執筆者「pop3214」は杉山沙耶佳氏か

論壇net皇室ちゃんねる菊ノ紋ニュース、と活躍したHTML表記pop3214は何者か。振り返ってみよう。

皇室評論家 角川武弘

6月5日付。これがpop3214初の筆で、「皇室評論家 角川武弘」の署名。他で見ない名で、いかにも偽名めく。立派な?肩書を付けた辺り、盛り立てたい意識が滲んでいる。
加えて、やとりえのHTMLに「武弘」が出て来る。「やとりえ」に潜む「武弘四ツ谷」で取り上げた。やとりえとの縁を窺わせる名だ。

コメント欄を見ると、さやか氏が1番で入れている。時刻は2:32 PM。ソース表示を見ると、記事の掲載は協定世界時の05:12なので、9時間を足して日本時にすると午後2時12分であり、20分の差と判る。勿論、同じ日だ。読むだけで5分は掛かるだろう。早過ぎる、とまでは行かないにしても早い。
さやか氏について、コメント常連「さやか」は杉山沙耶佳氏かで取り上げた。論壇netの管理人のろだん氏の木霊の如きコメントばかりで、ろだん氏からも贔屓にされている、と評判だった。

杉山沙耶佳氏といえば、やとりえの絵師、やとけい氏だ。やとりえの通信販売を担う株式会社ガレオンの代表でもある。

杉山氏について、執筆者「ss」は杉山沙耶佳氏かでも取り上げた。そちらに貼らなかった記事を紹介する。

6月1日付、署名は文/編集部。これがssの最後の筆。入れ替わる如く、5日にpop3214が現れた。勿論、これだけでは同一人の根拠として弱いが。

冒頭と同じpop3214による5日付、やはり角川署名。論壇netでは異色の論調で、非難に負け5月29日に一旦「引退」した四ツ谷武和氏の後継といえる。その時までの四ツ谷署名の3記事は、全てssの筆だった。

10日付。上よりも刺激を抑えた、「角川氏」による真っ当な文だが、これでも論壇netでは異色の姿勢だった。

12日付。投稿/角川武弘に変わった。何処となく余所者感が滲む。これが「角川氏」の最後の登場だった。真っ当な内容だが、コメント欄では評判が悪い。

この間にpop3214には、角川署名での小室母子を批判する記事が1つ、文/編集部での記事が1つあった。更に別の「名」で1つあるが、後で述べる。
「角川氏」は総じて、秋篠宮家誹謗と雅子様礼賛に満ちた論壇netの論調と一線を画していた。しかし閲覧者の支持を得られず消えた辺りは「四ツ谷氏」と共通する。
サイトの幅を広げるべく登場させたものの、既に煽られた閲覧者に受け容れられなかったのだろうか。或いは、盛り上げる為の咬ませ犬かも知れない。
特別な狙いを任されたとすれば、ろだん氏から信頼されていた様子が窺える。

ろだん氏は、やとりえ館主氏と同一人の様だ。やとりえで組む杉山氏なら息も合うだろう。

冒頭の記事に話を戻し、pop3214さやか氏が共に杉山氏なら、自分の記事への別人を装ったコメントであり、自演だ。勿論、断定できないが、論壇netなら、あっても可笑しくない。

四ツ谷武和

6月16日付。「四ツ谷氏」は論壇netで異色だった。HTMLを見ると、ssが3度使い一旦引退、甦りろだん氏が2度使う。そしてpop3214による当記事が最後だった。論調は変わらない。

執筆者「ss」は杉山沙耶佳氏か、で書いた様に、四ツ谷氏の「引退」事態が茶番だった。加えて、複数人で同じ「四ツ谷氏」の名を使い回している。更に、pop3214自身が「角川氏」、「四ツ谷氏」など複数の名を使い分けている。この内幕が漏れてはならず、外部の寄稿者とは考えられない。
例えばHTMLでYDT9khFzYllXvWUが、当初のT・Yから偽りの愛国を誅す!と改めた時は、その旨を記されている。余談だが、YDT9khFzYllXvWUは、澤田竜夫氏と思われる。

