ニーチェの教え

誰しも人生の意味を考えることがあるだろう。
しかし答えは出ない。
まわりの人の生涯を見ても、よく分からない理由で突然死んだりしている。
それらを見ていると、生きている意味など大して感じないように思えるだろう。

「幸せになるため!」
というような宗教的教えも、現実の悲惨なニュースを見ると信じにくい。
「夢を叶えるため」
という目標を持った生き方も主観的であり、ずっと同じ目標を抱ける人間はいないだろう。また、野球選手になる夢を皆が持っていたとしても、ほとんどがその夢を叶えられないで人生を終えていく。
「子供を作って少子化対策」というのも、政治的な利益だ。


神は死んだ!

科学が発達することで、宗教が信じられなくなり、人々は生きる意味を失った。
宗教が無いと生きる意味を失うことになる。
レールが無くなったことで絶対的な価値観は崩壊した。

現在日本人は《常識》という宗教レールを信じているようだ。大学まで通い、正社員で終身雇用といったものだろう。
神が信じられていた時代、ほとんどの人は宗教の教えを元に、人生の意味を見出していたが、それが社会常識に置き換わっただけだ。
天国は信じられなくなったが、それまでの生き方は信じられている。正しさがあるのだ。
神であろうが常識であろうが、それらの価値観はみな人が作るものだ。そして壊すのも人なのだ。

ルサンチマン

人は皆《ルサンチマン》という負の感情を持っている。
憎悪や嫉妬などだ。

弱者は強者に対して抱くことが多い。
貧困者が富裕層に対して抱くことが多い。
相対的に悪い人間を作ることで、弱い立場の自分を正当化するのだ。
それが道徳をつくる。
道徳とは、正しさと悪さを定義していることだ。

代表例は「収入自慢は卑しい」とされること。
これは弱者のルサンチマンが作り上げた常識だ。
この考えが元で宗教が作られた。
太古の価値観は《弱いことは悪》であった。スパルタなどがいい例だろう。弱ければ死ぬだけの時代だからだ。
しかし宗教は、《強さだけでは悪》とした。要は弱さを正当化する価値観が誕生したのだ。
神という新しい価値観像を作ることで、純粋な力の強弱から脱却したのだ。
そして弱さを正当化する価値観というのは、《金を稼ぐことは卑しい》といった価値観だ。この価値観はユダヤ人を迫害する理由にもなった 。

新約聖書には《貧しき者は幸いである。天国は彼らのためにある》という内容のものが書かれているのだ。
この価値観が現代の「金を自慢することは下品!」という価値観に繋がるのだ。

《人の不幸は蜜の味》を小綺麗にした思想が宗教や道徳なのだ。
願望と嫉妬をごちゃ混ぜにしている状態が常識や道徳でもある。

宗教は今も常識や道徳といった形で人間の生活に溶け込んでいる。そして我々は無意識にそれらの思想を刷り込まれている。
それは終身雇用や学歴以外の場所にも沢山ある。
「悪いことは自分に返ってくる」
「人に優しくするといいことがある」
このように無意識に刷り込まれているのだ。当たり前にこそ偏見や信仰がある。

強者だけではなく、道徳や常識を破った人間自体に対して、このルサンチマンは向けられるのだ。

ニーチェはそんな意味の無い価値観たちに縛られ、生きづらさを感じ、やりたいこともできないような人生になっているならば、そのような価値観は捨てるべきだと説いた。
だからといって人の迷惑も考えずに好き勝手をすると拘束されたり出入り禁止になるので損だが。

そして話は宗教に戻るが、そんな宗教は段々と形を変え、教える側は信者から金を巻き上げて、結局社会的な強者になったのだ。その結果、人は徐々に信仰心や忠誠心を失っていった。
そこに科学という価値観が加わり、宗教という価値観は更に説得力を失った。

