子供時代の貧困と虐待生活 -9-

父の葬式が終わり、また毒家族の元へと帰ってきた。
中学三年の秋。まわりは受験に向けて塾に行ったりしていて、慌ただしく勉強している。でもうちにはそんな経済的な余裕はなかった。

母は、父の保険金を期待していたようだが、父は離婚が成立したときに保険を解約していたそうで、そんなものは1円も出なかった。

子供を一人育てているにもかかわらず、全く働かない母。なんなら僕が新聞配達をして稼いだ1万円程度のお金を徴収していた。
朝、学校に行くとき、起きてくることもせずいつまでも寝ている母。お昼ごはん代として一日200円だけ渡される。

愛情の欠片さえも感じたことがなかった。

僕は一応受験を控えてるので、少ない給料で自分で参考書を買い、なんとなく勉強をしていた。
でも中学生が一人で効果的な勉強などできるはずがない。
僕は塾に行ってみんなと勉強をしたかったけど、家の事情がそれを許さなかったし、母は勉強なんか教科書があればできるという謎の考え方を押し付けてくる。
僕は全く勉強についていけず、偏差値の一番低い公立の高校に受かることすら自信がなかった。

そんな状況下で母が勝手に全国模試を申し込み、突然僕に試験を受けにいけと言ってきた。
僕はそんなの受けたくなかった。
そんな試験、まともに回答することすらできないのが目に見えてる。

試験当日、渋々家を出て、一人でバスと電車を乗り継ぎ九州のとある地方都市にある試験会場へ行った。
試験会場では親に送ってもらって会場入りする生徒や、友達と一緒に来てる生徒たちがたくさんいた。
一人で来てる生徒なんてほとんどいなかった。

勉強をする環境も整えてくれないくせに、勝手に全国模試に申し込んで送り迎えなんかもしてくれない。
僕は試験会場で孤独感と不安感で今すぐ逃げ出したい気持ちになっていた。

試験の結果は当然最悪だった。
その結果を見て、母は僕をバカにしてくる。
「こんな成績じゃろくな高校にいけんわ」とか「本気になれば学校の勉強だけで十分やろ」とか、母は常に僕自身に問題があるようなことを言ってくる。

頑張っても結果は出ない。
やり方が悪いし、いいやり方を知らない。
母は成績の悪い僕を小馬鹿にしてくる。
勉強は嫌いではなかったけど、こんな状況でいくら勉強をしても無駄なような気がして結局あまり勉強をしなくなった。

僕の偏差値は40を下回り、受かる高校は私立の工業高校くらいしかなかった。

つづく

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