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『"お祈りメール"で内定獲得』は未来そのもの

記事をお読みいただき、ありがとうございます!
はぴねすです👋))

『「お祈りメール」で内定獲得』の記事を読み、とても良いことだと感じたので、note記事に書いて自分の考えも合わせて残しておくことにする✍️



📚該当記事はこちら


✍️子どもの、若者の未来は社会の未来そのもの

上の記事はLINEニュースのもの。今を生きる人々、そして未来のことを考えても非常に良いことだと改めて思った。
該当記事の中にもあるけれど「若者の未来」という点が、何よりも尊重されているものだと思うし、先の見えない人生だからこそ、救われる気持ちになる人だって必ずいるはずだ。
後ほど話すことにするが、これは自分の生業である芝居の世界でも通ずる話でもある。


──結局のところ世の中というのは、果ては「子どもたちがこれからの未来を築いていく」ことになる。

少々大袈裟だけれど、現代に生きる者たちは人間の真理に当てはめれば、やがていつかは遅かれ早かれ、次世代の若者、子どもたちと"総入れ替え"を迎えることになる。これまでにも人類はそうして社会や文明を築いてきており、どんなに取り繕ってもこれは紛れもない事実だ。
原始の時代、実際にどのように狩りをして暮らしていたのか、それを当時の環境と合わせてリアル体験を語れる者はいない。

本来、子どもの未来を守るという理念は平たく言うと、『自由意志が尊重され、柔軟なアイデアを発信出来るような、自分の居場所と呼べる安定した家庭があり、社会的貢献、一個人としての幸せを享受出来る環境づくり』というものだと思う。
今、現在の日本社会がそれをまるっきり全て満遍なく実現出来ているかというと、残念ながらそうとは言い切れない部分も多く存在するわけだけど、理念や多くの人が目指そうしている方向性、主軸は正しいものだと納得出来る。

要するに「子ども」や「これからの社会発展を担う若者」の『未来』が保証されていなければ、人と社会が豊かになるという理想へ繋がることも無い。これは言うまでもないことだ。
例えば、そんな「未来」を築いていかなければいけない人々が、自分の行先に迷い続けるばかりであったり、他の選択肢を探す術を見出せず、不平不満を募らせながら、やりたくない事だけを粛々とこなし、人生に何の意味も見出せない思考に陥りながら老いていくとしたら、ネガティブな感情に呑み込まれるばかりで心の余裕などありはしない。
心の余裕は人に優しくしたり、興味関心を得るためにとても重要な"余裕"
だ。日々に追い詰められてばかりの人生は、生きる希望を見失う可能性さえも否定はできない──。

せっかく人生に希望を持って臨んだ企業への面接で最終選考まで辿り着いたのに、それが「お祈りメール」で終わってしまっただけでは、それまで積み上げてきたものが崩れる、もしくは苦労して登ってきた場所から滑落するような絶望感を伴い、大きな落胆と共に先の人生についての不安を募らせるだろう。それと同時に自己肯定…、自身を認めてあげる力が損なわれると言っても過言ではない。
もちろん"お祈りメールから内定獲得"そのものについても、「最終選考まで残った経緯」などのある種の条件があるわけなので、すべてのお祈りメールがきっかけになるわけではないようだが「あとは最終選考を残すのみだ、頑張るぞ!」と息込んだ末の不採用というのは、やはり相応のネガティブな反動を伴うはずだ。
人は褒められるよりも、誰かに認められる方が心理観点から見ても重要である点も、今一度思い出しておきたいところだ。

しかしこれは「お祈りメール」を出さざるを得なかった企業が悪い、という話ではない。一個人が社会を支える人間の一人となっていくように、企業もまた一個人の集合組織。
企業側だって、昨今の情勢や競合ひしめく荒波の中で『生き残っていく必要』がある。これは並大抵のことではなく、毎日が熾烈な戦いなのだ。
昨日、今日が無事でもその先の未来、10年先にもいまの会社が存続しているかどうか……そういった過酷な話だ。
だから必要な人材、会社に合った人材を優先的かつ積極的に採用するのは、至極当然のことであるとも言える。

