公務員の世界 partⅡ

 友達が職場を退職することになった。
 友達と言っても、かつての同僚である。私はそこで一年三ヶ月働き、彼女は二年働いた。一緒に働いたのは一年間。
 三ヶ月早く入職し、一年間共に仕事をし、契約更新時の再試験で落とされた私以外、他は皆通って二年目の契約を得たのだが、彼女は三年目の契約更新試験を受けなかったのだと言う。
 彼女は電話マメで、私が職場を去った後、突然何度か電話をかけて来ては、何時間も近況報告してくれるような人だった。私は電話をするということが殆ど無い人間なので、彼女のような友人が出来たことは物珍しく、新鮮であった。また、去った職場の状況を逐一教えてくれることは、名残を残して転職した私が抱えていた疎外感を、少なからず薄れさせる役割を果たしてくれた。
 兼業主婦でもない実家暮らしの独身女だが、家での私はそれなりに忙しく、携帯電話を携帯しないせいで電話を取り損ねることの方が多かったのだが、彼女は「出ないからかけるのをやめる」というような態度を一切示さなかった。
 たとえ何ヶ月も連絡が来なくても、一年間彼女の多忙さを見守っていた私としては、焦ることも心配することもなかった。また、私から電話をかけることもなかった。用件主義の私には、都合や状況を選ばないメールが気楽だったからである。
 年度終わりを一ヶ月後に控えたある日、数ヶ月ぶりにその彼女からの電話が鳴った。そろそろ契約更新が決まった頃かと考えていた矢先の電話…。
「試験、受けへんかってん。仕事…辞めます」
 想定外の告白だった。
 仕事が大変なのは知っていた。一緒に働いた一年間、始めこそお互い胸中さえ知らなかったが、感じていた大変さは同じだった。私はいじめ地獄だった三ヶ月を経て、新たな年度を迎えると同時に大幅に入れ替わった人事に、期待と希望を抱いていた。新たな仕事の役割も与えられ、自らの引き出しを増やしながらも、のびのびと働ける環境づくりの一手を担うつもりであった。地獄から天国へ…。しかし良いことは長く続かなかった。暗澹たる職場環境に、私が来る以前から辟易していたらしい管理職が、自らが認める〝強い人〟に付属することで身を守るという、思いがけない暴挙に出たのである。
 前年度の三ヶ月、幅を利かせていたのは何故か臨時職員たちであった。そしてそれを止めることも出来ず、又時に、大きな標的となっていたのがその人であった。
 職場のトップに楯突く臨時職員達…。普通なら考えにくい光景だ。上役が下の人間を攻撃するような事例は今まで幾つも見て来たが、私にとっては初めての事態であった。
 しかし、そういう異例の事態が起こる背景は、しっかりとあったのである。管理職は職場の理念を理解していない。そればかりか、仕事の内容すらわかっていない。その年に市役所の事務職から異動してきたばかりの新任で、まるで畑違いの職場だったものの、当時十ヶ月を経ようとしていたにも関わらず、わからなければわからないなりに〝学習しよう〟という意欲さえ見せなかったのである。
 そんなトップの下で手足となって動くのは、デキる臨時職員達である。しかしいかにデキる人達とはいえ、理解もなく、感謝もない状態で身を粉にして働くことを、必ずしも幸せだと感じられなかったとすれば、黙っていられないのも解らないわけではなかった。
 そうはいっても、このトップという人はかなり独特で、まさに【暖簾に腕押し】を絵に描いたようなタイプ。どんなに攻撃されても反論する余地も無いのは、仕事をしようとも知ろうともしないせいであったが、まるで懲りないのである。私なら心が粉砕するようなことも、右から左へ流すのみ。温厚などという聞こえの良いものではない。鈍感力だけが凄まじく発達しているのである。
 それでも下の人間から攻撃され続けた一年間は、本人なりに苦痛だったのであろう。去って欲しい人達が愛想を尽かして去った後、人事異動でやって来た主任級の正規職員に取り入り、持ち上げ、ゴマを擂って媚を売り、トップ自らそれらに絶大な地位と権力を進呈することで、新しく入った臨時職員や、入って三ヶ月の臨時職員を抑圧し、勤務態度や実績がどうであれ、下が上に楯突けない職場環境を築いたのである。
 一番年若で、更にゴマ擂り媚売りを毛嫌いする協調性に欠けた私は、格好のターゲットとなる。それでも仕事が好きで、それに心血を注ぐことがすべてだった私は、メンタルヘルスのカウンセリングを受けても、悩みに囚われて睡眠時間を奪われても、仕事を続けるつもりでいた。ところが、次年度の契約更新試験で落とされるという仇を受ける。誰もが『まさか』という顔で、私を腫れ物に触るように扱う中で、相談相手となってくれていた素敵な大人は言った。
「昔、役所で働いてた時に聞いたことやけど…公務員は、〝仕事の出来る臨時職員はいらん〟ねんて」
 そんなまさか…である。嘘であれ真であれ、単なる慰めであっても、そんな馬鹿な話があるかと思った。
 好きな仕事を続けられない事実には、身を切られるようであった。しかし残ったところで、私が心静かに仕事に没頭することは難しかったかも知れない。実際、更新試験の受験を迷った時期もあったのだ。それほど私が追い詰められていたのは事実であった。
 私が去った後、一年続けた電話の彼女は言った。
「やっぱりYさん、私あかんねん。ほんま大っ嫌いや!Sさんにも二度と会いたくない!」
 Yさんとは持ち上げられ、権力を持った人であり、Sさんとは持ち上げ、権力を与えることでその陰に隠れて自分を守ったトップである。二人に共通するのは、この職場に於ける数少ない正規職員で管理職であること、そして揃いも揃って仕事をしないことである。勤務中に居眠りし、私用電話に出、デスクの下でスマホをいじっている人達で、共にお喋り好きであった。
 働いていた時、電話の彼女はよく言っていた。
「私、この人無理やと思ったら、自分を嫌になるから、絶対言わないようにしている」
 賢い人だと思った。彼女は私と同じ思いをしていると感じていたが、共有して発散させたかった私と違って、彼女は自分の目に蓋をすることで、嫌なものを直接見ないようにしていた。そんな彼女のゴマ擂り媚売り的態度が時に目につき、私を限りなく嫌悪させたこともあったが、それが彼女なりの、精一杯の自己防衛だったのだ。彼女は無理をして体調を崩してもその態度を貫いたし、私と違ってそれを継続出来る人であった。それ故、退職の報告は私にとって実に意外だったのだ。それを伝えた時、彼女は即答した。
「もう無理やねん。仕事は好きやけど、あそこはあかん、行政はあかんわ」
 ベテランの社会人たちは思うだろうか。社会とはそういうものなのに、何と根気のない輩だろう…と。
 しかし私は若干、ホッとしたのである。
 自分を殺して沿うことが社会のすべてであったなら、私はそこで生きて行けない。同じ蟠りを抱えて、自ら〝おかしな職場〟を去る選択をした彼女を見て、必ずしも自分がおかしいわけではなかったのかも知れない…と、今更必要ではなくなった安心感を手にしたのであった。

 

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