあるかもしれないが、薄々自分自身、無いことは気付いているとして、「歩くだけ体力の無駄だな」と解釈して座り込むのは無理もないと思う。これまでの歩みで「このタイプの砂地には水は発生しにくいぞ…?」というような知識経験があれば神のひと言で簡単に心は折れる。ましてやその神を信仰しているのなら尚更だし、オアシスをそこまで求めていないのならその状況下で歩く方が不思議だ。

僕も内面から発生する無価値感や自己嫌悪感、外側からの度重なる叱責や圧を耐えた先に、なにか大きな報酬があるのなら頑張れるかもしれない。

それが

「普通だから」
「常識的に考えて当たり前」「多数派だから」 

という報酬というより罰回避的なもののためには頑張れない。
目標は常に達成している状態だが、成功体験や意欲には繋がらないものだ。
僕にとって正社員はそういうものだった。ひたすら終わりのない砂漠を後ろからムチで叩かれながら歩く。自分にとってのオアシスなど見えない。ムチで打たれる苦しみより、歩き続ける苦しみの方が大きい。

仮に自分にとってのオアシス…つまり報酬があるとしても、よっぽど大きくないと行動出来ない。というか元々「最低限の生活が出来ればいいや!」というくらいあまり欲がない方なので、オアシスを釣り文句にされてもガソリンにはならない。

なのでもっと言うと僕にとっての砂漠放浪記は、欲しくもないオアシスを周りの刷り込みで価値があるものだと自分自身に言い聞かせ、世間の目というムチで打たれながら常に苦しんで歩いている状態なのだ。
 
こんなの続くわけがない。


結婚?
車?
高級住宅?
子供?
ブランド品?

大して欲しくはありません。

そして、叱責されたり「アイツ辞めてくんねーかな」と影で言われてまで会社に居ようとか、給料が欲しい!とは思いません。能力がないから社会貢献も出来ていないし。

それならまだ世間の目が届かない自宅という安全地帯に引きこもっていた方がマシだしお互いのためだと思う。

報酬への欲望より、不快刺激からの回避願望の方が強い。
そして不快刺激を受ける機会がただでさえ多数派の人より多い。その上で不快刺激を耐えた先に得られる欲望が、多数派のより少ないのならば、レールだろうが常識だろうが問題だろうが、もはや欲望のために行動する理由が無いのだ。この状態で行動する方が生物としておかしいとさえ思う。

損得というのは感情的な問題だ。つまり人によって差がある。同じ事実でも見る人によって報酬と捉えるか、不快刺激と捉えるかのベクトルは違うし、仮にベクトルが一致していても、感じる強さが違う。

ケーキが手に入るとして、ケーキ好きな人からすれば報酬だが、嫌いな人からしたら報酬にはならない。
そして同じ《ケーキが好きな人》でも、その《好き》には度合いがある。

毎日三食食べても飽きないくらいの《好き》の強度もあれば、1週間に1回で十分で、それ以上食べると苦痛になる《好き》の強度もあるだろう。
これに不快刺激のベクトルと強弱も絡んでくるので、人の損得は定義が難しい。というか同じ基準に設定するのは不可能だ。人は皆別々のものさしを持っている上に、能力や環境、経験が違うのだから。

もちろん僕にも感じ方のベクトルと強弱がある。そして能力値もある。

僕の場合ベクトル、ベクトルの強弱を加味した結果、《働くことの方が損である》という思考になった。なので会社を辞めたのだ。

よく「仕事は我慢」というが、これもそうとは限らない。ストレスに感じるポイントもあれど、楽しくてしょうがない人もいるのだ。

同じ仕事に対しても、報酬ととるか不快刺激ととるかのベクトルは人それぞれなのだから。

周りから見れば辛そうだが、本人からしてみれば楽しい…なんて話はよく聞く。ベクトルや強弱のものさしが違うから起こることだ。

「仕事は我慢」というのは、ベクトル方向で表すと不快刺激だが、それはその人にとってのベクトル方向の定義であって、他の人からすると方向は変わることが十分あるのだ。

所有する能力でもベクトルの方向は変わってくる。
 
よくあるのが
「出来ないから嫌いになった」
というもの。

生まれ持った能力値によって好き嫌いのベクトルが変わることがある。
さきほど書いた「出来ないから」というのは、周囲のネガティブな反応をも誘発させる。嘲笑、叱責、揶揄など。

