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そんなこんなで私のキセキ おしごと編

こんにちは、はづきです。
だんだん名前で呼ばれることにも慣れてきました。
なれてくると、自分の名前がいとおしくなりますね。

さて、今回はお仕事編です。
これまでも自分のお仕事に焦点をあてて書いたりもしましたが、
お仕事を通した私の心も動きについても書いていこうと思います。


次のステージに進むために避けては通れない、お仕事の世界へ

私の父は

精密機械会社の営業職、のちに友人数名と会社を興しました。
休日は接待ゴルフに出かけ、「誰のおかげで生活できてると思っているんだ」と言われた、と母から聞かされる子供時代(父や妹の愚痴を聞かされていました)。
いつも怒っていてつまらなそうな専業主婦の母。
この人は何が楽しくて生きているんだろう。
時代は昭和、定年まで勤め上げるのがよしとされた時代。
残業に休日出勤、休みなく働くのが美徳。
現に家に父はいない。
母は不機嫌。
働くお母さんはみんなきれいで、参観日で化粧をしているのはお仕事をしているお母さんだけ。

「身を粉にして稼いでる者が価値がある、子どもである自分は価値がない。楽しむためにはお金がすべて、仕事は我慢するもの」
こうして私の仕事観は生まれました。

今の基礎となる大学時代の

途中から、バイトのほかに学童保育所の指導員もすることになりました。
当時の学童保育所は、保護者が有志で立ち上げたもの。
子供たちは明るく無邪気だけど、「学童に通っている」というだけで、石をなげられる。
地域の子を巻き込み、子どもと楽しく過ごす。
それがどんなに難しいか。
学校の勉強とは別に試験を受けて保母の免許を取ったのは、
働くお母さんたちの力に少しでもなりたかったから。
石を投げてくる子も鍵っ子でした。

卒業後は

ケースワーカーを目指して医療機関に事務として就職します。
ワーカーを目指したのは、大学のゼミが住宅改造を研究・調査するゼミだったことも大きかった。
生活するために必要な環境と制度をつなぐこと、相談員は継続的なかかわりがとても大切で、専門職と違う役割がある。
ゼミの調査で話を聞いたご夫婦が「手すりを付けただけで住宅改造といってほしくない。本当に必要なのは手すりじゃない」と言っていたのを今でも鮮明に覚えています。
精神病院や乳児院に行ったり、生活保護課の一日体験や重度の障害児の通所施設や老人のデイサービスでの実習。
見えない向こうには、疲れ切った家族がいました。

その職場に結果ワーカーの道はなく、結婚して2年ほどで退職しました。当時の育児休暇制度は専門職のみが利用できる制度で、事務は対象外でした。

私の暗黒の数年
稼いでいない者は生きている価値なし、ぐらいの強い思い込みを持っていた私が専業主婦とか、地獄の極み。
早く子育てを終えてお金を稼いで、子どもも自立して稼げるようにしないと、といつも考えていました。

近所のファミレスでパートを始める

下の子が小学校に上がり、学年が上がったころ。
このパートは9年も続き、並行して子どもが通っていた新体操サークルの指導補助をしたり、最後の3年はフィットネススタジオのインストラクターもやってました。
勢いで調理師免許も取りました。


私にぴったりと寄り添う欠乏感
もっと稼がないといけない
私だけが我慢してる
何も思い通りにならない
そうじゃないと、私に生きてる価値がない

後からこどもたちに聞くと、
お母さんが仕事に行って寂しい気持ちはなかったようです。
でも、フィットネスの仕事をするまではいつもイライラしていた、と。
(運動して、発散されていたんでしょうね)

確かにこの9年間は焦っていました。
子どもの習い事の送り迎えのために仕事を調整し、
パンやお菓子に至るまで、ごはんやおやつはすべて手作り。

子どもを早く自立させて楽になりたい
今思えば、好きでやっていたことばかりだったのに

40歳も過ぎ、ダブルワークで疲弊し(8連勤とか当たり前)
もう福祉の仕事はしないんだろうなあと思っていた矢先、
思いもよらず仕事が舞い込みます。
駅近電車通勤日勤のみで日祝お休み!
こんないい条件の福祉の仕事があったなんて・・・
しかもジャージや作業着じゃない!!(笑)

晴れて支援ワーカーという憧れの仕事を手に

何があっても3年間は辞めない、と固く決意し、扶養内で仕事を始め、のちに常勤となりました。

実質初めての相談業務。
右も左もわからない。
そんな私を大目に見てくれるあったかい職場の人たち。
みんな福祉の経験も長く、有資格者もいる。


もっとやらなきゃ、もっと頑張らなきゃ
ひとりでやれるように
迷惑かけないように
嫌われないように
失敗しないように
成果をださないと
私のいる価値がない・・・

自己肯定感の低さと、役に立てていない罪悪感。


なんでこういうことするの?
納得してないよね?
それはただの逃げだよ
何言ってるかわからないんだけど
こんなの意味ないよ
こうしないと、自分が困るだけだよ
ちゃんとわかってる?
・・・・
・・・・