「四ツ谷氏」の名を使ったのは、pop3214の他には、ろだん氏とssのみ。sspop3214が同一人ではないか、ろだん氏なみに運営で重い立場だったのではないか、との感を強める。即ち杉山氏ではないか。

なお、この間にpop3214は、文/編集部で4記事を書いていた。論壇netにしては手加減した文が多い。
この後は秋篠宮ご夫妻の会見のあった21日までに7記事を書いており、次第に激しくなった。

安倍ミカ

6月23日付、安倍ミカ氏の初登場で、pop3214の筆。もはや他の筆者と厳しさが変わらない。

7月25日付。同月の安倍署名の最後の記事で、pop3214の筆。この組み合わせは1ヶ月ほどで16記事。「安倍氏」には「四ツ谷氏」の様な立ち位置の個性は無い。美智子様への誹謗が並んだのは偶然。

6月30日付。安倍署名だが、HTMLを見ると、ろだん(管理人)とある。「四ツ谷氏」と同じく、2人で共用。

7月11日付。閉鎖後にキャッシュをアーカイブ化したので表示が崩れている。お陰で?HTMLを見るまでもなく、日付の右に、ろだん(管理人)と出る。
ろだん氏による安倍署名は、これが7月中の最後で計7記事。なお、8月は事情が異なるので後に述べる。
「安倍氏」の名をろだん氏と共用していた辺り、やはりpop3214が信頼されていた様子が窺える。

皇室の未来を憂う

7月3日付。「寄稿/皇室の未来を憂う」とあるがHTMLはpop3214。外部寄稿なので筆者をHTMLに記さず、清書者を記した可能性もある。しかしT・Y / 偽りの愛国を誅す!氏の場合はHTMLでYDT9khFzYllXvWUとなっており、論壇netでは、寄稿でもHTMLで筆者を記している。よって「外部寄稿」と称するだけで、実際はpop3214が書いたのだろう。
この記事でも赤文字で寄稿を募っており、筆者不足で悩んでいた気配があった。弾みとすべく「実例」を創作したのだろう。これまた、外部の者に知られてはならない内幕だ。

直前の6月30日と7月1日にもアフリカ系韓国人氏による「寄稿」があった。こちらはHTMLではろだん氏であり、自身のサイト、秘密の音楽館付設研究所の怪しさがろだん臭くて笑える。

令和万歳

7月4日付。「寄稿/令和万歳 さん」とあるがHTMLはpop3214。2日間で2つの名を使い分けている。「さん」を付けたのは、お客さん風情を強めたかったのだろうか。やはり赤文字で募っている。
本気で募ったのかも知れないが、論壇netの異常さへの批判も強まっており、運営の外側にも同じ意見がある、と思い込ませたかったのかも知れない。
中学生になり半年も経たぬ未成年への根拠に乏しい誹謗であり、殊に悪質な記事といえる。もはや悪名高い三神由佳氏と変わらない。

10日付、これもpop3214。この記事では寄稿を募っていない。加えて、これがpop3214による「外部寄稿」の最後の筆。前日から天 我による海外王室ものが始まっており、何か路線が変わり、外部寄稿の募集を止めたのだろうか。
「外部寄稿」自体が、この後は26日の「一ノ瀬 隆」名義の、ろだん氏による1つだけ。これは右翼誌『月刊Hanada』への宮本タケロウ(竹本ヤミロウ)氏の寄稿に連動したもので、特別な事情といえる。

文責主筆

6月11日付。HTMLではpop3214で、「角川氏」を使っていた時期。署名は何と「文責主筆」だ。当然、管理人の使う名であり、これまでは全て、ろだん氏が書いていた。誤記でなければ、ろだん氏からの信頼の表れだろう。

7月18日付、これもpop3214による「文責主筆」。例えば「三神由佳」の名をろだん氏とkattann2525こと高木克俊氏が共用した。しかし高木氏は「主筆」の名で書いた事はない。
ろだん氏の他に「主筆」の名を使ったのはpop3214のみであり、運営において特別な存在なのだろう。
ついでだが、これが「主筆」名義の最後だった。