ニーチェから言わせると宗教は弱者を正当化するぬるま湯であり、元である弱者そのものが正しくないものなのだ。
優しさや同情も結局は弱者を正当化しようとする感情なので、ニーチェから言わせるとルサンチマンと同じ良くないものなのだ。
現代で言うところの24時間テレビやパラリンピックがそれにあたるかもしれない。
宗教にも《人に優しくすると徳を積める》というような教えはあるだろう。
《弱きを助け強きをくじく》という価値観も総じてルサンチマンと同じ原理なので悪という見方もできる。

ニーチェはこれら弱者を正当化する思想が蔓延ると、人々はどんどんとぬるま湯に浸かり、さらなる弱体化を生む。
正当化できれば変わろうとする意思も生まない。傷の舐め合いしかならない。
しかしこの思想は弱者同士で足を引っ張り合う思想にもなる。
出る杭は打たれるということだ。

ニーチェは弱者は弱者性を持つことを言い訳で正当化している時点で正しくない、とした。弱者は強者である意思を持たねばならないともニーチェは言った。

ニヒリズム

生きる意味を見失い《人生は死ぬまでの暇つぶし》と考える人が大勢出てくるとニーチェは考えた。
それらを虚無主義ニヒリズムという。
ニヒリズムは人の心を蝕み、生きる喜びすら無くしていくのだとニーチェは説いた。

しかしルサンチマンは無くならなかった。人間の醜い感情は無くならないのだ。
その結果、「頑張って強者になっても弱者から足を引っ張られるから無駄だ」という無力感に苛まれ、人は努力することをやめ、人生に絶望する。

宗教は自殺を悪とする価値観を持っていることが多い。
しかし現代日本において宗教は根ざしていないので、一向に自殺者は止まらない。
これはニヒリズムによるのもだろう。

超人

弱者のぬるま湯から上がり、強者になろうとした者は、周りに蔓延る価値観を捨て、オリジナルの価値観を持たなければならず、他人からの圧を感じながら孤独に頑張る必要がある。
周りと同じという安心感も捨てなければならないのだ。

今この瞬間を肯定することで全て解決できる。
ニヒリズムに陥る人は、過去の後悔や未来への不安でそうなっている。
いざという時に役に立つのは自分の価値観だ。
世間の常識や自分の状況などは考えず、「自分が今していることは正しい」と、一瞬一瞬を肯定するだけでいい。そうすれば人生の意味ができる。生きている意味は植え付けられるものでもない。また、見つけるものではなく、自分で作るものなのだ。

周りの人間も何かしら《正しさ》を持っているため、噛み合わないことが必ずある。しかし周りから変人と思われても、無意味だとバカにされても、世界中から非難されても、自分はその行為を肯定しそれを貫くことが重要だとニーチェは言う。そうすると人生は華やかになり、ニヒリズムからは解放される。

周りの人の価値観に左右されない人間のことを《超人》とニーチェは呼んだ。

この超人になるためには3段階のステージがある。
まずはラクダのステージで、ひたすら耐え忍ぶステージだ。自信もなく、周りを気にしている精神状態。
そして次はライオンのステージ。この段階で自信がつき、自分の価値観を貫けるようになる。自立した精神になる。
最終段階は幼子のステージ。
子供のように無垢になり、夢中になり、没頭できるようになる。自由気ままに遊ぶ段階だ。子供は人生の意味など考えないだろう。

結局人生に意味は無いが、意味は無いとした上で自分はどう生きるかを、自分なりの正しさでかつ自分の足で歩いていく必要がある。そうすれば後悔しない人生になる。

オマケ

自分には羨ましい人がいる。
その人は40歳くらいなのだが、無職なのだ。
世間から見れば紛れもないクズ野郎だろう。
しかしその人はやりたいことをやっていてイキイキしている。
嫌な顔をしながら街を歩いているサラリーマンより幸せそうに映った。
事実僕もそんな世間体に縛られない生き方ができれば毎日楽しい。彼は間違いなくニーチェが言うところの超人だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?