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親離れできない、それは愛情不足による

わたしは小さい頃からお父さん子だった。大人になった今も母のことが苦手だ。父はもうすでに亡くなったが今でもたまに父がいてくれたらと寂しく思うことがある。



 あるとき小学校の課題で、それをみんなの前で発表しなければならないというコミュ障にとっては地獄のイベントをその日に迎えた当時7歳の私は、どうしても学校に行きたくなくて、おなかが痛いと嘘をつき学校を休もうと試みたことがある。しかしその嘘はすぐに母にバレた。おなかが痛いくせに全然痛そうな感じが出せていなかったからだ。結局その日は父がなんとなく察してくれて学校を休ませてもらうことができたが、母はその日一日中私に対して怒っていて学校で課題を発表しなくてよくなっても代わりに母からの非難の目を浴び続けた。しかも休んだから発表はなしだなと高をくくっていたら翌日一人で発表させられることとなり大変痛い思いをした。

 たぶん私はこの頃から母親が苦手だ。というか「嫌い」の感情に近いかもしれない。子供の頃にわたしを守ってくれなかったという経験は大人になっても色褪せずに心の隅に残っている。それが今でも母親に対する思い込みを一新できず今でも私に怒ってばかりの母親に映る。

嫌いの感情も愛のうちか

 先日ついに下の妹も転職で家を出ていき、わたしは苦手な母と二人暮らしになった。苦手ならさっさと家を出ればよかったのにと思うかもしれないし、私も何度もそう思った。
でも出来なかった。母と離れたくなくて。
嫌いだと思っていたのに。うっとおしいと思うことも毎日のようにあるのに。

 たぶん私は母にもっと愛されたかったのだ。愛されたりなくて、まだもうちょっと母のそばにいて、愛情をもらおうとしている。

長女の宿命


 母は母なりに愛情をかけてくれていたのだろうし、愛されているという実感が全然なかったわけではない。私は三姉妹の長女で妹が出来ると愛情は下の子へ分散され母が今一番仲がいいのは一番下の妹だ。それ故妹へかけられる愛情と自分とを比べてしまい、あまり愛されてないのかなと感じてしまう。私があまり母が好きじゃないように母も私のことがあまり好きではないように思う。それでも私は妹のように母と仲良くなりたかった。まるで自分の気持ちを素直に表現できない小学生のようだが、苦手だけど本当は仲良くなりたいと、妹と同じように私のことも愛してくれるていると実感したいのだ。今ここで家を出ていけば母と仲良くなる機会は恐らく永遠に失われる。

母を好きだと思える自分になりたい。


 子供の頃は偉大で怖く感じたのに、今では年老いて私よりも小さく見える母をおいて家を出ていくことを考えると私を実家から離れることから遠ざける。だからってこのまま実家にいても母と仲良くなれる気は全くしない。だって私はコミュ障だから。家族にさえ自分の本当の気持ちを明かすことはない。

 それでも母から十分に愛されていたという実感を得られるまでは一緒にいたいと思う。たとえ母が死ぬまでそれが得られなかったとしても。嫌だと感じたりうっとおしいって思うことのほうが多くても。自分の本当の気持ちを明かせなくても。

それってもうつまり、
母のことを「嫌い」だけど「すき」と思える自分になっているのだろうか。

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