「安倍氏」を使っていた頃は、既に触れた様に並行して、皇室の未来を憂う令和万歳、の名で「一般投稿」を装っていた。加えて文/編集部、更に無記名もある。個々の記事に色合いの違いもあるが、「安倍氏」自身に個性も無いし、違いを一々取り上げる必要もあるまい。
並行しての幾つもの名の使い分け自体が信頼の現われだろう。

7月30日付、pop3214の筆だが無記名。8月の再利用を除くと、これが論壇netでのpop3214の最後の筆だった。
前々日の28日にも2記事を書いているが共に無記名で、文/編集部を入れない理由があるとも思えない。忙しくて入れ忘れたのだろうか。
27日に菊ノ紋ニュースが始まり、pop3214も29日から書いている。丁度、論壇netで筆の無い日に当たる。

8月の論壇netでの再利用

ろだん氏の1日の呟き。この様に論壇netを手放した振りだった。しかしHTMLでは、ろだん(管理人)が閉鎖まで続く。
記事も特に4日から再利用が増えるが、同じ文でも署名やHTML表記が変わっている例がある。

4日付、サイト名が「ろんだん」に変わった。HTMLでは、ろだん(管理人)であり、日付の右に出る。下の過去記事の再利用。

7月17日付、pop3214。どちらも安倍ミカ署名であり、題などの違いもあるが本文は同じ。なぜ再掲時にHTMLの筆者を変えたのか理解に苦しむ。ろだん氏が手放した振りの後だけに尚更だ。

5日付、ろだん(管理人)。先に貼ったpop3214による7月4日付、
悠仁さま「心身不健康」に加え「精神異常」  隠しきれない「愛子さまとの差」の改題再利用。「令和万歳氏の寄稿」から文/編集部に替わった。

12日付、ろだん(管理人)。下の記事の再利用。
この後に出さず、翌13日昼に閉じた為、論壇net最後の記事となった。

7月17日付、pop3214。元々文/編集部であり、再掲時も同じ。元記事のアーカイブは7月24日収録分を貼った。次の28日(日本で29日)収録では「ページが見つかりませんでした。」と出る。既に削除されていた様だ。右上の青い三角印で確認できる。
論壇netでは並の「品質」なので、なぜ削除なのか解らない。甦らせた理由は、秋篠宮家のブータン旅行が近付いたので、それを扱った記事だからだろうか。

皇室ちゃんねる

2019年8月3日に始まった。早速その日の内に、論壇netで紹介が2度も記事化された。

日付の右に、ろだん(管理人)とある。署名はない。

このサイトの記事を見る

このリンク1つを貼ってあるだけの妙な記事だ。踏むと、皇室ちゃんねるなるサイトの同名の記事に飛んだ。
別のサイトなのに何の解説もなく、身内でなければ、こんな事をするまい。宣伝の為に、ただリンク1行だけで記事化したのか。
この皇室ちゃんねるは、論壇netと同じ13日に閉鎖した。故に今リンクで飛んでも見れない。

同じく日付の右に、ろだん(管理人)とあり、署名はない。
不思議な色の玉手箱に宮内庁から抗議があり、閉鎖に備えて新「不思議な色の玉手箱」を作ったとの事。
妙な事に、「不思議」を「不思議」と間違えている。また、本来のサイト名の皇室ちゃんねるの名を載せない。

不思議な色の玉手箱の経緯は複雑だが、ともあれ4月の「復活」以降、論壇netと連携していた。論壇netと不思議な色の玉手箱の関係で取り上げている。

既に半年前の2月に、ライブドアブログの皇室ちゃんねるがあった。

2月27日付、最後の記事らしい。論壇netの記事、【小室圭問題】旧皇族・竹田恒泰氏「男らしく手を引きなさい」を紹介している。

皇室ちゃんねるでは「管理人の一言」として、「興味深い情報がいっぱいでした」とあるが、トラッキングコードが論壇netと同じなので、ろだん氏のサイトだったと判る。要は自演だ。ただし、アーカイブの仕様でコードは残っていない。

