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係助詞、接続助詞の「ぞ・なむ・や・か・やは・かは・こそ ・ば・とも・ど・ども」を扱います。短歌を中心に用例を提示します。古文単語 その52★とんだ嫁 わが子もうめば 孫もうみ★今さらに 雲の下帯 ひきしめて 月の障りの そらごとぞ 憂き★はへば立て 立てば走れと 親ごころ★いろみえて うつろふものは 世の中の 人の心の 笄にぞありける笄(こうがい・女性の髪飾り)

係助詞、接続助詞の「ぞ・なむ・や・か・やは・かは・こそ ・ば・とも・ど・ども」を扱います。短歌を中心に用例を提示します。古文単語 その52

★とんだ嫁 わが子もうめば 孫もうみ

★今さらに 雲の下帯 ひきしめて 月の障りの そらごとぞ 憂き

★はへば立て 立てば走れと 親ごころ

★いろみえて うつろふものは 世の中の 人の心の 笄にぞありける
笄(こうがい・女性の髪飾り)




★今さらに 雲の下帯 ひきしめて 月の障りの そらごとぞ 憂き

今さらに(さあ会えるという、この時になって)ひきしめて(解くどころか固く引き締めて)そらごとぞ(うそをついて拒むのが)うき(憂し・形容詞・連体形・つらい)

○ 奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき 

 
       古今集二一五 

ぞ(係助詞)その事柄を取り立てて強調する。結びは連体形。終助詞であったが、強調のため倒置されて係助詞となったという説がある。

この歌の作者の「猿丸」は素性がはっきりせず、謎の人物とされています。もとは詠み人知らずに分類されていました。
奥山に(奥の深い山・みやま・深山→端山・はやま・外山・とやま・人里近い低い山・に格助詞)
もみぢ踏みわけ(もみぢ・紅葉した葉・下二段踏みわく連用形・踏んで分け入る)
鳴く鹿の声(冷たい秋の空気を震わせて牝鹿を求めて雄鹿が鳴く声・その声に私も人恋しい思いに誘われる)
秋は悲しき(形容詞悲し連体形・ぞの結び・秋は一般的に寂しさ、悲しさを感じる季節であるが、とりわけ妻をしたって鳴く鹿の声に季節の悲しみを感じる。)
かなし(愛し→しみじみとかわいい。いとしい。悲し→切なく哀しい。かわいそうだ。)
モミヂというとカエデの別名になっていますが、「もみづ 木々ノ葉ガ変色スル という動詞から出来た言葉です。

○ たもとより 離れてたまを つつまめや これなむそれと うつせみむかし

          古今集 四二五  

なむ(係助詞)「ぞ」に比べ語調は柔らかい。主として会話文・散文に用いられ、和歌には用いられなかったようだ。結びは連体形。

これなむ それ なる(これがそれである・断定なりが省略されている)袂・たもと(手もと)離れ・放れ たま(宝玉・白玉・魂)つつむ(包み盗る・包み隠す・やわらかくうけとめる)移せ・みむ(見る・上一段・未然形・む・推量意志)かし(終助詞・確認)

袖以外のもので玉を包めるだろうか。『これがそれです』といって、玉をわたしの袖に移してください。わたしもよく見ますから」

○ 難波江の 葦のかりねの 一夜ゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき

        千載集八〇六 

や(係助詞)問いかけ・疑問・反語などをあらわす。結びは連体形

宮中での歌合わせ(紅白歌合戦のようなコンクール)で作られた作品のようです。崇徳天皇の后に仕える女性でした。
難波江(大阪湾の入り江、浅瀬が続いて干潟になっており、葦が多く生えていたらしい。アシの茂った荒れ果てた寂しい風景ということだろう。)
葦の仮寝の一夜ゆゑ(葦は二メートルから三メートルの高さになる。秋に小さな紫の花が咲く。茎に節がある。節と節の間のような短い一夜の経験のために・旅の途中で出会った女性とつかの間の恋に落ちる・ひとよ・一節・一夜・かりね・刈根・仮寝)
みをつくしてや(難波の入り江に多く立てられている水脈つ串であり、船の水路を示す案内板、目印となる杭を表す・身を尽くす・身を全てなくす、たった一晩の出会いのために、貴方のために我が身を尽くして・接続助詞てプラス係助詞や疑問)
恋ひわたるべき(四段恋ふプラスわたる→ずっと恋しく思い続ける・推量べし連体形・やの結び・これから一生貴方を思い続けなければならないのでしょうか。)

○ みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ 

      新古今集九六 か(係助詞)
紫式部のひいおじいちゃんが作者です。賀茂川の堤(つつみ)に屋敷を建てて住んでおり堤中納言と呼ばれました。経済的に困った人を援助していたと言われ、その優しい人柄にひかれ、古今集の凡河内躬恒や紀貫之などがよく訪問していたようです。
みかの原(京都府の相楽郡加茂町のあたり・歌枕になっており、かつて聖武天皇が恭仁京を作った土地で多くの天皇が離宮を作り住んでいます。)
いづみ川(奈良と京都を流れる木津川の昔の呼び名)
わきて流るる(四段涌く連用形プラス接続助詞てプラス下二段流る連体形・清らかな水が泉のようにわき出して、みかの原を流れているいづみ川、そのイヅミという言葉の響きのように・弘法大師が杖で地面を突いたら水が湧き出したという伝説が残っています。わきては、みかの原をわけるように川が流れていることも意味しています)
いつ見きとてか(上一段見る連用形プラス過去き終止形プラスとて(ト言ッテ)係助詞か疑問・いったいあの人を何時見たというので)
恋しかるらむ(形容詞恋し連体形プラス現在推量らむ連体形・かの結び・らむは終止形接続、ラ変型には連体形・今こんなに恋しいのだろうか)

○ 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする  

    
 後拾遺集七〇九  

やは(反語)助詞「や」に詠嘆の助詞「は」が結び付いたもの。連体形で結ぶ。反語をあらわす。「~か、いや~ない」

作者の藤原賢子は紫式部の娘です。母の紫式部は、この娘のために紫式部日記を書いたと言われています。
有馬山(神戸市の温泉のあるところ)
猪名(尼崎市の猪名川沿いあたり)
笹原風吹けば(四段吹く已然形プラスば・笹原に風が吹くと、ソヨソヨと音を立てる、そのソヨのようにそうですよ)
いでそよ(感動詞いで・サア、オヤマア・代名詞そ・ソレ・よ終助詞・さあ、それですよ)
人を忘れやはする(人・愛人、いとしいあなた・下二段忘る連用形プラス反語やは・サ変す連体形・忘れるのは貴方の方であって、私は忘れることがあろうか、いやない)

★むつごとの 話はつもる 雪の肌 踏み込む足の 抜けるものかは

○ 嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る 

        拾遺集九一二 

かは(反語)かは 疑問の助詞「か」に詠嘆の助詞「は」が付いたもの。詠嘆を伴う疑問・反語の意をあらわす。連体形で結ぶ。

蜻蛉日記の作者の作品です。一夫多妻の時代、実力者の藤原兼家の妻としての嫉妬や苦悩が書かれた日本初の女性日記です。
なげきつつ(四段嘆く連用形プラス接続助詞つつ継続・あなたが来てくれないことを嘆き嘆きして)
一人ぬる夜の(下二段寝(ぬ)連体形・ひとりで寝る夜の・一語の動詞・得経寝・うふぬ)
明くる間は(下二段明く連体形・夜が明けるまでの時間が)
いかに久しきものとかは知る(形容動詞いかなり連用形・形容詞久し連体形・かは反語・四段知る連体形・かの結び・どのように長いものかということを貴方は知っているのか、いや知らないだろう)

○ 我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし  

      千載集七五九 

こそ(係助詞)その事柄を取り立てて強調する。已然形で結ぶ。

二女天皇の女官として仕えていた作者は讃岐と呼ばれていましたが、この歌が当時絶賛され「沖の石の讃岐」と呼ばれるほどだったようです。父も歌が上手で二人そろって歌合わせにも出ていたようです。
我が袖は(私の袖は→かわく間もなし)
潮干に見えぬ沖の石の(潮干に しほひに・潮がひく時に・磯の石は引き潮の時は人目に見られるものであるが・下二段見ゆ未然形プラス打ち消し「ず」連体形・沖の石は水中に没していて、いつも見られないし、濡れている・の(のように)・その沖の石のように)
人こそ知らね(人→短歌では愛人・四段知る未然形プラス打ち消し「ず」已然形・こその結び・こそ已然形で文が終わらず下に続くとき→逆接に訳す・あの人は知らないけれども)
かわく間もなし(あの人を思う涙を流し続けているので、袖が乾く間もない)

★馴染の女のために百人一首を散らしたる小袖を急ぎ仕立て、見しところ、ちゃうどお尻のところに「花ぞ昔の香に匂ひける」また上前の帯の下に「人こそ知らね、かわく間もなし」

★命こそ 鵝毛に似たれ なんのその  いざ河豚食ひに 雪のふるまひ

(雪の降る日に友人から河豚を食べにおいでとの誘いがあった)

