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幸い(さきはひ) 第六章 ⑦

第六章 第七話

 恋人という関係になってからというもの、桐秋は研究以外の時間を千鶴と在《あ》ることに費やすようになった。

 三食の食事はもちろんのこと、桐秋の休憩に千鶴も共に過ごすようになったのだ。

 今までも一緒に休息をとったことはあるが、ほとんどは千鶴がお茶を出したりするだけで、横に並んでゆっくり過ごすということは少なかった。

 ただ傍にいて庭を見つめるだけの刻。

 それでも関係性の変わった今、千鶴はこの何でもない時間が貴重なものに思えて、堪らなく愛おしかった。

 千鶴は奥向きのことで休憩を取れない時もある。そんな時は千鶴が仕事をする近くで、桐秋は邪魔にならないよう、何をするでもなく千鶴を見つめていた。

 食事の支度をしている時などは、えんどう豆の筋取りや唐黍《とうきび》の皮むきなど野菜の下ごしらえを手伝ってくれることもある。

 桐秋はなるべく、千鶴の気配がする所で過ごそうとしているようだった。

 恋人になってから増えたものは他にもある。

 桐秋が千鶴にふれること。

 桐秋は初めの冷たい態度からは考えられないほど、積極的に恋人同士のふれあいを求めてきた。

 もちろん、直接肌が接触しないように布越しであり、千鶴が嫌がることはしない。

 ただそっと、千鶴の体を指で優しくなでるだけ。

 桐秋は千鶴が、驚かないよう、怖がらないよう、ゆっくりとふれて、少しずつ、少しずつ、慣らしていく。

 最初は手、慣れたら腕《うで》、肩《かた》、頭《あたま》。

 どんどんと、千鶴のふれていい場所を増やしていく。

 桐秋はふれる前、必ず千鶴に許可を取る。

 が、千鶴それを拒んだことはない。

 桐秋が与えてくれる手袋越しの繊細な指の感覚は千鶴の鼓動を早くするが、それ以上に悦《よろこ》びを与えてくれる心地のよいものだったから。

 加えて桐秋はふれた箇所に情熱的な言葉を落としていく。

 腕が陶器のように白く美しいとか、肩の線がたおやかだとか。

 千鶴はその蠱惑的《こわくてき》な言葉に、身体を包み込むような低い声音に、いつも顔を紅くした。

 そんなふれあいの日々の中で、桐秋のなぞる指が足に移った時、不思議な感覚が千鶴を襲った。

 正座で座っている状態で足袋の上から足の裏をなでられた際、背中に一瞬びりっと何かが走った気がしたのだ。

 足のしびれでもこそばゆさでもない。

 わけがわからず千鶴が驚いた表情を見せると、桐秋はすぐに足にふれるのをやめてくれた。

 その後は、千鶴が心地よいと感じる頭を撫で、すまなかったと謝ってくれた。

 千鶴には瞬間走ったそれが何かはわからなかったが、桐秋に頭を撫でられることが気持ちよく、すぐに忘れてしまった。

 刻を経るごとに、ふれあいは深まっていく。

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