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発売開始! 2冊目のエストニアの小説、トーマス・ニペルナーティ(訳者あとがき公開)

2022年6月の『蝶男:エストニア短編小説集』(メヒス・ヘインサー著)につづいて、『トーマス・ニペルナーティ 7つの旅』が発売になりました。
ペーパーバック:¥2,640(税込) Kindle版 ¥550(税込)
127 × 203mm、520頁
*タイトル写真の左(校正本のため「再販禁止」の帯が入っていますが)


なぜ、エストニアの小説?

これまで日本で知られていない世界各国の作家の小説を翻訳・出版してきましたが、エストニアの小説を訳して出版することは、ずっと考えてきたことではありませんでした。偶然のなせる技といいますか、たまたま読んだ短編小説に興味をもったことがきっかけです。

それがメヒス・ヘインサーの「氷山に死す」という作品で(『蝶男』に収録)、たしかWord Without Bordersという世界文学サイトで英訳されたものを読んだのが最初だったと記憶しています。チリからやって来た主人公の女の子が、エストニアのカッサリ島で博物館の仕事をする冴えない中年男に(勝手に)恋をして、(身勝手に)捨てて国に帰る、という物語です。これがきっかけで英訳されたヘインサーの小説をネットであれこれ読み、その魅力に打たれ、日本語にして出版しようと思い立ちました。
(エストニア語はヨーロッパの少数言語なので、積極的に英訳されている)

今回出版する『トーマス・ニペルナーティ…』は、ヘインサーが卒論に扱った作家の作品として出会いました。エストニアの作家、アウグス・ガイリ(1891〜1960年)がその人で、この作家の著作を探したところ、ニペルナーティの物語を見つけたのです。

絶版の原著と2018年に出た英語版

この作品の原著はエストニア語で書かれていますが、現在はほぼ英語版のみの流通です。英語に訳されたのは数年前のことで、英語とエストニア語をそれぞれ母語とする夫妻の手による仕事です。

実はエストニアの書店で原著を探してみたのですが、現在は流通していないようでした。版元にも問い合わせしましたが、そこでも在庫切れと言われました(2015年出版/原著は1928年初版)。

つまり現在、ガイリのニペルナーティは英語版が標準になっている、ということのようです。ヨーロッパの少数言語の作品では、たまにあることかもしれませんが。(特にネットの世界では)
*記事の最後に、エストニア語の作品や重訳についての参照記事を紹介しています。

この小説の面白さ、ユニークさについて

今回出版の『トーマス・ニペルナーティ 7つの旅』について。
この小説の面白さは何か、というと、一つは主人公のニペルナーティの設定でしょうか。素性はよくわかりませんが、春になると自分の家を出て、放浪の旅に出る自称自由人といった人物で、冬が迫って雪が降りはじめると渋々と家に戻ります。

夢のようなことばかり口走り、そこにはたくさんの嘘が含まれますが、悪気はないというか、人を騙して自分が利益を得ようというのとは少し違います。むしろ他人のために、(それが身勝手な思いつきだったとしても)良きことをしようと汗水ながし、役にたとうとすらします。

善人のような、悪人のような。読者は判断がつきかねないものの、読むうちにその全人格を肯定的に見てしまいそうになります。

もう一人、この小説で際立っているのは、第5話「テリゲステの1日」に登場する(第5話の主人公ともいえる)カトリ・パルビという女性。「がたいの大きい骨太の女で、その尻は村の入り口にある門のようにどっしりとしていた」と表され、生命力あふれる、あらゆる面で屈強な人物なのですが、1点弱いところがあって、それがために14人もの(父親の違う)子どもを産むはめになります。が、どの子も山羊飼いができる年齢になると、(土地を分け与えられて敷地内に住む)父親の元に追いやられます。カトリは男とは(そして子どもとも)暮らさない女なのです。この話にも、もちろんニペルナーティは出てきます。面白い登場の仕方で。

翻訳本には「訳者あとがき」がたいていついていますが、今回、ニペルナーティの本でそれを書くかどうか迷いました。なくてもいいかな、と。

でも最終的に1ページ分だけのごく短い文章を書くことにしました。あとがきは書き出すとだらだらと続いてしまう傾向があるので、1ページに収まる分と決めて(最初の草稿をバシバシ切って)、700字程度に仕上げました。
以下がそのあとがき全文です。

訳者あとがき

 この本の出版を準備していたとき、Netflixで『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』という映画を見ました。2002年のアメリカ映画で、実在の詐欺師フランク・アバグネイルの物語です。当時20代後半だったレオナルド・ディカプリオが、16歳の天才詐欺師をういういしく演じているのが面白く、また奇想天外な騙しのテクニックにおおいに笑いました。
 本作『トーマス・ニペルナーティ 7つの旅』の主人公も、ある意味詐欺師です。旅の先々で農園主になったり、沼さらいになったり、靴職人になったりと様々な詐称をしてまわります。フランク・アバグネイルがパンナムの副操縦士や小児科医、法律家を装うのと同じです。
 ニペルナーティは馬鹿げた夢のようなことをぺらぺらと真顔で語り、出会った女の子たちから疑いの目を向けられても意に介せず、ときにその女の子たちから慕われもします。
 アバグネイル、ニペルナーティに共通するのは、騙した人間、これから騙そうとしている人を含め、まわりの人々から好意をもたれることが結構あることです。向こうから進んで騙されにくる、といったことも起きています。現実とかけ離れた夢や幻想、あるいは「ゲーム(遊び)」が、人柄や行動に適量含まれているからでしょうか。
 人間がまともに生きていくには現実を直視する必要があり、でも真面目一辺倒で生きることは苦しく、また退屈なことでもあります。
 ニペルナーティはアバグネイルと違って、犯罪者ではありません。でも自らの虚言によって立ち場を危うくし、最終的に居場所をなくすという意味で、社会的な落伍者とも言えます。
 人間の美しさと醜さをコミカルに描く、奇妙にして驚くべきニペルナーティの7つの旅の物語、楽しんでいただけたでしょうか。

訳者:だいこくかずえ

ニペルナーティの本は、520ページと分厚い本になりました。読むときの心理的負担を軽くしたいと思い、本文の文字を少し大きくしました。物語にはこれくらいがいいかな、と思ってのことですがいかがでしょう。

拡大して見てみてください

重訳について

*重訳については賛否両論、いろいろな考え方や意見があると思います。しかし(世界各国で)重訳が果たしてきた歴史的な役割を見ると、簡単に否定はできないなと、わたしは思います。
エストニア語についていうと、話者は100万人程度(人口130万人)。文学作品はたくさん書かれていますが、日本にはエストニア語 → 日本語直接の文芸翻訳者はいないようです。
以下の文章は重訳に関係した以前の記事です。


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