私はだんだんと、閉じていきました。

同じ風景を見ないと
着地点をイメージして
お土産を一つでも持ってってもらわないと
相手が何を言って何を返したか一字一句報告して
こんなの書いたってさ、読む気もしない
なんで報告しなかったの
・・・
・・・

言われていることがわからない

休みの日でも常に仕事のことを考え、仕事の連絡を気にする日々
通勤電車では涙があふれ
瞑想してても余計な考えが頭にあふれる


仕事を辞める前年の春。
違うチームが打ち合わせをしていたのをたまたまそばで聞いていた時。
私の心は限界となりました。

過去があふれる
感情があふれる
涙があふれて
飲み込まれる・・・

8月に常勤職員からパートになり。
9月から、日本エンパシー協会認定講師育成講座認知行動療法の講座を並行して受けていきました。
通勤電車の中で毎日の課題をこなし、週1~2回のペースで夜にズームで講座を受ける。
この、初めてともいえる自分と向き合う作業は、着実に私を変えました。

そのころ任されていた仕事は、本当に楽しかった。
人が集まる場づくり
ホームページでの情報発信
紙面での情報発信
顧客情報管理
全てが、今の活動につながっていて、生きています。

講座ので習ったことも日々取り入れていきました。
話の聞き方
切羽詰まった時の自分の見つめ方
だんだんと、それ以外の知識も生かせるようになっていく。

ただ、依然として業務でどう動いていいのか、職場の人とどうコミュニケーションをとったらいいのかは見失ったままでした。


年明け2月に、退職しました。
休職や担当変更などを提案してもらいましたが、
とにかく無期限で距離を置きたかった。
決して仕事が嫌いでも、職場の人が嫌いなわけでもない。
むしろ大好きだ。
だからこそ、これ以上嫌になりたくなかった。

自分の頭を冷やしたかった。


退職から1年たって

やっとこうして見つめることができるようになった。

きっと、職場の人たちは私のことを見て、
痛々しくてたまらなかっただろう
やきもきしただろう
イライラしただろう
心を痛めてくれただろう

私にはジャッジできない
ジャッジもされたくない
丁寧に対応したい
何故ああ言われたのか
私はどうするべきだったのか

退職後にあらためて勉強し、通信でカウンセラーの資格を取った。

私には、エンパシーが足りなかった。
自分でむけられた言葉に、「なんでその人はそう言ったのか」を見ようとせず、自分の鎧だけをただただ分厚くしていった。
その言葉は自分にむけられていなくても、自分にむけられたと勝手に傷ついた。


解釈は現実を歪ませる
現実は私が作り出している
相手は自分を映す鏡である


この世に価値がないモノなんてない
誰かの発言が、誰かの貢献になる
湧き上がってきた負の感情には、大切にしたい願いがある

「丘の上の大樹」
存在の価値を肯定し、中立で公平な距離感を大切にする

いつでもこの在り方に私は返ることができる


「他者の靴を履く(エンパシーの代名詞ともいえる言葉)」と
「同じ風景を見る」は、
私の中では、同じようで同じではない。

「同じ風景を見る」と聞いて、
その時の私は、「自分が自分でなくなる」ことをイメージした。
小さい時からその感覚におびえていた私にとって、それはとてつもなく怖いことだった。
今なら、この二つの言葉を同義として考えることもできる。
「あなたと私は別」という前提があったかなかったか、だったんだ。

こんな些細なことだって、言わないとわからない。


どうしていいかわからなかった
何を言っていいのかわからなかった
自分がわからなかったから、当たり前だ


話を聞くことは話すことより重要だと思っているし、
私はこの方が得意だ。
相手は自分で、自分の答えを見つけてくれる。
時間はかかるかもしれない。
効率が悪いかもしれない。
それでも、私は相手に話してもらいたい。

あなたはあなたのままでいい
私はあなたを愛している
そうせざるを得なかったんだよね
伝えるのは、これだけでいいと本気で思っている。


いま、資本主義の極みのような某チェーン店でバイトをしています。
こういう仕事が得意な人は生き生きと働けるだろうし、
だけど、苦手な人がいたっていい。

私は、どうやら違うらしい。
私は、それでいい。


仕事をするって、尊いね。



はづき(はぴ)
現代霊気マスター(施術・講座と伝授)
アクセスバーズファシリテーター(セッション・資格認定講座)
アクセスフェイスリフトプラクティショナー(セッション)
一般社団法人日本エンパシー協会認定講師(講座開催・セッション)
JADP上級心理カウンセラー

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