正しい努力
「努力の方向性がまちがっている」
こーゆー言葉を聞くこと、よくあるよね〜。
現実にありそうな例として、2つ。
まず飲食店を開こうとして修行していた子がいますと。
何年もかけて肉も魚も捌けるようになりましたと。
やっとの思いで自分の店を開けました。
あるとき急激にウイルスが流行り、飲食店の営業が制限されましたと。
外出自粛も促されたこともあり、稼ぎになりませんと。
結果店は潰れて、路頭に迷うことになりました。
これまで料理のことしかやってこなかったので、料理しかできない。だけど飲食の求人はありませんでしたと。
これって自己責任なんかな。
努力の方向性ミスっちゃったのかな。
コロナとかって予想出来たか?
さっぽろ雪まつりで出て、なんかヤベーなとは思ったが、中国での確認から日本国内で広がるまで半年もかからなかったぞ。
人生を長い目で設計した時に間違いなく予想外になる要素だ。
だけど技術向上や大成を目指すためには長期目標は必要だろう。
そして2つめの努力。
絵師を目指している子がいましたと。
で、何年もかけてバガボンド並の作画力を手に入れましたと。その頃からAIが台頭して、バガボンド並の絵が一瞬でAIが描くようになりましたと。その結果、人間がいらなくなりましたと。
これは努力の方向が間違っていたんですかね?
AIなんてここ数年。なんなら2023年に入ってから急激にpixivで繁殖したよね。
これを「時代の流れを見抜けなかった本人の責任」や「努力の方向をAIプロンプトに向ければよかっただけ」という論調に収めるのはあまりに酷じゃないかい?
世の中っていうのは複雑過ぎて何がどうなるかは分からない。一年後も予想通りにならない。
まあ自分以外の人生やった事ないからそんなこと言えるんだよな。
努力の方向性が分かる&ひたすら努力をする
これだけで大成すればある意味楽なんだよ。
道筋がしっかりしているから。
だけど現実的にそもそもじゃあ正しい努力ってなんなの?結果論じゃないの?
となる。
それが正しいかどうかなんて誰にも分からない。
未来のことなんて基本そうだろう。
たしかに不正解はある。
「勉強の成績を上げたいからひたすら神頼みする」とか。
「いつかメイウェザーを倒すためにひたすらイメトレする」とか。
なにかしているように見えて少なくともその分野においては何もしていないというなら明らかに不正解だが、なら正解は?正しい努力とは?となると途端に分からなくなる。
前に進まなければならないが、目の前には荒野が広がっているのだ。
「勉強すれば確かにテストの成績は上がる」
だけど大成するかは分からない。
「メイウェザーを倒すためにひたすらメイウェザーと同じ内容の練習を同じ量こなす」
それでもメイウェザーに勝てるかは分からない。
誰がやるか、どこでやるか、いつやるか……という正解不正解ですら語れない要素が常についてまわる。
運というやつだ。
これは方向性とかいう薄っぺらい言葉では語れない。
運に方向性とかねえし。
目に見えないし数値化できないから、引き寄せられるわけでもない。
どうにもできないから運だし、方向が無いくらいモヤモヤしている概念だから運なんだ。
正しい努力なんて、運のひと吹きで一瞬にして吹っ飛ぶ。
自分の住んでる地域で災害が起きたら……
不治の病に罹患してしまったら……
技術の革新で、自分のスキルがスキルとして見なされなくなったら……
これらを努力でどうにかできるというの?
努力なんて幻想だよ。
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