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選んできた道は一方通行なのか

休職に入って4ヶ月が経った。
経過はあらためて書いてみたいと思うのだけど、
私のうつは双極性なので、抑うつ→躁→抑うつ→躁の繰り返しの日々。
休職期間中はこのサイクルが早く短く
正直疲れてきたというのが今の心境というか、ふっとでたため息のような言葉。

いわゆる躁の症状?である、
ギャンブルしたり、散財したり、急にキレたり…
そんな症状は一切なく、
むしろ、根拠のない自信に満ち溢れていて、
ちょっとした全能感。
これが躁うつのよくある気分だったとはつゆしらず。

生まれてから歩いてきた道を振り返ってみると、

  1. 生まれる

  2. 幼稚園に行く

  3. 小学校に行く

  4. 塾に行く

  5. 部活に入る

  6. 中学に行く

  7. 高校に行く

  8. 大学に行く

  9. 就職する

  10. 転職する

  11. 結婚する

  12. 子育てする

  13. 働き生活を支えていく

こんな普通のライフイベント自体が躁状態でないとできなかった。
つまりは、何か特別なことで躁状態になっていたというよりは
一般的なこの道を歩くことが、ものすごいパワーが必要だったってことで、
心躍るビジョンがあるわけでもなく、使命があるわけでもなく、
ただ歩くってことが自分にとってものすごく大変なことだったかと。

躁という山、うつという谷

右肩上がりのように、躁で武装して山を登るたびに、訪れれるうつの谷。
登れば登るほど、そのあとに訪れる、すとんっと落ちる感じ。
うつのタイミングがくるたびに
自分を戒め、叩き起こし、あらたな山を目指し、V字回復を狙うスタイル。
躁って確変状態みたいなものだから、まあ結果はそれなりにでるんだけど、
その先には、いつも、なんか何と戦ってるんだろう?という虚無が佇む。
今回の休職は、あとづけであるが、そんな虚無と向き合う良いきっかけになった。

親に迷惑をかけたくない
周りに迷惑をかけたくない
妻が望むことを叶えてあげたい
子供が喜ぶことをしたい
困った人に支えになってあげたい
そんなとめどない、感情だけを頼りに歩いてきた。
でも、いつも自分の声から耳を塞いでいた。
自分のためよりも、他人のため。
それが自分のためだと思っていた。

歩きてきた道は一方通行なのか

ときに、もう、どうやらそれも終わりらしい。
自分が自分らしくあろうとすればするほど、
今までの自分の行動ができなくなる。
あたらしい自分への期待からくるすっきりとした気持ち以上に、
自己否定による不安が沸き起こる。
歩いてきた道が一方通行であることを否定できない事実として
自分の不安を助長していくのだ。

もし引き返すことができたら?
そう考えるようになった。
過去に戻る、タイムリープということでは勿論なく、
ひとつひとつ、自分の思っていたことをたどるように
この道を戻ってみる。
目を閉じて、呼吸をしながら、客観的に自分の動きを見つめてみる。
そうすると、いろんな分岐点での選択は、
けっこうやり直しがきく、そう思うことがある。

極論、体が動くうちは、そう、なんでもやれるんだろう。
自己否定から目を背けるための、美談を語るための分岐点は
今から修正すればいい。
今の道から、自分の道を作っていけばいい。
もうやなねばならなかったという一種の暗示に頼らなくてもいいように思う。
前だけみずに、後ろも横も上も下もみて
キョロキョロしてみればいい。

休職して4ヶ月。
どうやら良い方向に向かってきている実感が湧いてきた。


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