誕生日月不調説 ③
私は基本、中立主義者だが、決して平和とは言えない家庭環境の、現実を目の当たりにして育ったことを思えば、両親に対して中立的立場を貫くことが難しかったりする。それだけ母の影響を受けていることにも自覚がある。今更変えようと思っても変えられないし、変える理由も必要性も見当たらない。それだけの背中を、我が親達は子どもに見せて来たのである。
今年、私は父に贈り物をしなかった。
しかし実際、贈り物を用意はしている。用意していることも伝えているし、どうするのか意向も尋ねている。しかし本人が何も言って来ないのである。
六月に入った途端、父は思い立って片付けを始めた。完全にゴミ屋敷化した自室を、突発的に何とかしようと思ったようだ。こういうことは時々ある。
所狭しと床を埋めていた荷物の山が、そっくりそのまま和室や納戸に移動した。
「片付けるから置いとくぞ。週末の三日間で何処まで出来るかわからんが…」
父の自室以外に父の私物が投入されると、母はノイローゼになる。母だけでなく私もだ。
父の宣言を聴いてはいたが、私は返事をしなかった。
週末の三日間、父が片付けに着手したのは初日だけだった。残り二日は、寝るか食べるかテレビを観るか、挙句の果てに出掛けて行った。収拾がつかず、逃げたのである。
こんなことは今まで何度もあった。物は増えても減らせない。増やせば増やすだけ減らさねば、収納なんて無理である。
周りから見てゴミにしか成り得ないものでも、父にとっては貴重品だ。それがカビだらけのカメラケースでも、黄ばんでボロボロになった新聞記事でも、壊れた電化製品でも…である。
整理に着手するが、収納出来ない。捨てられないので片付かない。どうしようもなくなって現実逃避する。見えているところは少し綺麗になるが、そこにあった物が、本人の見えないところに移動し、同居人の目に触れるところに置き去りにされている。自分は良いが、人に迷惑を掛けていることに、本人は気付かないフリをする。言えばキレるのがわかっているだけに、安易なことを言えない女達の精神状態は、日に日に悪化していく。
手を加えられなくなった荷物の山に吐き気を催し、取り敢えず同じものばかりを分別し、各所に集める。衣類・書類・本・機械関係・その他諸々…それだけ分別するのにまる三日かかった。ゴミらしきものをゴミ袋に詰める。勝手に捨てるとブチ切れるので、断りを入れると、「確認する」と偉そうに言い放った。翌日、ゴミ袋はひとつになっていた。
今年は父の日より、誕生日が先に来た。長い手紙を書く。祝辞に始まり祝辞に終わるが、中詰は片付けのアドバイスである。無駄だとはわかっていたが、書かずにいられなかった。
放置荷物に、配置期限を設ける。実際、納戸の箪笥が開けられない。和室に客も呼べなかった。
プレゼントは片付けが終わった後に渡すと書いた。最中に渡しても放置されるだけ…。開けもせずに何ヶ月も放置されるのは、今までも同じであった。部屋のベッドや扉の外に置かれた、箱や包みの中身も見ない。メモ書きさえおけば良い…そう思っているようだ。下手をすれば置いたそのままになっている。更に上に物が重なるのも稀ではなかった。馬鹿にするのもいい加減にして欲しいが、自己チュー人間とは決まってそういうものだと悟ってからは、呆れはしても怒ることさえ無駄に感じている。
手紙の翌日、ゴミ袋がふたつ増えていた。中を見ると、新品の衣類や冬物小物が山盛りに入っている。全て私が過去にプレゼントした物だった。
傷付かなかったが、情けなくなった。傷・カビ・破損で扱いようのない物も捨てられないのに、人からもらった物を使いもせずに捨てようとする神経が理解出来なかった。
二度目の手紙で、プレゼントの有無を問う。必要としないなら、今年をもって終わりにすると伝えた。相変わらず返事が無いので真意は謎だが、チラシの裏に油性マジックのデカ文字で幾枚にも渡る私の手紙は、二度とも新聞入れに放り込まれていた。読んでもいないのかも知れなかった。
荷物の配置期限まであと二日。放置していれば、寝る場所が無くなろうとも、父の自室へ強制送還する予定だ。贈り物についても、明言してもらわなければならない。
今年のプレゼントは、去年贈って相当気に入り、真冬でも着ていた甚平パジャマの洗い替え二枚、そして革製のネーム入りスマホケースとキーケースだ。
贈り物に〝不要〟の刻印を押された暁には、父のプレゼント用予算を、動物愛護団体への寄付に回すつもりでいる。何もしない後ろめたさから逃れる私の手段であるが、この選択をする方が、無駄が無いばかりか、幸せになる存在が増えることに繋がり、よっぽど有益ではないだろうか…。
自らを抑制し、我慢を重ねた六月も間もなく終わる。
誕生日月の不調から脱しつつあるのか、近頃父は、妙に機嫌が良い。しかし荷物は片付いておらず、手が付けられる気配もない。
女達の抱える堪忍袋の緒がブチ切れるのも、もう間もなくである。