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犬物語 ジェイムズ・ヘリオット

Favourite Dog Stories
James Herriot



「ヴィス・メディカトリクス・ナトゥラエ(vis medicatrix naturae)」


ヤサシイ。。。ヤサシイ。。。

ぼくみたいなハンパにひねくれた者はこう言う本ばかりを読んだらいいさ。
なぜか、「イヌ」と一緒にいると、みんなやさしくなる。

イギリスのヨークシャー。
農場ばかりのど田舎の獣医ヘリオット先生。

「獣医になりたいと思った時、ほんとうになりたかったのは犬の医者だった。そうすれば一生を犬とともに過ごせるだろうと考えたのだ。」

そんな犬好きのヘリオット先生の診察記。
医師なのに時に科学が及ばないことを認め、「自然治癒力」のスゴさを謳うのがヤサシイ。
なんとなくローレンツの「ソロモンの指輪」のように、ユーモアのあるヤサシイこのエッセイ風の小説は、もちろん事実を元にしているゆえ、読む方もどっぷりヘリオットワールドに漬かれるってもんだ。
このど田舎ののほほんとした雰囲気の描写がたまらない。

ぼくが一番好きなのは「ジェイク」だ。
風来坊のロディがサイコーだ。
乳母車に乗せたものが彼の全財産であり、もっとも大切なものでそれ以上は何も望まない、そこにもちろん愛犬「ジェイク」も乗っている。
酒もタバコも欲しがらず、外でジェイクと一緒にいることが何よりも好きなロディ。風来坊なれど、器用で清潔で礼儀正しいロディのことが皆大好きなんだ。

「自分の世界を大事にするひとなのよ、あのひとは」

そんな欲のないロディの一番大事なモノはもちろん「ジェイク」だ。
そのジェイクが急に発作を起こして倒れた時の恐怖がつらい。
ジェイクは彼の最愛の「道づれ」だ。
ヘリオット先生だけじゃない、ぼくも癲癇かもって思っちまったさ。
でもよかった、ジェイクは癲癇じゃなかった!

口笛を吹きながらまたジェイクと共に行くロディがいいね。


読んでるとさ、まるでこのイヌ好きな人々と一緒にいるような気になってくる。みんなそれぞれ自分のイヌが大好きで、本当に大事な相棒で、彼らのためにできる限りのことをしたいと真剣に考える。

イヌとニンゲンの関係って不思議だなあとつくづく思う。
イヌはどうしてなのかニンゲンが好きでたまらないようだし、ニンゲンの方も彼らがぞばにいることでやっていける。
ニンゲンのくせにニンゲンとうまくやっていけない人も、なぜかイヌとは仲良くやってたりする。時に人と人との繋がりもイヌが取り持っているみたいにすら思える。

かつて、人間嫌いの偏屈なぼくを変えたのもこの不思議な動物だった。
彼が隣にいることでぼくの根深い「眉間の皺」は消えた。

なぜかイヌは人間同士を近づかせる。
彼らを連れて歩いていると、なぜか皆あいさつしあう。
人だけだったら声もかけない場面でも、イヌがいると話しかけたりする。
移住したぼくはこの誰も知る人のいないところに来て、未だかつてないほどたくさんの人と挨拶するようになった。
実に気持ちのいいことに、ここらの人は皆「イヌが好き」なのだ。
毎日挨拶すれど、ぼくひとりだと気づかれなかったりする。
皆、ぼくではなく「イヌ」に挨拶しにくるのだ。
そうして、「イヌ」に引き寄せられた人々は皆、「やさしい顔」をしている。
そう、「イヌ」は人をやさしくさせるのだ。

ぼくの隣に「イヌ」がお座りしているだけで、通りすがる車に乗った人はやさしい笑顔を見せてくれる。
そんな笑顔を見ると、ぼくもうれしくなる。

この汚れちまった欲深いサル世界において、「イヌ」のありがたさが沁みる。

「嘘」をつくことが全てのサル世界において、「嘘」のない唯一の関係。
ヒト同士の関係は良くも悪くも「嘘」が必要だ。
けれど、イヌとニンゲン、この原始的な関係においては、異様に発達した脳がつくりだす「嘘」というものは必要ない。
彼らは「明け透け」だ、すると、ぼくらも「明け透け」になる。
人には決して見せれない「弱さ」をさらけ出せる、「嘘」で隠す必要がないのだ。
この原始状態が、このキチキチの世界を生きるための緊張状態を緩める。
「ホッと」するんだ。
彼らがキラキラした目でぼくらを見上げる時、そこにどんな「嘘」があるだろう?
そんな複雑で面倒くさい「駆け引き」など微塵もないのよ。
見た通りだ、「ソレチョウダイ、ソレチョウダイ」だ。
あんまりキラキラ期待しているもんだから、こちらが申し訳なくなるってもんだ。

前も考えたけれど、「ペット」というのを善しとしない人もいる。
動物にも「自由」をと。
けれど、こうも人間が充満した星において彼らの「自由」とはなんだろう。
もはや、「自由」にする場所がないのだ。
ニンゲンという生物はどうにも、不完全な生き物だとぼくは感じる。
この地球の頂点捕食者たるリーダー性を欠いている。
己の制御の仕方も知らず、「欲」に抗うことができない地球を蝕む哀れなジャンキーだ。
そんな「阿呆」に他者を慮る気持ちを教えてくれるのがペットとしての動物だろう。
ペットを飼ってもまるで「他の種」を思いやれない人も多いだろう、けれど、思いやることを学べるヒトもいるのだ。
それこそが、唯一、この地球上でニンゲンが「他の種」とうまくやっていく可能性を育てるものじゃないかな。

動物を、動物園や動画で眺めるだけでは決して得られない、この「家族」として彼らに「共感」することでニンゲン以外の生き物もニンゲンと同じ「感情のある生き物」であると学ぶことができるのではないかな。

人は「家族」以外には冷淡になる、「殺人」のニュースを見ても、「へー、怖いねー」くらいだろう。食肉動物が殺されても「へー、怖いねー」くらいだろう。
けれど、自分の愛でてる〇〇ちゃんが殺されたらどうだ?
泣き叫けばないかい?

ぼくは、思う。
このさえ擬人化でもなんでもいい、地球上のニンゲン以外の生き物のことを、己のことのように感じれる想像力を育てることが人類が救われる唯一の方法だ、と。

こういう本を読むと、改めて「他の生き物を想う喜び」を教えられる。




「しかし、ひとつだけ絶対に確かなことがありますね。あなたがどこへ行こうと、この動物たちはあなたの後をついて行くということです」


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