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越境 コーマック・マッカーシー

THE CROSSING
Cormac McCarthy



「だが老人は狼の考えることが分かる人間などいないといった。」



ぼくは、心臓に穴があいた。


コーマック・マッカーシー、人間様の世界〜邪悪、正義、嫉妬、暴力、死、神を描く作家。
ついこの間お亡くなりになってしまったそうな。
死んで、彼はどこへ行ったろう。。。

「暴力」を描く作家として、映画でも有名な作家と。
ものを知らなすぎるぼくは、彼を知らなかった。
この小説の表紙にオオカミが見えなかったら、きっと手に取ることはなかったろう。
なんせ666ページもあるってもんだ。
666、獣の数字だ。
嫌な予感するよね。

そう、表紙にある通り、狼の話だ、少年と牝狼、うわあ、面白そう。。。
「美しく残酷な青春小説」ってとこにビタビタ嫌な予感がする。

しかしね、あれだ、ニンゲン、怖いもの見たさっていうかさ、「ミテハイケナイ」と言われるとさ、断然見たくなるもんなんだよね。
そんなんで読む前から悪魔的なものにとっ捕まった気分でさ、ページをめくったら最後引き返せやしない。
これが「コーマック魔界」だ。

あのね、もう、瀕死の重症よ。
ぼくね、もう、心臓発作?でのたうちまわったさ。
ハヒッ!ハヒッ!って、過呼吸?ゾナハ病?そんなやつ。
しかも風呂場で。
そう、風呂で本読むタイプよ。
危うく溺死よ。

あのね、くだんの「少年と牝狼」の話はね、全体の三分の一もないってもんだよ、早くも188ページで恐れていた嫌な予感的中なんだ。

アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァアアアアアアアアア!!!
ぼくは死んだ。
彼のライフルはぼくの心臓に風穴をあけた。


コーマック氏ね、非常に哲学的な内容を盛り込みながらも目の前に世界が見えてくる描写の上手さ、美しさ。
少年を通して「世界の在り方」を思考するビルドゥングロマンだ。



「狼が嗅ぐ世界、味わう世界とはどんなものだろう。狼の喉を潤す生血は鉄臭いねっとりとした彼自身の血とは違った味がするのだろうか。神の血とは違った味がするのだろうか。」


195ページの「少年と牝狼」の世界ときたら、まるでジャック・ロンドンの「白い牙」だ。
狼に話しかける少年、人間を怖がって震える狼。
けれど、今回は、絶対権力を持つ保護者(神)であるスコットの旦那はいない。

神の不在、救いのない世界、少年は無力だ。
そう、ぼくは無力だ。
守りたい者を守れないこの「無力さ」に悶絶だ。
少年は確かに無力だった、けれど、情け容赦ない世界に対して彼は異様なほど冷静に見えた。
16歳の彼は追い詰められ、どうしようもなくなった時でも淡々としている。
その物言わぬ静かな深い悲しみが残酷なほど胸を裂く。
ぼくは狂ったように咽び泣く。



「神を信じない人々は神に見放されていても安逸に暮らしていけるかもしれないが、神の声を聞いた者は神なしにはどんな生活も考えられずただ闇と絶望があるだけだからだ。」


ボンクラのぼくには「ツァラトゥストラはこう言った」がボヤァと頭をかすめる。
「神は死んだ」、だ。
早くも、188ページの時点で「神は死んだ」さ。
しかしだね、この後も待ったなしの怒涛の悲劇の乱れ撃ちときたもんだ。もう、穴だらけよ、身も心も。


何度も言うけど、195ページで早くも嫌な予感大当たりで息の根止められたもんだから、その後の悲劇はゾンビ状態で漂えたさ。
でもね、もう、そりゃあえげつないことこの上ないからね、逆にこんな風にどこか「美しさ」すら感じられるように物語れるってすげえなって思っちまう。
途方もなく残酷なのに「清さ」漂うんだよね。
この「清さ」があるからこそ、エログロ御免のノミの心臓ぼくでも読めるってもんだ。



「老人はいかなる直感によってか、祝福されていると同時に危険きわまりない場所に立っていた。それが老人の選んだ場所であり態度だった。」

これが、かの「超人」か?
ぼくにはわからない、ただ、「危険極まりない場所」に立った時にしか味わえない幸福があるのは知っている。
世界を照らす光が「点」になった時だ。
悲しいかな、そんな状態は長くは続かない。

この小説は「人生=世界」についてをひどく考えさせる。
「善かれ」と思ってしたことが酷たらしい結果を招くという。
自分の思い通りにならないどことか、どんどん酷くなる世界において、それでもそこにい在ることしかできない不毛さ。


死んだ者の名前を呼び、語りかけろ、と、墓掘り人は言う。
悲しみを死なせないように。

「それがどんなものでも甘くしてくれる薬なのだから。」

と。これは恐ろしい麻薬だ。美しい夢に溺れる麻薬だ。

そういった物語はおのおのが自分勝手に残ったものだけを材料に作るまやかしの世界だ。残骸から。骸から。死んだ者の言葉から。

「しかしそうしたものからどんな世界をつくりあげたらいいのか?そうしてつくりあげた世界のなかでどう生きたらいいのか?」

記憶は嘘をつく、真実はない。
夢に現れる愛する者は、実は見知らぬ者だ。

「世界が在り続けるためには日ごとに糧が補充されなければならない。」

そう、世界は生きている、新鮮な食べ物がなければ飢え死にしてしまうんだね、世界は「過去=死んだもの」なんかでは生きられない。



「人生=世界」に「家」はない。
帰るべき「ゴール」はないんだ。
ただ、フラフラ漂うしかない。
「世界」において、全ては繋がっているようだけど、その繋がりは脆く、いずれは見えなくなる。
全てが現れては消えてゆく。
それらが「世界」を、「物語」を創っている。


「われわれはみんな時の犠牲者だということだな。…従ってわれわれ自身が時間だということでもある。われわれはみな同じだ。束の間の存在。不可解な存在。無慈悲な存在だ。」

世界は時間だ、世界は移ろう。
ゆえに、過去を想う人の世界は死んでいるんだね。



ぼくは、死んでる。

地獄暮らしになってから、ずっとゾンビとしてやってきたけど、この腐って悪臭を放つ心臓にマッカーシー氏は風穴をあけた。
ショック療法なのかひどくスッキリした気分だ。
せっかくきれいに吹き飛ばしたその風穴に新鮮な糧を与え、世界を養っていかねば。



神は死んだ、けれど、ぼくは生きるために新しく物語らねばならない。
世界は「生きもの」なんだから。


「あのすべての生き物を生み出す豊かな母胎(マトリックス)が鼻先の空気のなかにまだ漂っている、星明かりに照らされた夜の山を疾駆する狼を瞼の裏に描こうとした。…神によって秩序づけられたそのあり得べき世界のなかで、狼は他と切り離されずに彼らの一員として存在していた。」


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