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[エストニアの小説] 第3話 #4 牧師館(全10回・火金更新)

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 夕方になって二人は一緒に教会に向かって歩きはじめた。しかしニペルナーティは機嫌が悪く、話す気分ではなかった。ダラダラと歩き、ずっと正面を睨んで歩いた。もうこの男を面白がらせるものは何もないとでもいうように、一緒にいるエロにさえ興味ないといった風だった。エロの方はニペルナーティの前を楽しそうに歩いていたのだが。

 「今日はぜんぜん話さないじゃない」 エロが不満げに言った。
 ニペルナーティはそれに返事もしなかった。そしてぼんやりとその大きな目を上げた。
 「なんでニペルナーティは口をきかないわけ?」 エロが強い調子で繰り返した。「あなた、変な名前よね。それにあなた自身も、のっぽで、ゴツゴツしてて痩せてて。手なんか大きくて鋤みたい。なんでいつまでも黙ってるのよ。真面目な顔で、村から村を渡り歩く仕立て屋だなんて言って。誰かあなたを愛してくれた人はいるの?」
 「どうしてそんな風にわたしを苦しめようとするんです」 男は声を震わせて答えた。
 あっけにとられてエロは男を見た。
 「そんなことわたしがした?」
 「さあね」 そう言ったあとしばらくして、突然こう言った。「あなたの農場に来て以来、楽しいことがない。なんでここで足を止めねばならかったのか。道は続いていたのに、わたしは谷に下っていった」

 「どうしてここが嫌いなの?」とエロ。
 「わたしが君を愛してるってことがわからないのか?」 ニペルナーティが怒りの声をあげた。「魂を汚す致命的な罪を犯したみたいに、なんで隠さなきゃいけない? わたしは君のそばで笑わせたり楽しませたりする道化師か? わたしは憐れみを受けて生きる乞食なのか? 自分が不恰好で滑稽なことを知らないとでも? 仕立て屋じゃなくて、煙突掃除の方がわたしには合ってる。煤をかぶって歩きまわれば、わたしの醜さに誰も気づかない。だけど夜になって、煙突のてっぺんで月の光を浴びて立っていたら、年老いた召使いやら何やらが下の道から見上げて、白馬に乗った英雄を見たと思って胸をときめかせるかもしれない。わたしは誰もいない島に送られるべきだとわかってる。そうすれば他の人たちの美観を損なうことはないからね。いいかい、わたしは君を愛してる。わたしに何ができる、この哀れなニペルナーティに何が? 見てごらん、スズメでさえ幸せなのに、クサリヘビですら自信ありげに首をもたげてるのに、あー、天の神様、あの足を引きずる半分からだの効かない牧師が、君ともうすぐ結婚しようとしてる!」
 「黙んなさい!」 エロの怒りが沸騰した。

 ニペルナーティの声が優しくなった。そして抑えた口調で静かに続けた。「あなたを愛してる。許してください。小鳥みたいにわたしの手のひらに乗せて、君のおびえる目が見たい。君には新しい名前をつけよう、誰も耳にしたことのないような名前だ。わたしは君を抱いて、包み込む。あなたと手をつないで歩きたい、草原を、谷間を、川を超えて。太陽は輝いて、木々は頭を垂れ、そよ風がわたしたちについてくるかもしれない。柔らかな苔はわたしたちの寝台だ。そして青い夜空で輝く星を君に見せてあげよう」
 「あなたはどうしようもない人だわ!」 エロが大声をあげた。「なんでそんな訳のわからないことばかり言ってるの?」
 しかしエロの強い口調には何の反応も見せず、ニペルナーティはこう続けた。
 「いいかい、たまにはわたしの言うことを聞いてほしい。それだけでいい。わたしの馬鹿さ加減に怒らないでほしい。難しいことなのかな? わかってる。君をわたしの手のひらに乗せることはないし、わたしの愛を君が感じることもないだろう。冗談と受けとってくれていい。無駄口とでも、物乞いのほら話とでも受けとってくれ」
 「もう黙んなさい。教区の牧師館に着いたのがわからないの?」
 ニペルナーティは眠りから覚めたようにピクリとした。ぎこちなく足をとめ、額の汗をぬぐった。そして悲しくなり、みじめになった。太い眉が震え、口を歪めて歯をむいた。そして大きなため息をついた。

 エロが牧師館の中に入っていくと、ニペルナーティは戸口の前の階段に腰を下ろした。建物の中からエロの笑い声や嬌声(きょうせい)が聞こえてきた。1時間が過ぎた。そしてさらに1時間が。満月が空に浮かんでいた。雲が月の顔をなでるように、勢いよく流れていった。ニペルナーティは待った。待ちに待って、いらいらとパイプでたばこを吸った。

#5を読む

'Pearl Diver' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


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