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「友情」の育み方とは?『現代思想 友情の現在』が面白い。

めちゃくちゃ、現代思想の6月号が面白いので繰り返し読んでる。


読んでみて、最近よく見てるコンテンツが「友達」を探しているようなのでまとめておこう。


友情とはなにか

現代思想では、様々な定義がされていて、本当に一口こういうものだと言えないものがこの言葉には含まれているんだろうなと。

個人的には

・強制性のある環境が必要
・有償の関係性からの友情
・持続のためのケアの必要性
・美的コミュニティ アートの関係性、もしくは推し

が面白かった。

多分、こういうものに共感したり、興味関心を抱いたりするのも、自分自身が「友情」というものに囚われているからなんだろう。


はてなブログの基本読書で紹介されていた、この本も読みたい…と思ってる。「孤独」に陥るのは、「友達」を作ることを疎かにしてしまうからなのだろうか。




「友達」に悩む、同世代コンテンツ

決定的じゃないか? と思ったのが、今年4月1日にチャンネル名を変更した「ふっくらすずめくらぶ」。ウェブメディアオモコロのライターで構成されている。


その変更した名前が、
『会社にしか友達がいない』

エイプリルフール? と思ってたら、どうやら本気だったらしい。

元々、YouTubeチャンネル「オモコロ」のカウンターみたいなところがある。

上司がいないこともあって、同僚で仲良く、ヘマしたりふざけたりしても最終的には優しい言葉で受け入れてくれるところが視聴者にはウケていると思う。事実、仲良さそうに見える。

チャンネル名に批判もあって、元に戻ったわけだけど、多分、言い得て妙はチャンネル名だと思う。

成人期に入った年代は、途端に新しい友達を作れなくなる。ライフステージの変化によって友に求めるものも変わってくる。
強制性のある共同的な環境といえば、1番身近にあるのが職場なんだろう。


分かるなーと思うものの、会社の人は友達ではないだろうと。

「会社にしか友達がいない」より「ふっくらすずめクラブ」のほうがほっこりする気がする。癒される。

そもそも、会社にも友達がいない人はどうしたらいいのか? それってめっちゃつらいし、ストレスだ。

だから、名前は変わってしまったのだろう。



よく聞くポッドキャストも、結構「友達」の話が聞かれやすいらしい。

定期的に友達回があって、相当聞かれているらしい。いろんなゲストの友達観が聞けて面白い。だって、どうやって友達作ってますか? なんて聞けないし…。
ポッドキャスト聴いてるのは、普段聞けないことを喋ってくれるからなのかも。

いつか本にしてくれるような気がする!
親友の定義って人によって揺れが多いよな。パーソナリティーの親友の定義が面白いので聞いてほしい。人によって違うな。


 そもそもタイトルが「悪友」なので、関係性を作ることに特化している。

 公開収録にも行ったけど、席が相席システムだったり、間接的物々交換スタイルを設けてあったり! だから人気?なのだろうか。
(全く相席システムを理解できずに、空いてる1番前の席に座ってから気づいた)


「ブラッシュアップライフ」が流行った理由も、地元の友達とずっといるための物語だったからじゃないのかとか思ってる。

実際、友達と一緒にいたいけど、いられない人が多いのだ。思い出の中に友達がいる。

でも、転生するまでケアし続けんのかいってツッコミ入れたくなる。
ケアすることの努力って意外に意識しないとやっていけないという裏返しにも取れて意味深。

リアルでも、誕生日を祝える人は友達が多い気がする。そういえば、ドラマの始まりも、誕生日を祝う会だった。

自分自身、セルフネグレクト体質で、なかなか人へのケアの必要性に気づけない。

コロナ禍で、わざわざ連絡をとり続けてきた子が、誕生日プレゼントを渡したかった…という心意に気づけないほどに重傷。

あの時、もらったマグカップは大事に使っているけれど、もうその子の連絡先は分からなくなってる。



じゃあ、友達ってどうやって作るの?


現代思想『友情の現在』にある面白い関係性として、

・位置情報アプリの共有(地元の友達限定)
・ママ友同士の関係性
・美的コミュニティ、もしくはアートへの接続
 つきあいという関係性
・ホテル狂い 有償からの関係性
・メイド喫茶コミュニティの連帯


あたりが面白かった。親密度愛に差があるにしろ、どう関係性を持てばいいか、保っていいかっていうのが見えてくるように思う。


まとめてみると
・ある程度の限定
・ある程度の共感
・ある程度の持続
が必要なのだ。

強制性を含みながら、ある程度限定されないと関係性は深まらない。

第一印象嫌な人と付き合う場がないと、それ以外の面が見えてこない。

そして、共通の話題やテーマが必要だ。全くお互いを知らないとなると、何かを共有してからじゃないと共感が生まれない。

深まった際に、ある程度のケアも求められてくる。同意だけでなく、有意義な意見交換(反論)だってケアの一つのように思う。相手に関心があることを示すこと。それが大事だと思う。


色々考えると、手近にあるのがやっぱり「職場」なのだろうなと。

でも、「職場」で本当に友達ができるのか? もともとの初期投資のストレスが少ないから、他よりも実現性が高い気がする。


「職場」で人間関係を養いつつ、別のところにも分散投資しておくのもいいかもしれない。

「職場」以外の場に、期待を育てていくわけだけど、どうしてもそこには「お金」や「時間」などのコストがかかってくる。

そこに、どれだけのものが割けるかどうかで、作れるものが変わってくるとなると、資本主義なの…? と震えてくる。


そもそも、無償な関係性があるのだろうか。遊んだり、しゃべったりと関係を続けるのには元々コストがかかるものだ。


何にコストをかけていいか。
何に価値を定めるのか。


「現代思想」の、美的コミュニティ、アートなどの接続、ゆるいつながりとしての「つきあい」が、一番自分のなかではしっくりきた。

何かに取り組む場として、イベントごとが盛り上がっているように感じてる。

例えば、文学フリマとかそうだろう。

イベントに向けて、各個人が目標を共有しあい協力してお祭りを楽しむ。
現代版の、地縁によらない「お祭り」のようなものが必要なのかもしれない。



とにかく「現代思想 友情の現在」が面白い!
成人期を迎えて、「友達」「友情」が分からなくなっている人におすすめ。

終わり。




『それでも女をやっていく』の感想と自分語り


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