鵝毛(がまう)→ガチョウの毛のように極めて軽いもの
似たれ→似(にる・上一段・連用形)たれ(たり・完了存続・已然形)似ておりはかないものだけれど
なんのその→気にしない、どうにも思わない
雪のふるまい→往く・ゆく・さあゆこう・雪の降る中を・友人が河豚を振る舞ってくれるというので

○夏山に  なくほととぎす 心あらば もの思ふ我に 声な聞かせそ  

      古今集一四五 

ば(仮定)未然形に接続し、順接の仮定条件を示す。「(もし)~ならば」

北原白秋の「春の鳥な鳴きそ鳴きそ あかあかと外の面の草に日の入る夕べ」という歌をご存じですか。「夏山に」は、詠み人しらずの歌です。ホトトギスの声がものを思わせ悲哀感を起こすというイメージのルーツかと思います。
夏山に  なくほととぎす(山がもともとホトトギスがいる場所であり、五月になるとまず山の中で声を上げ、次第に里に下りてきて夏が終わると再び山に帰ると言われている。人を切なくさせる哀しい声とされていた。夏の山で鳴くほととぎすよ)
心あらば(ラ変あり未然形プラスば・もし思いやりの心があるならば・仮定)
物思ふ我に(恋の物思いに苦しんでいる私に)
な聞かせそ(な~そ→どうか~しないでくれ・禁止を示し、連用形・カ変・サ変の未然形に接続する。四段聞く未然形プラス使役す連用形)

★もの思へば 川の花火も 我が身より ぽんと出でたる たまやとぞ見る

思へば→思へ(おもふ・四段・已然形)已然形プラスば(恋について悩み、あれこれ考えていると)
出でたる→いで(いづ・下二段・連用形)たる(たり・完了存続・連体形)花火の玉までも私の身体から抜け出た
(和泉式部の もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る を踏まえての作品)

★ ことに肥え太らせられ、御尻は立ち臼のごとく、それに準じて御玉門の広さ、洞穴に等しければ、いづかたへも御縁談かなはず。

○ 大江山 生野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立  

     
金葉集五八六 

ば(確定ので・すると)已然形に接続し、既定条件、あるいは原因・理由を示す。「すでに~だから」「~ので」

才能溢れる美女、恋多き女性として有名だった和泉式部の娘の作品です。中宮彰子に仕えた娘はアイドル的存在だったようです。お母さんに歌を代作してもらっているのではと言う陰口に対しての返答がこの歌です。
大江山(京都市右京区の山・を越えていく)
いく野(京都府福知山市の地名・を通っていく・幾つもの野・多くの野という意味もある)
の(主格・格助詞・~が)
遠ければ(形容詞遠し已然形プラスば)
まだふみも見ず(ふみ・文(手紙)・踏み(その土地を踏むこと))見ず(上一段見る未然形プラス打ち消し「ず」終止形・母(和泉式部)が滞在している丹後の国に行くのには大江山を越えていき、行くのを通っていく、その道のりが遠いので、行ったこともないし、母からの手紙も見ていない)
あまのはしだて(京都府宮津市・日本三景のひとつ)

★はへば立て 立てば走れと 親ごころ

はへば(這うようになると・已然形プラスば)たてば(たつようになると・已然形プラスば)

○ さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする  

 
    古今集一三九  

ば(恒時~といつでも)已然形に接続し、事件の継起の先後関係を示す。「~すると」「~していると」

伊勢物語では別れた妻と再会した時の歌として取り上げられています。白い清楚な花からの香りが昔の恋人の面影をよみがえらせる、そんな歌です。
さつき待つ(五月を盛りとして咲くこうじ蜜柑の白い花が、五月に先立って咲いたのだろう。)
花橘(たちばなの花・こうじミカンの花)
香をかげば(四段かぐ已然形プラスば・いつもミカンの花のにおいを嗅ぐと)
昔の人の(以前、交際していた恋人の)
袖の香ぞする(袖の香・自分で調合して好きな匂いを貴族は作りだし、それを衣服にたきしめた。ミカンのさわやかな花の匂いが特定の恋人と結びついたと思われる・ぞ(係助詞)・サ変す連体形・ぞの結び)

★今さらに 夢になれとも かこたれず もと寝言より もれし浮名は

今さらに→今となっては
になれ→「に・く・ず」の下の「なれ、なり」は動詞の為る。夢になれ、夢であってほしい
とも→この場合「接続助詞ではなく」夢になれと言ってという意味だから「引用」の「と」
かこたれず→かこた(かこつ・四段・未然形)れ(る・受身尊敬可能自発・未然形)ず(打消・連用形)愚痴をこぼさずに
もれし→もれ(漏る・下二段・連用形)し(き・過去・連体形)もともと寝言でうっかり漏らしてしまった
浮名→男女間のうわさ

