<エッセイ> 予想外だったケイン賞 エフェミア・チェラ(ザンビア/ガーナ)
COMPILATION of AFRICAN SHORT STORIES
アフリカ短編小説集 もくじ
[ Summer break essays and more … ] no.1 no.2 no.3
アフリカ文学のためのケイン賞(2014年度)の候補になったのは、22歳の時だった。当時、南アフリカで身に合わない不法就労をしていて、友だちの家に居候して、あっちへこっちへと毎週のように移り住んでいた。そのときまで、自分は本物の作家にはなれない、あるいは作家を長く続けることはできないと思っていた。その理由は、これから何を書けばいいのか、自分の書いたものを好きになれるか、読んだ人に作品が受け入れられるか、もし自分を楽しませるために書き続けたとして、読む人はそれについてきてくれるか、書くことで収入が得られるだろうか、といった心配があったから。
するとある日、一つの知らせを受けたことで、わたしの人生は変わった。それも、わたしが予想していなかった理由で。
ケイン賞候補以前は、現代アフリカ文学の生態系やデジタル化の開花に、わずかな知識しかなかった。わたしは偏狭であり、自分の(あるいは誰かの)部屋で何か書くだけの日々だった。とはいえ同時に、出版者になりたいという夢ももっていた。そんなわたしが、故郷で起きているワクワクする取り組みに目を開くために、2週間アフリカを離れることになったのは皮肉なことだ。ケイン賞の候補になったことにより、大英博物館のキュレーター長から貴族院郵便局(そこから未来の自分に読ませるために、住んでいる南アフリカに手紙を送った)の事務係に至るまで素晴らしい人々と出会い、話す機会が生まれた。わたしは読者に、作家たちに、そしてその後の人生にずっと関わることになるとは露知らなかった学者たちと出会った。そこで起きた実際の対面によって、アフリカの小説に向けられている世界の関心がはっきりと感じられた。それにより希望が生まれ、次に自分が何をしたらいいかがわかった。また大胆にもなれた。
その年のケイン賞受賞とはならなかったことで、わたしのまだ未熟だった心はそれを拒否のように感じてしまった。しかしそのことによって、自分は「拒否」を超えられることがわかり、さらなる「拒否」を得るチャンス(一種の職業的マゾヒズム)をもっともっと得ようとした。自分の手の届かないものを求めはじめた。多くのことは成功率75%と思っていたが、自分にそのやり方を学ばせようとした。
ソーシャルメディア、はどうだろう?
わたしはショートストーリー・デイ・アフリカというソーシャルメディアの運営に飛び込んだ。それはわたしの最初の小説「チキン」(2013年)を受け入れ、作家としてのキャリアを始めさせてくれた場所だったから。デジタル化の風景を見渡し、良き創作の泉を探しもとめることが、本屋に行くこと以上にアフリカ文学に何が起きているかを感じさせてくれた。
他人の作品を編集・校正をすること(オックスフォード・コンマに強い反発を抱きつつ)ー なぜわたしがやってはいけない!?
*オックスフォード・コンマ:=シリアル・コンマとは、三つ以上のものをA, B, and Cのように列挙するときのandの前のコンマ。
ヘレン・モフェットとボンガニ・コナ(ケイン賞の同窓生)と共に、アンソロジー『Migrations』に関わったことで、編集を今までとは違った風に考えるきっかけとなった。国際外交のようにそれは繊細なもので、編集者がどのように作品を扱うかで、作品は良くも悪くもなる。作家の才能に触れることには、大きな力と責任が伴う。わたしたちが手助けして生まれた作品集を、とても誇りに思っている。また言うまでもなく、そうすることは非常に楽しいことだった。
作家であることは、みなが言うように孤独を引き受けることであるが、こういったプロジェクトは自分の作品が出版されるまでの間、その孤立を断つ助けになった。自分ひとりでいるよりも、書くことの楽しみを増してくれる。対話や議論、批評といったものが、アフリカ文学に活気を与えていくだろう。わたしにとって、こういった会話に参加することが、自分の作品の質を高め、文学的嗜好の均衡をとり、精神を鋭利にする道となっている。これはより直接的な方法であり、年度ごとの各賞(それが偉大だとしても)にはできないことだ。
どうか非難しないでほしい。
自分がまだ1冊の本も書き終えていないのに、実績ある作家の作品を評価するとは。でもやらせてほしい!
「ヨハネスブルグ・ブック・レビュー」誌が、編集部の寄稿編集者にならないかと依頼してきたときは、冗談かと思った。クラウディア・ランキンにインタビューしたり、翻訳の筋力を鍛えたり、ワクワクするような文芸批評をした。最初のうちはおずおずとやっていたが、号を重ねるうちに、ペテン師症候群(化けの皮が剥がれるのではと恐怖する症状)は和らぎ、委員会のメンバーたちも、わたしの「ユニークな」やり方に慣れていった。
今年「Writivism」に招待されたことは、いわばわたしのここ3、4年の作家人生における頂点と言っていいいものだった。わたしはウガンダにいた。一度も行ったことのない国だが、そこはまた帰るべきところになった。実際に顔を合わせたことはないけれど、アフリカ文学についてオンラインで話をしてきたたくさんの友人たちと、屋上でナイル・スペシャル・ビールを飲んだり、言いたい放題のライターズ・ナイト・アウトの後で、ウガンダ料理のロレックスを食べていたら、いつの間にか朝になっていたり、カンパラの緑に覆われた丘をボーダボーダ(バイクタクシー)で上り下りし、スラムの詩を聞いて、よその文芸誌の編集者たちとおしゃべりし、いつまた小説を書きはじめるのかと訊かれ、と様々なことをグルリと一周した気分だった。今年、ショートストーリー・デイ・アフリカを代表して、二番目の創作ワークショップを運営したことで、若手作家を育て、作家の進歩に注目することが、わたしにとってどれだけ楽しいことかわかった。わたしの目の前には、新しい冒険が待っているかもしれない。
最後に言いたいのは、ケイン賞はわたしが思っていたものとは違っていたということ。大きな賞を得ることだけが本物の作家になれる道と誤解していたが、オックスフォード(ボドリアン図書館は美しいが)で起きたことは、それではなかった。わたしを作家にしたのは、その後に成したことだった。文章を次々と書き、創作のチャンネルを開き、アフリカ文学について他の愛好家たちと話し、日々意欲をもって生きること。作家になる道は一つしかないと思い込んでいた。わたしが受けとった本物の賞とは、作家への道にはいくつもの方法があるという認識だった。上ったり下りたり回り道したり、それが素晴らしい作品へとつながること、意味あるプロジェクトに関わり、その途上で文学における家族を見つけること、とわかるまで時間がかかった。
*ケイン賞の授賞式は、オックスフォード大学で行われていたが、近年はロンドン大学に変更されている。
だいこくかずえ訳
An Unexpected Prize(November 20, 2017)
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