6月8日 ①

 母の仕事が〝待機〟になっていたため、乗じて早起きせずにおいた。犬の食事介助も時間がずれるため、帰って来てくれなければ動けない。当日を迎えても気乗りしなかったが、面接は午後2時半から。早いうちから用事を済ませれば、平日の気分になり、午後からのローテーションが狂うことがストレスになる。極力何もしないことに反って緊張するが、体力だけでも温存しておかなければ気持ちが萎えそうだった。
 たらたらしていると電話が鳴る。昨夜登録した保育関係の求職サイトからだった。
 話しているうちに自己肯定感が消え失せ、絶望のどん底に落とされていくのを感じた。
 広告表示されている求人は一部で、こちらの希望に応じて、マッチする求人を紹介するのだと言うが、経験上、隠されている求人に条件の良いものがないのは想像できる。登録のきっかけになった求人に対する質問だけをしたかった。
 丁寧な対応で、質問に対する謎も大方解けたが、こちらの職務経歴を伝えると、電話の向こうの見えない顔が曇るのを感じた。正規の経験は短すぎる上、私の中では消したい過去。転職が続いたことで記入欄も足りないため、1年以上の経歴しか載せていない。保育業界での経験は長いが、雇用形態はほぼ臨時職員。しかもすべて公立である。
「園によっては、アルバイトなどの経歴は、実務経験と見なされない場合があります」
 十年以上保育業界を経験していても、それが正規でなければ経験ではない。正規と同じだけ業務は宛がわれたし、手を抜く正規のサポート負担が重く圧し掛かり、正規以上に働き、実績を上げた自負もあったが、中身がどうであれ、雇用形態が物を言うのだと言われたようで、悲しくなった。
 激務とストレスでボロボロになりながら、それでもそれが普通であると信じていたし、遣り甲斐を感じながら勤めたことに変わりはなかった。しかし今となっては何の価値も無いのか…。情けなくて涙が出そうになる。
 仕事の無い時代だった。上手く就職しても、ブラックでへとへとになった友人達は、早々に業界から離れて行った。正規枠でないとはいえ、仕事を失うことの方が恐ろしかった私は、1年毎の契約更新に怯えながらも、ずるずると現場に居座り続けた。
 雇用形態が変わり、満了期限が設けられて退職した後も、仕事は無かった。十年以上経っていたが、世の中は就職氷河期を脱していなかったのかも知れない。その言葉が使われ始めたのはここ数年のことだから、当時は自分達の状況をそれほど把握していなかった。世の中がそういう状況だったのだ。
 保育の現場に戻る気持ちは皆無であったが、あまりにも転職に対する展望がない。条件さえ整うのなら、無理をしてでも出来る仕事をするべきなのかも知れないと、視野に入れる覚悟をした矢先であった。私が積んできたつもりでいた実績とやらは、風が吹けば朽ちて消えてしまうような、何の形にもならない時間と労力の無駄だったらしい。
 
 久しぶりに胃が痛くなった。
 昼を食べずに面接に行くことは考えられず、また、食事の準備は母が休みで自宅にいる日であっても、変わらず私の仕事になっていた。
 求職サイトからの電話を切った後、その勢いで応募予定のもう1件に電話をかける。担当に繋がれたが、相手は若いらしい女の子だった。
 応募者が予定以上に集まったため、締め切る間際だったらしい。しかしこちらは既にハローワークから紹介状を発行されているので、応募は可能だと言う。とはいえ、終始戸惑ったような曖昧な応対に、こちらも戸惑いを隠せない。採用担当の事務なのに、とても対応が下手なのだ。書類を送ったところで切手が無駄になる気がしてくる。しかし、しようとしてやらなかったことを後々引き摺りたくない。即、発送出来るように準備しておいて良かったと思った。
 胃痛を押して素麺を茹で、昨夜の残り物をトッピングし、エアコンを効かせた部屋で犬と昼寝をしていた母に声を掛ける。
 無理矢理完食したものの、胃痛が治まらず、食後暫く横になっていたら、食器は母が洗ってくれた。
 時間が押して来たので、治らない腹を摩りながら身を起こす。とうの昔に空になった私のグラスだけがテーブルに残されており、私はそれを洗うためだけにキッチンに寄らなければならなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?