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[エストニアの小説] 第2話 #3 農園主 (全12回)

#2を読む

 「あそこが君の家なの?」とニペルナーティ。女の子はうなずいた。日没の明かりが少女の顔を赤く染め、その目を輝かせていた。クサリヘビのショックから少し立ち直り、すぐに家に帰るべきか、それとももう少しここに留まるべきか迷っていた。赤い唇がゆっくり広がると笑みが現れた。少女はニペルナーティを見て、何か言おうとした。「リースは悪い人だった、3兄弟は役立たずだ」
 「ああ、そうだろな」とニペルナーティは同意した。「とんだやつらに、とんだ農場。風があちこちから吹き込むから、歯がカタカタ鳴る。牧草地は伸び放題、家畜は餓死寸前。牛飼いだけがまともに見える」
 「ヤンガはあたしの兄さん」 少女が小さな声で言う。
 「そうなの?」 ニペルナーティが驚いて尋ねる。「じゃあ、なんで君は死んだ人を見に来なかったんだい?」
 「あの兄弟はあたしを嫌ってる」 ミーラが答えた。「あの人たちは父さんの曳網のまわりをうろついたり、見てないときに釣り糸や浮きを引き寄せるんだ。あたしはあいつらとやり合わなくちゃならなくなる。父さんは年とっていて弱いから。自分の釣り竿を見張ってるしかないんだ。あたしは父さんを助ける、なんとかして。あたしなしに父さんは何もできない。あの3兄弟とは困ったことになってる。ヨーナタンは一番悪いやつだ、あたしはいっ時も安心していられない。あたしの小舟を沈めるは、窓を壊すは、悪さすることばかり考えてる」
 
 夜がやって来た。むっと息詰まる暑い夜だった。湖は暗く沈んでいた。高い木低い木の影が水面に長い影を落とし揺らめいている。そこ此処に青みがかった靄(もや)が立ち込めていた。ゴボゴボと咳き込む声がイグサの生えいている方から聞こえてくる。

 「あたし、父さんのところに行かなくちゃ」 そう少女は言うと、小舟に飛び乗った。櫂を水に打ちつけると、水滴が少女のまわりで氷の粒のように跳ねた。ヘビのように長いさざなみが、船の後ろで波うっていた。「とうさ~ん」 少女は呼びかけ、小舟の中に櫂を入れ、耳を澄ました。すると白い頭と釣り竿がイグサの中から現れた。
 「こっちだ、こっちだ」 男が咳き込んで言った。
 
 ニペルナーティは3兄弟の家に向かった。
 ロウソクが窓辺で灯りを放っていた。家の中から、女たちの甲高い歌声が聞こえてくる。3兄弟が芝の上に座って言い争いをしていた。

 「もう1回言うぞ、これが最後だ」 ペトロが大声をあげた。「ヨーナタン、この農園の主人になるんだ。一番年下だから、従うんだ。どこの家だってそうしてる、そう決まってる、年下の者が世の中を知る上の者の言うことを聞くんだ。それ以外ない、そうじゃないやり方はないんだから。ヨーナタンが農場を手にする。まだ若いからパウロや俺みたいに腐ってない、若いからまだ道を正せるし、ちゃんとした主人になれる。だがパウロと俺はここから出ていく。俺らはこの農場が好きじゃない、ここの人もだ。ここに留まったら、皮をむかれ放題になる。それがここのやつらだ。母さんが生きてたときは、まだ大丈夫だった。みんな母さんの大口叩きや拳を恐れてたからな。でも俺らはここでは生きられない」
 「そういうことだ」 パウロが言った。「俺たちはここから出ていく、ずっと遠くにな。でも何年かたって、農園がうまくいき始めたら、ヨーナタンは当然ながら、俺たちに分け前を支払うことになる。こんだけの財産をただで捨てるわけにはいかんからな」
 「あとで払うかどうかは別にして、ヨーナタンはここの主人になる」とペトロ。「奥さんを見つけて、結婚式や洗礼式も整えてやる。だがヨーナタンが農園を引き受けるんだ」
 「いやだ、そんなの!」 ヨーナタンがぴしゃりと言った。「農夫にもならないし、主(あるじ)にもならない。鋤を手にしたことすらないんだ。いつ種を撒くか、いつ収穫するかだって知らない。村のやつらはオレをむしろうとしないか? オレに喰いついて、骨も髪も、何もかも喰いつくす。悪魔よ、この農園をもってけ、時がたてばオレもいつか戻ってくる」
 「いや、そりゃまずい」 ペトロが険しい顔で言った。「俺らのうちの誰かが農園の主人にならないと、それでここに留まるんだ。みにくい争いややり合いなしに、そうなってほしい。よく聞いてほしい、ヨーナタン、やり合いなしにだ。母親が死んですぐ後に農場を売りに出すなんてのは恥だからな。だから俺らの誰かが勇気と分別をもって、農場をきちんと管理して繁栄させなくては。で、この仕事をやるのはヨーナタンだ」
 「そういうことだ」 パウロがまた同意した。「ヨーナタンが農場に残る。これは決まりだ。だけど俺たちに分け前は渡すんだ。細目を作らねばな、建物、畑、家畜とちゃんと価値を計って、リストにするんだ。で、時期が来たら、弟であるヨーナタンは俺たちに正当な支払いをする」

 「いやだ、そんなのいやだ」とヨーナタンは激しく抵抗した。「オレは森に逃げ込むか、プースリクのところに行って働く方がましだ。ここにはいたくない。どこに行って働き手を探せばいい? 妻はどこにいる? それに見知らぬやつらを農場に集めたら、オレの生活はどうなる? オレは主人なんかにはならない。ここを焼き払った方がましだ」
 ペトロが拳を振り上げ、パウロが雄牛みたいに頭をもたげた。と、そのとき突然、その背後にいたトーマス・ニペルナーティが口を開いた。

「きょうだいよ、なんで争う? わたしが主人になろうじゃないか」

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'Toomas Nipernaadi' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

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