だからこそ皮肉なことではあるが、『縁』に巡り合えなければいけない時もあるということなのだろう。

✍️「認められる機会」が人の未来を明るくする

しかしここまで考え、"若者の未来"についても改めて加味すれば『人はどこかで認められる機会や縁に恵まれるべき』という話が、どれだけ重要なものなのかが浮き彫りになってくる。
これがまさに今回の『お祈りメールから内定獲得』の事実そのものだ。

無論、就職活動以前に学校教育でも「認める」という機会を意図的に多く盛り込んでいるところもあると思う。人のモチベーションや活力は認められることで大きく湧き上がる。それは笑顔の源と言ってもいいだろう。

だが人生とは紆余曲折。
たとえそれまで多くの場所で認めれてきたとしても"就活"という、人生の重要なタイミングでお祈りメール…つまり不採用が届けられれば、どうしたって落胆の色を隠せないのは必至だ。

だからこそ「お祈りメールから内定を獲得できる機会に恵まれる」ことは、沈んでしまった心に、もう一度熱い血を通わせるきっかけに繋がるものでもある。
つまりは「認めてもらえる場がまだ他にもある」という心の余裕にも直結するのだ。

人間の一生は長いようで短く、短いようで長い。そんな中を生きていれば、相対的な話ではあるが”辛い”思う時は訪れる。
100人中100人が思い通りに事を進められるのが理想ではあるが、世の中が、そして人や動物が、生命が表裏一体のバランスで成り立っている以上、それはどうしても変えられる流れではない。

となれば重要なのは、地の底に落ちてしまい、頭を強く打ったような感覚に襲われたとしても、光差し込む天っぺんの穴の端から、誰かが手を差し伸べている姿を目で見て捉えることができ、その手を握り返せる環境があるということ自体が望ましいということになる。

いかいに『次の段階』があること自体が未来への展望を損なわず、むしろ期待感や挑戦する思いを再燃させてくれるのか──、ということを考えさせられる。

✍️「お祈りメールから内定獲得」は芝居の世界にもある

自分も声優業で新しいお仕事を頂く時は、ほぼ95%の割合でオーディションに参加させて頂く。残り5%は直接お声掛けをいただいてお仕事を承るパターンだ。

オーディションは自ら、もしくは事務所の案内で参加させて頂く場合が多い。自分はここ数年フリーで活動している為、もっぱら前者の人間だ。

作品を作りたいクリエイターたちが人材を募集し、オーディションを受ける者はその募集要項に沿って自分たちが出来る表現、演技、個性のアプローチを実践・披露し、求められる演出プランを全うしながら、作品に命を吹き込めるアクターであるかをクリエイター側に審査・判断される。募集された人材の"条件"を満たすことが出来れば採用、出来なければ不採用という形だ。

作品への出演と会社への就職という、状況そのものはまったく異なるわけだが、まさにオーディションは社会に出る際の「就活・面接」に該当するようなものなのだ。
そして合格となれば「認められた」という感覚を得られる点においても同じである。

念の為、オーディションで不採用となるきっかけとしては──
そもそも作品と合わない、作品の求める質とズレる、演技力やアプローチプランがイメージと異なる、仕事の実績がまだまだ浅い為という理由、知名度の観点からの理由で採用が見送られた……などなど、芝居のオーディションにおける不採用・不合格というのも無数なケースが存在する。

かつて芝居のノウハウを教えてくれた師達も「(オーディションに)落ちて当たり前、受かって偶然」という気持ちで取り組めと仰っていた。
実際、それもひとつの考え方であると、しばらく芝居の世界で生きていると実感することは多々ある。
”認められないことに慣れる”……と言うと妙な感じだが、そうでもしないと次の段階に進めない環境もある、ということかもしれない。

