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<エッセイ> 私たちの物語はいつも悲劇ばかりじゃない ドリーン・バインガナ(ウガンダ)

COMPILATION of AFRICAN SHORT STORIES
アフリカ短編小説集 
もくじ
[ Summer break essays and more … ]  no.1 no.2 no.3

ドリーン・バインガナ(Doreen Baingana)はウガンダの作家。短編小説集『Tropical Fish』はAWP グレイス・ペイリー短編小説賞、コモンウェルス賞を受賞。ケイン賞の最終候補作品に3回選出され、それ以外にもマイルズ・モーランド財団奨学金、ロックフェラー・ベラジオ・レジデンシー、サステナブル・アーツ財団助成金、Gretchen J. Bryant Distinguished Freedom to Write Fellowshipなどを受けている。(エッセイのあとに詳細)

*以下の記事は、2005年8月、英国ガーディアン紙掲載のものです。
書かれたのは20年近く前ですが、状況としては(受け手の側の受容は)
大きく変わったとは思えず、この機会にぜひ、翻訳・掲載したいと思いました。
Doreen Baingana


私は自分の人生がもっと悲劇的だったらなあ、と思うことがある。それはアフリカの作家である私に対する読者の期待が、飢餓や戦争、大きな惨事・災害の物語だったりするからだ。去年の9月に、ミネソタ州の小さな町のアーティスト・レジデンスで、ある女性ネットワーク・グループに招かれて話をするよう頼まれた。主宰者の人が、私がどのようにして、なぜ作家になったのか話してほしいと言った。「それとウガンダについても教えてほしい」そう付け加えた。「一般的な話としてでいいですけど」 彼女はそうも言った。うーん、どう始めたらいいんだろう。私のキャリアについて見れば、人生の大半を学校で過ごし、本を読むことを楽しんできた。それで作家になった、と思う。私は創作のクラスをとり、書いたり読んだりをずっとしてきた。それを30分の講演で、どう引き延ばして話したらいいものか。

20人くらいの白人女性のランチの席で、「暗黒大陸の真ん中」で育つことは、ミネソタのレッドウィングで育つのとたいして変わりなく、また同様に退屈でもあるんだ、という話でみんなを楽しませようとした。ところが彼女たちは町で育ち、西洋式の教育を受けてきたという私の話を望んではいない、と気づいた。このどこにでもある話のヤマ場は、私が法律家から作家に転身したという部分だった。それはアメリカの作家なら、誰もがよく言うようなことだった。

なんだかそぐわない招待を受けてしまったように感じた。私は極貧の村に生まれ育ち、5歳の女の子たちと共に、消毒されていない鈍い刃もので残酷な割礼を受け、その後、子供兵士たちに誘拐されて、反乱軍司令官の性奴隷となり、そこから危機一髪で逃れ、乾燥地帯を何マイルも、何カ月も歩きまわり、やっと海外支援団体の人に助けられて、「社会復帰を果たし」アメリカの親切な家族の元で養子となる、そうあるべきだった。私はアメリカで成功を収め、アメリカに感謝し、その物語を語って過ごすことになるだろう。もちろん、こういった話は語る価値がある。

私はアフリカやその他の地域の人々が受けている多くの困難を軽視しようとしているわけではない。このような悲劇的な状況は、注目や支援に値するものだ。現在のアフリカ救援行動に、わたしは称賛を送る。しかしそれが非常に多様性のあるアフリカ大陸に対して、多くの人の印象を狭めてしまう原因にもなっている。

もちろん、支援機関は当然ながらいま起きている問題を扱うのだから、よりひどい状況や数字に注目が集まれば都合がいいと言える。メディアにはその役割はないが、一般論として悪いニュースが求められ、中でも対象がアフリカとなった場合、なぜそうなのか理由を探る必要がある。だれがこの不均衡を正すのか、それ以外の物語を語るのか。そういう話は存在するのだから。アフリカの、なんならフィクション作家がしてはどうだろう? もし私たち作家に義務があるとするなら、誰かがこのような否定的な話を違う方向に、最低でももっと複雑な話にすることを主張したい。

