見出し画像

アカメガシワの独白


君が私、アカメガシワという名を与えられていることを知ったきっかけは、私の淡黄色の花に、君が気付いたことだった。

君が時折通る道の角にいた、別のアカメガシワが花を付けた時だった。



それからの君は、歩いている道のあちこちで、私の仲間を見つけるようになった。まだ小さいもの、大きく背丈を伸ばしたもの。不思議なもので一度分かると容易に見えるようになる。結構な数の仲間が、いたりする。

我々アカメガシワは実にしたたかなのである。

しかし大きく育つことによって目立ってしまい、それにより切られてしまうこともある。この道のここに、アカメガシワが、と思って歩いていると抜かれていたり切られていたり。そのような人間との生存競争に常に緊張を強いられていることも、君は同時に知ったようだった。



興味が増すにつれて、植物の本で我々のことも調べるようになった。新芽が赤いので一見すると華やかな印象がある。それにより小さいうちは見逃されて、気づくと大きく育っていたりする。

大概の人間たちが大雑把に雑草と呼んでいる植物の種類は大変多いが、その中でも我々アカメガシワは見分けやすい。君は本当にこまめに我々を見つけ出し、我々がいるその道を通るたびに、成長具合や無事かどうかを確認するようになっていった。

そんな君が私のことを発見したのは、またもや花がきっかけだった。人の背よりも高く大きく成長した私に、他の大勢の仲間を容易に見つけるようになってからも君はなかなか気が付かなかった。

夏のある日のことである。私の少し、黄緑がかった淡黄色の花に気づいた君は、やたらと熱心に写真を撮っていた。何が君をそんなに夢中にさせるのだろう。確かに我々の花の形は、他と比べると少し変わっているかもしれない。丸い蕾から線香花火のように放射状に広がる雄花が面白いのか。色も君の好みらしい。

花を撮り終えた君は私を見上げた。最初は花を咲かせる植物の様子をしているが、艱難辛苦を無事に乗り越えると、樹になるのだ。本では読んでそうと知ったが、実際にそうとなっているのを見たのは私が初めてだったらしい。君はしばらく、とても驚いた顔をして、私を見ていた。

普段人間には関心を示さない私だが、そんな風に見つめられるのは悪い気がすることではなかった。君の驚きの意味するところは、私の大きな姿を喜んでいたからだ、ということが分かったから。私はそう、ここの中途半端に整理された花壇のようなところにいたので、小さな頃に切られずに済んだのだ。

町中で生きる仲間は、大抵が道や電柱や壁との隙間などに入り込みそこで育つ。道路などに敷いてある土瀝青にできる隙間が格好の場所なのだ。ただそういう場所は人間にとっては不都合なことも多いらしく、小さいうちはいいのだが、膝上を超えるようになってくると切られてしまうことがある。土瀝青などに根が穴を開けたようになるので嫌われてしまうようだ。

しかし私のいた場所は、花壇ぽいところであったので、ある程度目立つほど大きくなっても切られずに過ぎていき、建物の一階くらいの高さまで成長できていた。

君は、そのことを知っていて、だから大きい私に感動したのだろう。そして同時に、我々が持つ宿命ーーーというと大袈裟かもしれないが、それを避けることができていることに君は安堵していた。「ここなら大丈夫だね」そんな声が聞こえたような気がしたものだ。

それからの日々、この場所を通るたびに君の視線が私に降り注ぐ。それを私が楽しんでいたのは事実である。



ここの道が、君の生活道路でないことは知っていた。忙しいと君はここを通らない。しばらく、会わない時間が過ぎていった。

奥にあった商業施設が店じまいをしてしまい、壊して、新しい建物ができることが決まったらしい。少し前、私の後ろに立ったそれを説明する看板を読み込んでいた君からは軽い動揺が伝わってきた。慣れ親しんだ施設が閉じてしまう、それはやはり少し寂しい。君は「そうなんだ」と呟くと、私を見上げた。

その時はお互いに、いつもの出会いと別れであった。君にとってはいつもの道を歩いていて、ただ通り過ぎて行く。それだけのことだった。


君が最後にここを通り過ぎてから何日が経ったろう。その日、君は何かを考えているように歩いてきて、一度、通り過ぎた。しかしすぐに異変を感じたらしく、振り返った。そこに、私はいなかった。


君は足を止めて、私の根元だった辺りをきょろきょろと見回している。そこには私のもので、今は切り株と呼ぶ状態のものがまだ地面に残っていた。それをじっと見つめる。そして上を見上げる。そしてまた周りを見回す。

あっと、小さな声をあげた。そして呆然と立ち尽くす。まさか、が起きていたのだ。

君はがっくりと首を落とし、そして、やがて、おもむろに歩き出した。


全てを理解したようだった。この中途半端な花壇のようなところ、私の他にも植物が育っていて、賑やかだった場所も整地にして、駐車場を広げる。そのために私たちは、命を終えたのだった。



数日してまた君はこの道を通った。そして今回は、私たちのいないことを知っている顔でその地面を眺め、奥の建物を眺め、ため息を一つ付いて静かに歩き去った。その時、気のせいかもしれないが、君から「ここにいてくれてありがとう」という言葉が聞こえたような気がした。


君は人間の中でも少し変わっている部類の人かもしれない。たかが、雑草と呼ばれてしまうような私にそこまでの関心を寄せるとはどういうことなのだろう。私は命を終えたが、私の種のいくつはどこかで育っているはずである。だから私たちは、君が関心を持ち続ける限り、また出会えるのだ。私も君のことを覚えていることにしよう。

また会える日を、楽しみにしている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?