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[エストニアの小説] 第3話 #5 トゥララ(全10回・火金更新)

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 エロが牧師を伴って、やっと外に出てきたのは遅い時間だった。
 「この人があなたの夢見る使用人なのかな?」 牧師がメガネ越しにニペルナーティを矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)眺めた。
 ニペルナーティはノロノロと立ち上がり、帽子をとってこう言った。「こんばんは、お偉い牧師さん。もっとわたしたちの農場に、足を引きずり引きずり来ればいいのに」
 エロがすばやく言葉を遮った。「いい、聞いて、わたしたちの結婚式は2週間後なの」 エロは当惑している牧師の腕に身をまかせキスをした。そして土埃の道を飛ぶようにして家に帰っていった。

 ニペルナーティは長いことその姿を見ていた。そして急に向きを変えると、森に入った。木々の間を走りまわり、つまづきながら戯言(たわごと)を言い散らした。
 「エロはわたしを選ばなかった! 自惚れて! わたしが醜いって…..こんなこと聞いたことがあるか?! わたしは仕立て屋なのか、漁師なのか、神のみぞ知るだ」
 そして大声で笑った。森が10倍の音量で反響した。びっくりした鳥たちが矢のように宙を飛んでいった。

 ニペルナーティは夜が明ける頃になって家に戻った。怒りは収まっていた。静かにトゥララの納屋に向かい、ドアをノックした。
 「トゥララ、ちょっと中に入れてほしい」 猫撫で声で言った。
 寝ぼけまなこのトゥララがドアを開けた。
 「怖がらないで、いい子だから」とニペルナーティ。「ベッドに戻っていいよ。心配はない。君のベッドのそばで、ちょっと話をするだけだ。眠いのかい、トゥララ?」
 「だいじょうぶ」 トゥララが目をこすりながら答えた。
 「気をつかわなくていい」 ニペルナーティは優しく言った。「いつものようにしていて」
 そう言ってトゥララの頭をなでた。
 「あー、トゥララ、わたしの可愛いリボンちゃん。なんでみんなは君をアホのトゥララって呼ぶんだろうね。こんな繊細で可愛い女の子を。わたしたちはここをすぐに離れることになるだろう。みんなわたしが仕立て屋だとか、顔に煤(すす)をぬれとか言ってるからね。高いところに、煙突の上にいるときだけしか、人の興味をひかないんだ。どう思う、トゥララ? いやいや、ここではやることがない。すぐにあの牧師がここの主人になって、そしたら鋤を手に畑に出て働き、もう一方の手に聖書をもってね。それでベルゼブブとかニコデモとかアブラハムとか君らのことを呼ぶんだ。それが好きかな? うん、そうではないよね。ああ、小さな連雀(れんじゃく)さん、君の手はなんて熱いんだ、君の髪はこんなに柔らかいんだね。トゥララ、教えてほしい。わたしを君の夫にしたくはないかい? わたしのことを怖がらないで。わたしは君と同じ、馬鹿な子どもだ。風を追い、追いかけまわす。神様はなぜか知ってる。考えてみて、トゥララ。いま、答えなくてもいいんだよ。明日でいい。あさってでも、1週間後でもいい。わたしたちは森の中に住むんだ。牛を1頭買おう、額に白い模様のある赤い牛だよ」

 「あー、可愛いトゥララ、君はわたしのことを愛せると思う、たとえわたしが貧乏でもね、地球上の誰よりも貧しかったとしてもね。わたしは着た切り雀、このシャツしかない。毎週こっそり川に行って洗ってるんだ。わたしはそういう男だ。もし靴が裂けたとしても、生きてる間に別の靴を手に入れられるかどうかは、神のみぞ知るだ。君のために森の中に小さな小さな小屋を建てるくらいの力は充分あるし、無限の力で食べものを手にいれられると思う。神様、もしわたしたち二人が、こんなにも小さく力なき二人がつつましく手に手をとって祈るなら、聞いてくれるでしょう?」
 「ねえ、トゥララ、誰が君にそんな風に可愛らしく流し目をすることを教えたんだい? そのやり方を教えてくれないか。すごく可愛いよ! ほら、君はなんて小さな白い手をしているんだ。自分でそれをちゃんと見たことがあるのかい?」
 トゥララのかたわらで、ニペルナーティは長いこと話しつづけた。この男が納屋を出たときには、太陽はもう高く昇っていた。敷地の中央で農場の主人が突っ立って、腹を立てながらトゥララの名を呼んでいた。しかしニペルナーティの姿を認めると、態度を和らげ、いたずらっぽくウィンクし、こう言った。「いい天気だなぁ、今日は」
 ニペルナーティは笑顔を返した。
 「悪くないですね、それほど降らなくたって問題ないでしょう」

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'Pearl Diver' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


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