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挫折から学んだこと


こんにちは。하늘(hanulo0)です。

今まで挫折した経験ありますか?

部活でインターハイに出場できなかった
〇〇選手になれなかった、受験に失敗した
第一志望の就職先に受からなかった等・・

挫折といっても小さなものから大きなものまで
色々あるかと思います。

私が経験した挫折は今でも忘れない
大学病院勤務時代の
リーダートレーニング(通称リートレ)です。

ー補足ー
勤務病院はチームナーシング制(配置されている看護師を複数のチームに分け、そのなかにリーダーやメンバーである看護師、看護補助者などを振り分け、チーム全体で看護を行う)を採用していたため3年目以上になるとリーダー業務を覚えることになっていました。リーダー看護師として働きながらチームの業務調整や多職種連携を学びます。

なぜそれが一番記憶に残っているかというと
人生で唯一克服できなかった経験だからです。

今はクリニックに転職して
環境が変わってしまったので
今後大学病院や総合病院に戻らない限り
リートレはできません。

しかし長い人生のなかで
今後壁にぶち当たることはきっとまたある
と思います。


そのようなときにどうやって
乗り越えていくのか自分自身で振り返る必要
があると思ったからです。

あの時を振り返ってどうしたらよかったのか
壁にぶち当たったときの対処法について自分の実体験をもとに考えていきたいと思います。

最初の挫折


就職してから最初に経験した挫折は
1年目の時です。

社会人として看護師としても1年目の春。

第一志望の大学に入学し
第一志望の病院に就職が決まり
人生が順調にいっているときでした。

自分の理想としている看護師像とは
かけ離れた世界で
これから働かなければならないという現実。

理想と現実のギャップに
ついていけませんでした。

業務の多さと
人の命を預かるという責任の重さ

早くも心が折れそうになっていました。

先輩みたいに早く一人前の看護師になりたくて
当時は必死に頑張っていたと思います。

最初6人いた同期でしたが、
1年目が終わる頃には3人になっていました。

仕事についていけなくて
辞めていく同期たちを見ながら
純粋に看護師という仕事が合わなかったのか
それとも精神的に参ってしまったのか。

その時はあまり深く考えていませんでした。

当時は自分のことで
精一杯だったんだと思います。

慣れない夜勤をこなし、初めてやる看護技術に緊張し看護師を辞めたいと思ったことは何度もあります。

1年目の時は何もかもが初めてでわからないことばかりなのは仕方のないことです。

慣れれば今の状況や見え方が変わってくるかもしれないと未来に希望を持っていました。

石の上にも三年という言葉を信じて

ただただ耐える日々でした。


2度目の挫折

2年目になって下が入ってくるようになり
一人でできることも増えてきて

ある程度先輩の目も離れるので少しほっとしたのを覚えています。

そんなこんなで2年目冬、病棟移転を迎えました。

配属病棟と他病棟が合併することになったのです。今よりも病棟の規模(入院患者総数・科)や看護スタッフも増えることになります。

同期は当時3人に減っていましたが
病棟移転により新たに3人加わり2年目はまた6人になりました。

1年目から一緒にやってきた同期と
2年目になって新たに加わった同期3人で
最初は戸惑いがありました。

教えてもらった環境や主科が異なるため
軽いカルチャーショックを覚えました。

2年目だけれど、部署が変わるので今までやってきた技術も再度師長チェックが必要だったり物品の場所や方法が違ったりで覚えなくてはならないことがたくさん。

でも今まで一緒のスタッフもいるのでみんなでなんとか教えあったり、教えてもらったりして乗り越えられました。

人生最大の挫折


病棟移転して新しいスタッフと環境に慣れてきた3年目の冬。

私たち同期6人のリートレが始まりました。

1週間に一人ずつ先輩にトレーニングをしてもらい、トレーニングが完了した人からリーダーデビューです。

私はリートレ直前に結婚と引っ越しが決まっていたので同期の中では一番最後にトレーニング予定でした。

同期がリートレを完了していくなかで
私も普通に勤務してトレーニングを受ければ
独り立ちができると思っていました。

しかし実際はめちゃくちゃきつかったです。

どうきつかったかというと
今まで看護師としてやってきた3年間を全否定されたような感覚です。

自分のできなさを痛感し心が折れてしまいました。

この時は完全に自信を無くしていたので
普段の勤務でできていたことができなくなったり小さいミスをするようになっていました。

心ここにあらず。

そんな感じでリートレ1週間が終了し
もちろん結果は独り立ちできないということで
翌月にトレーニング2回目が予定されていました。


リートレ1回目終了した時点で師長と面談がありました。

その時に「やってみてどうだった?」と聞かれました。私は全くできませんでした。と答えました。

次のトレーニングはどうする?と聞かれたときにすでにトレーニングを完了した同期5人がいたのでこのまま私一人だけリーダーができないのは嫌でした。