能力があれば自分にとって報酬になっていたであろうものも、不快刺激になり、回避しようとする。

例えば《勉強》。勉強が生まれ持った高い能力によって難なくこなす事ができれば、当人にとってはこなせた体験自体が報酬になる。そうすると勉強が好きになり、勉強をこなすほど報酬ベクトルの強度も上がっていく。
逆に生まれ持った学習障害などの低い能力によって、いくら時間をかけてもこなす事が不可能な場合、勉強という概念自体が不快刺激になるだろう。

人によってベクトルが違うのは、人によって能力が違うという事実もあるからだ。

僕はこの要領で、仕事や会社というものに対して不快刺激のベクトルを抱いている。

元々はニュートラルであったのに、経験によってベクトルが切り替わっていく。不快刺激の経験が多かったので、いつしか仕事や会社というものに対する印象は不快刺激ベクトルになっていき、今では固定化されている。そのベクトルを受け続けるため、強度が段々と上がっていった。

能力に恵まれていれば、ベクトルはまた変わっていたと思う。それとも僕の場合は生まれつき、仕事に対しては不快刺激向きだったのだろうか。

会社というもののベクトル基準は強弱こそあれど方向性は同じだ。
《生産性》《利益を出す》
これが会社という規範組織にとっての得であり、都合のいい要素であり、快であり、報酬であり、好きという感情である。

つまりこの逆の性質が、会社にとっての損であり、不快刺激であり、都合が悪い要素であり、罰であり、嫌いという感情なのである。

要は《数字を出せ》というもの。これが絶対であり共通の基準でありルールだ。

強弱があるため、肩を叩かれるタイミングは会社によるのだろうが、わかりやすい上に共通しているベクトル基準があるため客観的に判断しやすい。
客観的に判断した結果、僕は会社にとっての不快刺激になっていることが分かった。

社員の態度は会社という規範の態度だ。つまり社員は会社の化身。

「使えねー」
「もしかして障害者?」
「なんでできないの?」
「来なくていい」
「信用できない」

これは社員の言葉であるが、もっと言うと会社の言葉である。

これで会社から出されるものは《給料》で、僕にとっても報酬ベクトルにはなるが、強度が足りない。

人は給料が報酬になるというより、給料で引き換えられる物が報酬になるのだ。

車、酒、安全な生活、ブランド物などだ。

僕には引き換えたい物が少ない。これが強度の不足だ。
あまり労働への意欲が湧かなくなる。
生まれつき給料で引き換えられる物への報酬ベクトル強度が少ないのかもしれない。時間が経てば給料で引き換えられる物への報酬強度が上がる訳ではない。

そして《不快刺激》。叱責や不平等な扱い、疎外感、陰口などだ。継続されることで自己否定感や無力感が蓄積され、不快刺激ベクトルが強度を増す。大きなストレートを貰うと言うより、ジャブを延々とくらい続けるようなものだ。原因は自分の能力値だが、会社や仕事に対して不快刺激の印象を受けるのは変わらない。むしろ自分が原因なので、環境を変えてベクトルを修正することも困難だと学習する。

報酬ベクトルは一向に強化されないのに、不快刺激ベクトルは強化の一途を辿る
環境を変えてベクトル修正を図っても不快刺激指数が変わらないので不快刺激強度が強化される。

その他の不快刺激ベクトル強化イベント

知的障害認定

仕事や会社での不快刺激ベクトルとの相乗効果が起こり、非常に強固な不快刺激強度になる。

周囲は丁重に扱われている

知的障害認定の不快刺激ベクトルと相乗効果を起こし、会社や仕事に対して非常に強い不快刺激を抱くようになる。


同じ給料、同じ作業でも不快刺激と報酬への強度が周囲と悪い意味でズレすぎている。

「仕事は我慢」

というが、周囲の不快刺激強度と、自分の不快刺激強度は全く違うものだと感じてしまう。
そして周囲の人間と触れ合うことが不快刺激ベクトルになっていくこともあるだろう。

能力があればベクトルも変わっていたハズだ。

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