○ 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ 

     
後拾遺集九四〇  

とも(接続助詞タトエ~テモ)終止形に付いて、逆接の仮定条件を示す。「たとえ~しても」

作者の清少納言は中国の文学に詳しかったと言います。百人一首に清少納言だけ正面からの顔が描かれていません。
夜をこめて(下二段こむ連用形・包み隠す・まだ夜だということを隠して・番人をだまして)
鳥のそらねは はかるとも(鳥のそら音・鳥のうその音・ニワトリの鳴きまね・四段はかる・だます・終止形プラスとも・史記の孟嘗君が家来の鳴きまねのうまい男を使って関所の番人をだまして朝だと思わせ、関所を開かせた故事の内容を踏まえている。あなたは今朝、夜がまだ明けないうちに私の所から帰ってしまった。まだ夜明けまで間があるのに鳥の鳴きまねで私をだまそうとしても)
よに~じ(決して~ないだろう・打ち消し推量じ終止形)
あふさかのせき(相坂・合坂などとも書く。山城・近江国境の峠道。この関所を越えれば東国であった。実際にあった関所であるが、男女が逢えぬ嘆きをあらわす恋の歌に詠まれた。
「坂」・「山」・「関」は人を阻む。思う相手に心のままに「あふ」ことができないものの象徴として、この関所は使われているのである。)夜明けまで一緒にいないで帰ってしまった男が「昨日はニワトリの声に驚いてあわてて帰り失礼しました」と言ってきた。そこで「有名な函谷関のことですか」と清少納言が質問したところ「いや私は逢坂の関所を開かせたいのです。清少納言にもう一度お会いしたいものです」と答えを返してきたので「逢坂の関所の番人はだまされて開くことなどはしませんよ。私はあなたに会いたくありません。」とこの歌を作ったらしい。

★涼風に 汗はかわけど 池のはた かわくひまなき いもが二布

「ど」已然形に接続し、逆接の既定条件を示す。「~けれど」「~けれども」「~であっても」

★ 髪切れど 鏡に切れぬ 顔のつや


髪切れど(未亡人は夫の後世を弔うために、再婚の意志のないことを示すために髪を切る・髪は切ったけれども) 鏡に切れぬ 顔のつや(鏡に映る自分の顔には新しい恋を期待しているような艶、色香が残っている)

○ 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にあらねど  

     古今集一九三 

ど(接続助詞・逆接)

作者は大江家という学者揃いの家系に生まれました。漢学者として有名になりますが和歌の腕も相当なものだったようです。
月見れば(上一段見る已然形プラスば・月を見るといつでも)
ちぢに(形容動詞・千千なり・いろいろだ、さまざまだ・連用形)
ものこそかなしけれ(形容詞悲し已然形・こその結び・もの~(何となく)・さまざまに心が乱れてもの悲しい思いがする・漢詩の世界では秋はもの悲しい季節であるというのが定番である。そのもの悲しさが秋の月のイメージと重なり合うように悲哀感を増幅させている。
我が身一つの秋(私一人の秋ではないけれど、私一人だけに物思いをさせるようだ。)
にはあらねど(断定なり連用形プラス係助詞はプラスラ変あり未然形プラス打ち消しの助動詞ず已然形プラスど・ではないけれど)
この内容は白楽天の詩句「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長 この漢詩は夫を亡くし十年間一人暮らしをしている女性の寂しさを表現しています。」をアレンジしたものと思われる。

○ 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 

     古今集一六九 

ども(接続助詞~けれども)

立秋の日から風の強さがまさるという当時の常識を前提として、季節の推移への気づきを詠んだ歌です。
来ぬと(きぬ・カ変来(く)連用形プラス完了ぬ終止形・こぬ秋・カ変来(く)未然形プラス打ち消し「ず」連体形プラス秋と混同しないこと)
さやかに(形容動詞さやかなり連用形・視覚的には秋が来ていることをはっきりとはわからない)
見えねども(下二段見ゆ未然形プラス打ち消し「ず」已然形プラスども・わからないけれども)
風の音にぞ驚かれぬる(四段驚く未然形プラス自発る連用形プラス完了ぬ連体形・ぞの結び・耳に聞く風の音によって「ああ秋なんだな」と自然と気づかされることだ。)

参考  ども(複数・呼びかける場合の見下した感じ、親近感のある感じ)
~たち・~ら も同じ


丘には松の木どもあり(丘には松の木が何本かある)
野郎ども・てめえら
この翁どもはおぼへたまふや(この老人を覚えていらっしゃいますか)

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