しかもリートレ2回目になった同期はいなかったので同期との差を感じてしまいそれもショックでした。

このままでは引き下がれないと

「リートレ2回目やらせてください」
と伝えました。


もともと1年目の頃は仕事を覚えるのが
同期の中でいちばん早かったです。

新しい看護技術の独り立ちも一番早かったですし夜勤デビューも他の同期より2ヶ月早くしていました。

その経験があったので慢心していました。
リートレも自分なら乗り越えられると思っていました。

しかし、実際は全くできなかった。
その事実を受け入れられませんでした。

私がみんなより早く独り立ちしていくなかできっと他の同期はその間努力していたでしょう。

自分はどうだったのか。


当時は変にプライドが高かったんだと
思います。
このままでは同期に遅れをとってしまうとか
後輩になめられるとか思っていました。


でもリートレの焦点ってそこではないんです。
自分自身との闘いなんです。

その時点でもう周りと差がついていましたね。


できなくてもいいじゃん、次頑張ればいいんだって思えなかった。

できるまで何度だってリートレして、自分自身が満足いくところまで挑戦すればいいんだって思えなかったんです。

リートレ終わった後も毎日泣いていました。
もう完全に負のループにはまっていました。


結婚することが決まっていてプライベートでは幸せなはずなのに仕事では壁にぶち当たってお先真っ暗で人生ってうまくいかないんだなって思いました。

こういう時に同期に相談しても自分のできなさを目の当たりにするだけなので同期に相談するのも嫌でした。

一番憧れの先輩はリートレをしてくれた先輩なので当事者すぎて相談できませんでした。

主任さんやそのほかの優しい先輩に話を聞いてもらっても実際に今抱えている悩みが解消されることはありませんでした。

こんな状況の中で、どんどん自分が孤立しているような感覚になりみんなと距離を感じるようになりました。

たくさん泣いて泣き腫らした顔で出勤しても同期ですら何も言ってくれませんでした。

私も同期には話したくなかったのでそれは都合がよかったのですがただただ辛い日々でした。

限界


そんななか迎えたリートレ2回目。

1回目のリートレの1か月後でした。

それまでは普通にスタッフとして
リーダー業務をこなす同期を横目に見ながら
勤務していました。

リートレを経験したことによって
リーダーがスタッフにどうしてほしいかを知ることができたのでそれはいい経験になりました。

また違った見え方ができたので、スタッフとして働きながらもリーダー業務を知っているのと知らないのとでは働き方もまったく違います。

2回目のリートレは1回目の経験を踏まえて
先輩に言われたことを率先してやることにしました。

急変した患者さんがいたらどうしたらいいのか
スタッフと連携をとるときに気を付けること
業務の優先順位など・・

書き出すとたくさんあるので割愛しますが
リートレ1回目よりはできることが増えたと思っていました。


しかし、初日を終えた後先輩との面談で
「1回目とあまり変わっていない」
と言われました。

自分では1回目よりできているつもりでしたが
先輩からするとあまり変化がなかったようです。

この時に自分はどう頑張っても無理なんだと思いました。

ここでまた心が折れてしまいました。


リートレ2回目の初日にそんなことになり
あと残りの4日間を耐えられる気がしませんでした。

ただでさえ5日勤という連勤をこなし
さらに慣れない業務で身も心もすり減っていき
不安と焦りで睡眠もちゃんととれない状態でした。

「明日もリートレやる?」と先輩に言われたときに、もう限界だなって思いました。

このままできないのに残りの4日間先輩を巻き込むのは申し訳ないですしなにより自分の身が持たないと思いました。


それから私は退職することを考え始めました。


逃避


とにかくこの状況から逃げ出したかった。

リートレを不完全な状態で終了し
このままこの病棟に居続けられるほどメンタルが強くありませんでした。

きっと来年は自分たちより1個下の子たちがリートレを開始しできない自分にまた嫌気がさすだろうなと。

それなら今のうちに環境を変えて
自分に合った場所で新たにスタートすることもできると思いました。

ここまでの考えに至るまで2回目のリートレを終了してから
3ヶ月かかりました。

***

当時の主任さんと話す機会があって
辞めたいと思っていることを伝えたのですが
そんなにリートレが嫌なら指導者を変えてみるとか

部署移動して外来勤務も希望できると言われました。

私が指導してもらっていた先輩は1年目から憧れの先輩だったのでリートレしてもらうなら絶対に先輩が良かったし

先輩のレベルでリートレを完了させなくては意味がないと思っていました。

しかし、タイミングが悪く
私は結婚と引っ越しがあり、先輩は数か月後に外来への異動が決まっていました。

このままここで勤務し続けても先輩とのリートレは完了しません。時間がありませんでした。

この病院に勤めている限り部署移動しても同じことで新たに覚えなくてはいけないことや心労が増えるだけ。

ちょうど年度末ということもあって