レッドウィングでの講演のあと、一人の女性が私にイディ・アミンについて訊いてきた。アミンの食習慣について、私がインサイダー情報を持っているのではと。また別の女性は、ウガンダにおける女性割礼について質問してきた。この女性グループが特別に、あるいはアメリカ人一般が、間違っていると言おうとしているのではない。国際的と言われるロンドンでさえ、去年の7月に行なわれた「アフリカ作品のためのケイン賞」のイベントで、同じような枠組みの質問を、時代錯誤にみえる「ポストコロニアル」という言葉を使って、学生や一般の人々が投げかけてきた。私は願っている。アフリカが経験している多様性について、今までとは違う視点で見たり、話したりする方法はないものだろうか。アフリカ人として、是が非でも、それを手に入れたい。

小説家は、真実として受け入れられていることを自分の裁量で扱う自由を手にしている。砂からガラスをつくるように、まったく違う独自のものとして、生の素材から新たな物語をつくる。最近、私はナイジェリアの作家の、この3年間に出版された3冊の小説を読んだ。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『パープル・ハイビスカス』、ヘロン・ハビラの『天使を待ちながら』、クリス・アバニの『グレースランド』の三つ。どれも現代のナイジェリアの都市が舞台で、露骨と言っていいほど政治的であるが、どの作家も「ナイジェリアの都市」が暗示するもの、政治的な小説が意味することの表面的な認識を、登場人物の個人的、社会的、精神的な葛藤を掘り下げることによって打ち砕いている。そしてどの作家もそれを素晴らしく成し遂げている。

アフリカの創作やアフリカが経験してきたことの多様性をいまさら指摘する必要はないはずだが、現実は変わっていない。アフリカの作家やその他の「民族的な」作家たちは、主として、彼らが所属する民族集団の代表として見られたり、読まれたりしている。アフリカ大陸全土ではなかったとしても。しかし私たち作家は現代アフリカ、あるいは伝統的アフリカの生活についてのガイドブックやマニュアルを書いているわけではない。だから典型的なアフリカ人の体験、と思われているものを描写するよう期待されるのはお門違い。たとえば、私がなぜ中流階層の家族を描くのか、ずっと訊かれてきた。どうしてだめなの? 「私にも題材を選ぶ権利はある!」と叫びたい気持ちだ。私の書く小説はそれほどハッピーなものではない、それは言える。黒人白人の間の緊張関係やエイズについても書いてきた。そういう問題への私の見解が、日常の報道を逆転させることを望んでいる。

アフリカの作家として、私は自分の知ることを引き出し、自分の知らないこと、何もないところからも話を生み出し、夢と共に鍋の中に放り込む。アフリカ産であれそれ以外であれ、あらゆるスパイス、穀物、水、塩、嘘を入れて混ぜ合わせ、新しい風味の新しいシチューを毎回つくろうとしている。読者には、私を含めたアフリカの作家たちに対して、それを要求してほしいと願っている。昨日の残りもの(困難な事態や問題のあるストーリーを下痢便のように垂れ流す新聞記事)以上のものを期待して欲しいと願う。アフリカ人であろうとなかろうと、個々の人間が自分たちと自分たちが生きる世界を理解するために、あらゆる可能な方法、不可能な方法を共に想像してみよう。

だいこくかずえ訳
出典:The Guardian

"Our stories aren't all tragedies"(2005年8月 英国ガーディアン紙)

ドリーン・バインガナ (つづき)
子供のための本を2冊出版しており、The Georgia Review, Agni, Transition, The Guardian, UK, Caravan: A Journal of Politics and Culture, African American Review, Callaloo, Transition, Chimurenga and Evergreen Review.に短編小説やエッセイを掲載している。小説をもとに脚本を書いた演劇が、ウガンダとドイツで上演された。ヴォイス・オブ・アメリカ(ラジオ)、Storymoja(ケニアの出版社)で仕事をした他、FEMRITE(ウガンダ女性作家協会)の議長を務めた。またライターズ・センター(米国)、アフリカ各国のフォーラムで創作を教えた経験がある。現在、オーストラリアのクィーンズランド大学でクリエイティブ・ライティングの博士課程に在籍中。2023年、同大学でUQP Mentorship Aardを受賞。ブリスベンに息子と居住し、フェラ・クティやジャズの名曲を聴いて楽しんでいる。


Title photo by World Bank Photo Collection (CC BY-NC-ND 2.0)

*ドリーン・バインガナの短編小説『ナマニャの寛容で惜しみない体』が、9月末にこの連載でお読みいただけます。


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