8月3日からのサイトに話を戻す。こちらはワードプレス。副題に「~不思議な色の玉手箱~」とある。ライブドア期のhttpからhttpsに変わったが、ドメインは同じ。

玉手箱も、論壇netとの関わりが深い。加えて、玉手箱の3日付の記事には抗議の件など載っておらず、後日に書き加えられた。一体どうやって3日の内に事情を知ったのだろう。完全に繋がっているとしか考えられない。発足を記事化してまで紹介された点も含め、皇室ちゃんねるもまた、論壇netの支部といってよい。丸ごと身内といえる。

アーカイブは閉鎖後にトップ画面のキャッシュを採ったもの。表示が崩れているが、お陰で?筆者pop3214の名が出ている。11日から閉鎖の13日までの10記事のみの表示だが、全て1人で書いている。

4日付、2日目に当たる。日付の左側にpop3214と出る。コメント欄の上に前日の初記事、愛子さま学習院大への進学決断!天皇ご一家のお心遣いが共感の嵐!、のリンクが貼られており、やはりpop3214とある。
10日ほどで閉じた為か痕跡が少ないが、少なくともpop3214の他に筆者は見当たらない。

これは玉手箱の3日付。当節冒頭の論壇netの記事と同じく単に、皇室ちゃんねるへのリンクを無造作に貼っただけの記事。上で取り上げた、コメント欄の上にリンクを貼っている記事だ。
アーカイブには残っていないが、キャッシュではHTMLにpop3214とあった。つまり玉手箱でも、pop3214の筆があった。宣伝の為の特例かも知れないが、兎も角も加わっている。

玉手箱の3日付の最後の記事であり、恐らく夕頃だろう。これを見て論壇netの運営が皇室ちゃんねるを知った、というのは成り立たない。特に当節冒頭のは論壇netの3日付の初記事であり、午前中だ。
また、記事末に太字で宮内庁からの抗議を記しているが、後日に加えられたものであり、3日の時点には無かった。よって、当時この記事を見て皇室ちゃんねるが始まった、と知る事は出来ても、抗議や危機について知る事は出来ない。当節2番目の記事の情報源たり得ない。

皇室ちゃんねるでは初日、例のさやか氏が早速コメントしていた。そして論壇netでも久々にコメントしている。相変わらず論壇netのトップをリンクさせて青字にしていた。圧力とやらを真に受けて嘆いており、記事への同調ぶりも変わらない。残念ながら残っていないが。
pop3214さやか氏が共に杉山氏だとすれば、皇室ちゃんねるでも自演だ。驚く事でもない。

論壇netと、皇室ちゃんねると、それぞれのpop3214が別人と見るには無理がある。ろだん氏の牛耳る2つのサイトで、別人に同じHTML表記を使わせる必要がない。今なら欺瞞の為に誰も彼も「編集部」で誤魔化したりもしようが、当時は別だ。
皇室ちゃんねるも結局、論壇net玉手箱と同じ13日に閉じた。逃げ場の筈が共倒れるのも不思議だが、兎も角も新たなサイトを1人で任された点からも、pop3214に対するろだん氏からの信頼を見て取れる。

菊ノ紋ニュース

7月29日付、3日目に当たる。当初のHTML表記はpop3214だったが、10月に全員が「編集部」に書き換えられ、区別が付かなくなった。先立ち、8月半ばにpop3214からrionmmeに書き換えられていた。
以来、幾つもの署名を使い分けており、この点も変わらない。adminからの信頼の現われだろう。adminもまた幾つもの署名を使い分けており、rionmmeと共用しているものが多い。
pop3214 rionmmeへの信頼という点で、ろだん氏とadminは共通する。そもそも別人である保証もない。

3月2日付。やとりえの活動を暫く休むとの事。絵を描きたいから絵載せサイトを休む、とは理解し難い。案の定というか、pop3214改めrionmmeは、菊ノ紋で4月になっても文/編集部として書いている様だ。
やはり誹謗記事を書くのに忙しくて絵を休むのか。

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目次など: 論壇netの運営に迫る

お読み頂き、ありがとう御座います。『論壇net』が閉鎖して時も経ち、世の関心も薄れるなかで『菊ノ紋ニュース』など別のサイトが同じ問題を繰り返しているのが残念です。ろだん氏たちの悪事を妨げるべく、ご支援を頂ければ幸いです。