カラオケに行った(2)

エレカシと言えば奴隷天国をよく歌う。室外で騒いでるマナーの悪いグループがいた時、奴隷天国を歌ったら、一気に静かになった。面白かった。

カラオケにはいつも救われている。

高校生の頃、最初の一年間俺は誰とも言葉を交わさなかった。声を出していなかった。急に授業中さされると、声の出し方がわからなくて焦ったりした。そんな俺にカラオケの誘いがあった。今思うとなんで誘われたのか、よくわからないけどついてった。それで仲良くなった。声を出さない日はそれからなくなった。
確か誰も知らないブランキーとか歌った気がする。

大学のはじめの頃、サークルに馴染めずにいたときも、カラオケに一度行ってから仲良くなったのを覚えている。

今のバイト先に早い段階で馴染めたのもカラオケのおかげのような気がするし、思い起こせば小学生の頃、カラオケ大会なるものを主催していた。それはただのラジカセでCDを流して、その上で歌うだけの簡素なものだった。参加者は大体俺だけで、ひとりで山口百恵を歌ったりしていた。小六の頃暗さを取り戻しつつある俺は意地でカラオケ大会に出たけど、いつもと違って足がふるえていた。その頃には他にも出る人がいて、女の子グループが歌うモーニング娘。が優勝した。中学のときも友だちの家にあったカラオケボックスでプレイバックpart2を歌ったことを思い出す。ほとんど女子と交流なんてなかった中学の時、女子と遊んだのはそのカラオケが唯一くらいだった気がする。

友だちが「セーラー服を脱がさないで」を歌った。古い型のカラオケボックスが流す映像には女性の上半身が露わになっていて、まだ思春期の俺と友だちは目を覆って見ないようにした。

小学生のころなんでカラオケ大会をひらいていたのだろう、と思い返すと、たぶん三年の時の担任、山田先生の影響だと思う。彼女は浜崎あゆみが好きだった。気づかいができ、ちゃんと子どもの目線で話すいい先生で、ぼくは先生というのが嫌いなんだけれど、山田先生だけはいい先生だったと言える。多分、小一、二の時、暗かった俺にカラオケ大会を提案してくれたのかもしれない。山田先生は大好きな浜崎あゆみを熱唱していたような気がする。ヒョウ柄の衣装を着て。

暗かったといっても、放課後は異常に明るかった。校門を出た瞬間にハイテンションになっていた。軽い二重人格と言えるかもしれない。その明るさも見抜き、カラオケで学校のつまらなさを軽減してくれたのだろう。ありがたい。

眉村さんの歌はとても難しいものもある。というかその方が圧倒的に多い。眉村さんの歌声が入らないと完成しないように、トラックが置かれていて、しかもそれは単に引き算の美学じゃない。削るところはもちろん削られているが、普通削るようなところを残して過剰な音の集積に襲い掛かられるようなところもある。でもそこに引かれる一本の筋は歌だ。彼女の歌が全体を支えている。だから当然難しい。でも確かに歌声が乗った!と思える隙間があって、そこに向かって声が伸びていくとこんなにも気持ちいいものなのかと思える。

気づくと「眉村さん」と言っている。B’zファンの人って必ず、「稲葉さん」「松本さん」と形容する。それを不思議に思っていて、何なら眉をひそめていたのだけれど、今なら気持ちがわかる気がする。

中三の頃からaikoが大好きで、大尊敬してるけど、さん付けしようと思ったことはない。っていうかライブ中もみんなアイコーって呼ぶし。眉村さんが距離が近いからかと思うとそういうことでもない。aikoに会ったことはないけど、距離を近く感じさせてくれる人だからだ。よくわからないけれど、多分眉村さんのことは見上げている。そういうと優劣があるみたいだけど、そうじゃなくって、何というか、上空が生息域だから上を見上げているというか、トンビとか大体上にいるのと同じような。

aikoはカラオケであまり歌わない。歌えない。それにaikoの声で聞きたい。軽やかさが欲しい。あれを軽やかに歌えるのはaikoだけだ。それでも酔っ払ってボーイフレンドを歌うことがある。気持ちよく歌いたいから、声を出せる限り歌う。

aikoに対するリスペクトを最大限に込めて、叫ぶ。

 Ahhhhhh!

軽やかに歌うことなんてできない。歌い上げるもんでもない。もっと生々しく、俺を今まで救ってくれたaikoに感謝を込めて叫ぶ。

 テトラポット登ってー!!

さっき友達が銀杏boysを叫んでいた。それよりももっと激しく俺は叫ぶ。

 てえっ!ぺん先ぃ!!睨ー!!!

やっと落ち着いて

 んで宇宙に靴飛ばそうー

そしてまた!


aikoには絶対に聞かれたくない。



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