そしてこれもまた皮肉だが、「認められないことに慣れた」としても「認められないことが嬉しい」とは決してならない。
「落ちて当たり前、受かって偶然」というのは自分の考えを述べれば、「自身の最大限取り組んだ事柄を"次のオーディションに繋げろ"」という話である。
芝居はメンタル面の重要性が特に強い仕事だ。仮にも芝居中は自分の"今"の心に嘘を付きながらコントロールし、人を感動させるというのが主旨だ。
それで今日の飯、明日の飯をかっ喰らいたいのであれば、それを普段から出来るようにしなさい、という一種の芝居の肥やしのような話として考えている。

もちろん、絶対に受かりたいと思って臨むオーディションだってあるわけなので、すべてを「当たり前・偶然」で整理できるわけでもない。
不採用・不合格となってまったく落胆しないと言えば、それは完全な嘘になるだろう。
仕事が決まらなければ、また次のオーディションに向かうしかないのだ。

しかし実際、「お祈りメール」と同等のものであるオーディションにおける不採用を受け取った場合でも、受けた役には受からなかったが「こちらの役で出演してくれませんか?」という話が出てくるケースが存在する。もしくは別件の募集オーディションも予定していたが、そちらのナレーションで採用したいのでやってくれないか、というケース。

少し調べると出てくる情報もたくさんあると思うが、著名な声優がそうした巡り合わせで、いまなお多くの人に愛されるキャラクターに声と命を吹き込んでいるというのも決して珍しくはない。
本当に、あらゆる興味関心がひとつの方向へと向かってしまっている自分でさえも知っている、生まれたばかりでなければ誰もが知っているだろうという有名どころの作品でも、そうした経緯は顕著に見られる。
興味があれば調べてみると面白いかもしれない。

そしてかくいう自分も、多かれ少なかれこれは経験のある話だ。
だから「お祈りメールから内定獲得」やそれとベクトルを同じくする話は、リアルそのものなのだ。
だからこそ未来への希望、認められる機会は決して絶対にゼロではない──
これを自信を持って言い切ることが出来る。

✍️未来の選択肢はどんな時でも無限大にある、必ず

思い描いていた未来と違った展開が訪れたとしても、道は一つじゃないから人生は果てしなく自由だ。
ネガティブな気分に支配されている時は、どうしても人生そのものの味が美味しく感じられないが、そこに前向きな気分がプラスされたり、そんな機会に恵まれることによって、ぼやけてしまった味に香りや歯応えを感じられるようになり、今度はどんな味を嗜もうかと心の余裕を持って、人生の豊かさについて考えることも出来るようになるはずだ。

一般に「努力は必ず報われる」と言うが、これは就活において”そういうケースもある”ではなく、「お祈りメールから内定獲得」のように報われる道筋や、理想通りに現実が運ばなかった時に、未来を担う若者が一人孤独に思い悩むのではなく、そうした状況に解決策を見出す為の『次の段階』として、人の心に寄り添ってくれる言葉であって欲しいと思う。
残念ながら芝居の世界やその他特定の場面においては、これらが必ず当てはまるということばかりではないのだが、幸いにも世の中は広い。
自分を「認めてくれる人・場所」は必ずあるものだ。これもまた経験から断言が出来る。

現代においては「認められる機会・縁に巡り合える」のが、なにもリアルだけとは限らない。ネット上に存在しているかもしれない。
自分も普段顔を直接合わせることはないが、それでも何年にも渡ってお仕事を続けさせてもらっている案件も多くある。

大切なのは心なのだ。

心を通じ合わせることが出来る人との出会いは、それが自ずと「認められる自覚」、「自分の居場所」にもなり得るはずだ。

時には運やツキに恵まれない機会もあるかと思うが、自分の真剣に取り組んだ経験や信念、想いは、必ずどこかにそれを認めてくれる人がいる。

大事なのは経験であり、感謝すべきは人とのご縁。

これから大きくなり社会へ巣立っていく子どもたちにとっても、本当に良い環境があるものだと、それを改めて知る機会となった記事であった。


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