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若くして亡くなったアイドル達

昭和…平成…令和────

いつの時代でも早死してしまう人はいる。
それが事故だろうが事件だろうがだ。

売れっ子芸能人になる確率は非常に低い。

人間は常にどこかしらのタイミングでルーレットを回しているようだ。そして一定確率かつ色々な形で不運くじを引く。

幸運と不運は紙一重だ。芸能人になるのは少数派の幸運だ。目指してもほとんどの人がなれない。

自殺という選択肢をとるほど追い詰められる人生は不幸だが稀だ。
自殺を選ぶ確率は芸能人になれるより高い。だが少数派ではある。毎年平均2万ほどいる。60年間ほどで、1億人の中からその2万人に選ばれるかどうか。
2万人×60年
生涯、1億2000万中120万の確率で自殺してしまう可能性がある。

しかし全体の人生を見た時に、自殺で終わるのはやはり少数派だ。

そんな希少な幸運と不運を引き当てた珍しいアイドルがいる。

岡田有希子

19歳没

 小学生の頃から表現力は群を抜いており、学芸会でも岡田有希子目当てで校長が見に来るほどだった。
担任や家族は反対したが、本人の意思は強く、親から出された学内トップなどの勉学条件を次々クリアする。
この抜きん出た幸運も少数派だろう。岡田有希子より頭が良い人間がいなかったという幸運だ。しかし人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、芸能界入りしたゆえに死んでしまったのだから、不幸な結果なのかもしれない。

オリコン1位を獲得や新人賞を総ナメという快進撃が続いたが、密着取材の最中で体調不良になる。それでも点滴を打ちながら仕事を続行。休む暇も無かったのだと思う。
ドラマやツアーといった多忙を極めた生活が続いた。

1986年4月8日 事務所から飛び降り自殺をする。

18歳だった。

事務所によると原因は不明だが、生前から感情の起伏が激しかったとのこと。 

表現力の悪い面が惨劇に繋がったのだろう。遺書も見つかり、おそらく失恋のショックもあったと予測できた。


堀江しのぶ

23歳没

クラリオンガールコンテストでアイドル賞を受賞。
黒澤プロモーション(後のイエローキャブ)に所属し、歌手デビューもした。

明るいキャラクターと健康的なプロポーションで人気を博した。
巨乳ブームの先駆けでもあった。 

体調不良を訴え病院に行ったが、そこで末期のスキルス性胃癌が発覚。手の施しようがなかったため、病院側も家族も事務所も、本人には偽りの病名を告げていた。

堀江氏最期の言葉は「私、仕事がしたい…」だったそうだ。


本田美奈子

38歳没

高校2年に長崎歌謡祭でグランプリを受賞し、《殺意のバカンス》で歌手デビュー。
演劇でも結果を出すが、2000年を過ぎた頃から風邪に似た症状が出て病院に行ったところ急性骨髄性白血病という難病になり、治療が不可能だった。

急性の白血病は治すのが難しいとのことだ。


志賀真理子

19歳没

子役として活動していた。

歌手としてのデビュー曲は《夢の中の輪舞ーロンドー》
であり、この曲はOVA《魔法のプリンセス ミンキーモモ》に使われた。

その後は《魔法アイドルパステルユーミ》の主人公ユーミの声優兼、《フリージアの少年》という主題歌を歌う快挙を成し遂げ、この《フリージアの少年》は週間オリコン48位を記録した。

ませたアイドルが多い当時の基準から見ても、志賀氏は声が太いようで、よく怒られていた。

大学進学と同時に、学業を優先するため芸能活動を引退。
かねてより好きだったジャズと語学を学ぶため、アメリカのカリフォルニア大学へ留学する。

成人を迎える誕生日1ヶ月前に、友人と車で小旅行へ行った際、車道に動物が飛び出し、避けようと急ハンドルを切ったため、志賀氏は車外に投げ出される形になった。

全身打撲で即死であった。



大変無念であろうが、人それぞれの人生がある。

運命の悪戯からはどうしても避けられない。

今生きていられる若いアイドルも、運が良かっただけだ。

ここに中森明菜や渡辺麻友も含まれていた可能性がある。

参考動画


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