翌年度の教育体制について話している最中だったそうで予定外の人員が1人欠けることによる病棟の負担について話されました。

自分勝手かもしれませんが
それを言われても辞めるという意志は揺らぎませんでした。

***

同期にはろくに相談せず自分と夫の将来を考えて家族で話し合いました。

毎日泣いている姿を見てきた夫は
仕事にここまで労力を注ぐ必要はないと言ってくれました。

しかし、私の母は福利厚生が整っていて給料面でも安定している職場を退職することに反対でした。

看護師を志すのも第一志望の大学も就職先も母の希望した道であり私が母の思いを叶えたいと思って選んだ道です。

その道を選んだのは自分自身ですし、看護師という仕事に誇りを持っているので母には感謝していますが

辞めたいと伝えるのはかなりつらかったです。

もう少し頑張ってみたら?そんなにできないの?と言われました。

辛いことがあったらすぐ辞めちゃうなんてこれからの社会で通用しないとか、世間体を気にしていましたが

最後は私の揺らがない意志に母が折れてくれました。

退職

家族と話し合ってから師長に申し出るまでは
そんなに時間がかかりませんでした。

リートレ後から何度も師長とは面談をしてきたので師長はすんなり了承してくれました。

あなたに合った場所で頑張ってね
と言ってくれました。

退職を申し出たのは3月末だったので
そこから1週間もなく私は退職することになりました。

同じ病棟で勤務していた人、同期、お世話になった人たちに伝えるとあまりにも急だったので驚かれました。

こうして私の3年間の大学病院での勤務は幕を閉じることになりました。

まとめ


これまで就職してから様々な壁にぶち当たってきましたがなんとか立て直してやってこれていたのにリートレではそれができずに退職することを選びました。

1回目や2回目の挫折となにが違ったのか考えてみたら

ともに乗り越える仲間の存在がなかったことです。

リートレは人それぞれなので
同期それぞれの課題があると思います。

そのなかで私は一番できていないと言われ
そもそもトレーニングを完了することができませんでした。

相談する場を失い、周囲から孤立してしまったので誰かに助けを求めることができませんでした。

このような状況を
キューブラー・ロスの「悲嘆の5段階」に当てはめてみることにしました。(キューブラー・ロスは死の悲しみを受け入れるまでについて述べており、物事の重大さは異なりますが自分なりに挫折経験を当てはめてみました)

否認(と隔離)・・・リートレに失敗した事実を疑い、孤立する
怒り・・・「どうして自分が」と怒りを覚え、周囲にぶつける→毎日泣いて家族に迷惑を掛けました
取引・・・恐怖から逃れようとして、何かにすがろうとする→現実逃避
抑うつ・・・避けられないことを悟り、絶望し、なにも手につかなくなる→乗り越えなくてはいけないのに何もできない
受容・・・避けられない運命として受け入れ、心に安らぎを得る→自分には合わなかったんだと認め、環境を変えたことで乗り越えた

キューブラー・ロス 「死ぬ瞬間」



自分の経験をもう少し客観的に
とらえられたら

自分の状況を職場の信頼できる誰かに
話せていたら

状況は違っていたかもしれません。

挫折からの立ち直りのプロセスにおいて、他者からの支援が存在するだけではなく、その支援を認識することで立ち直りを促進することを明らかにしている。

挫折経験から立ち直りまでのプロセス―立ち直りを促進する要因の検討―
横浜国立大学大学院 教育学研究科 教育相談・支援総合センター 研究論集 第 18号 2018年

ここでの初期介入は話を聞いて意見を述べるような支援の仕方ではなく
ただ食事に誘って気分転換をしてくれるような介入が大切だと書かれていました。

それによって当事者は一人ではないということを認識することができ
誰かに支えられていると感じることで前を向いていけるようになるそうです。



今回私は退職して新たな場所で再スタートすることを選びましたが


私が独身だったら
先輩の異動がなかったら


その選択は違っていたかもしれません。

最愛の夫と結婚しともに歩む人生を選択したので今は仕事も家事も両立できる職場環境に転職できたことはよかったと思っています。

逆にこの挫折体験というきっかけがなかったら
私は今頃まだ同期と一緒に大学病院で働き続けていたかもしれません。

転職したその後についてはこちらの記事についてまとめているので
興味がある方はこちらもお願いします↓↓


今回かなり長文になりましたが
自分の体験を振り返ることであの時の気持ちを浄化できたような気がします。

大学病院を辞めて2年が経とうとしていますが
人生最大の挫折体験として私の記憶にしっかりと残っていました。

当時のことを思い出すだけで辛くて泣きそうになりますが今回自分自身と向き合うことができたのでまた一歩前進できそうな気がします。

もし私と同じような体験をして辛くて途方に暮れている方の少しでもお役に立てたらうれしいです。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

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