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名も知らぬきみたちへ

 僕の友人はこぞってネットの不透明さにおびえている。可愛くない小動物だ。それを理由にSNSをやってない率が高すぎて『令和ってなんだっけ?』と首を傾げてしまう。勿論言ってることは分かるんだけど、僕からすればオンライン(ネット)もオフライン(現実)もさして変わらないし、寧ろその不透明さこそが日々の刺激だよな、と思うのだ。

 かつて僕が中学2年だった頃。友達募集掲示板で繋がった人がいた。そこは暇を持て余した中高生のたまり場だったので自己紹介も「中2男、音楽好きです」みたいな粗雑な内容で溢れていた。

 その人はハンドルネームと女性という情報以外明かしていなかったが、悪い人ではなさそうだったのでアドレスを交換した。

 最近ハマっている曲や昨日観たテレビの話などひどく他愛もない話題たち。それだけで十分暇つぶしになったものの、ある日、お互いの顔も知らないね、となり顔写真を交換することになった。送られてきた写真は綺麗なショートカットの女性だったけれど、だいぶおねえさんだなと思って年齢を聞いたら30歳だった。

僕は返信をやめた。

 そしてそれ以降、おねえさんからも連絡は来なくなった。

 あの時のおねえさんの年齢くらいになった今、改めて想像したい。中学生男子とメールをする30歳女性について。

 まず、僕に関しては年齢を聞いてひとしきり怖気づいたあと、興味がなくなってしまった。そんな遥か未来に生きる人が現れても知らないとも思った。僕は期末試験への憂鬱や、文化祭への高揚、頭髪検査への恐怖に忙しい。それはおねえさんの生活にはもう全く無関係の日常である。同じ目線で話していたと思ったのに、勝手に裏切られた気分だったのかもしれない。

 じゃあそもそも知り合わなければ良かったのか。否、本来出会えなかったはずの人と出会えたわけだし、こうして相手の返信を心待ちにした数か月の日々は確実に幸せだった。ただその一方で、中学生を相手にする以上、年齢にビビられちゃうのは当然考えられるリスクだし、僕は僕でちゃんと女性に対して失礼を働いて最低だった。

これが正解である。
僕とおねえさんは正しく間違ったのだ。

 それから数年後、僕は高校2年生になった。
 文化祭の日、リア充の熱気やクラスの1軍への気遣いから逃げるように出た屋上で、少女を見つけた。きっと誰かの妹なのだろう、多分6~7歳くらいのその少女は活発そうな見た目をしていた。僕を見るや否や、「あんた、1人?友達いないんだ?」と不躾に絡んできたので、「ちげぇよ、1人になりたくなったのよ」と咄嗟に返した。恐ろしいほどスムーズな会話に自分でも驚いた。

 「背高いけど、弱そう」「君こそクソチビだね」
 僕らのしょうもない会話は優に2時間は続いた。信じられないくらい楽しい時間だった。周りの目を気にしたり、誰かの太鼓持ちもしない、素の自分でいられたからだ。

 「そろそろママが来るから帰るね。あたし、自由が丘に住んでるから。来てくれたら、また遊んであげてもいいよ」

 「はっ、誰が行くかよ」

 夕焼けに燃やされて、良く見えないきっと生意気なその笑顔。僕はどんな顔をしているだろう。見透かされていないといい。

 「じゃーね」そう言って僕の足を踏む。「いってぇ」サッカー選手みたいにわざとらしく痛がってうつむく僕の視線の先で、名も知らぬ少女の影がヒラヒラと揺れるのが印象的だった。

 後日、僕は友達と遊ぶために電車に乗っていた。途中で自由が丘駅に停車することに気づき、しばらく逡巡した後、ホームに降りたつことを決めた。
 改札を出て、しばらく歩くと公園が現れた。遊具が申し訳程度にあるだけの、決して面白みがあるとは言えない小さな公園には、案の定人っ子一人いない。その隅っこにぽつんと設置されたベンチに腰掛けて僕は空を見上げた。
 綺麗な青空だったのを覚えている。相対する僕にはそれが痛かったことも。

きっとあまりにも綺麗だったから、駅に戻る決心がついたんだと思う。

 もしかして、おねえさんもそんな気持ちだっただろうか。息が詰まる毎日で、逃げ道を探した先にあの掲示板があって、そこでアホみたいな自己紹介をぶら下げた僕を見つけた。僕との何でもない凪のような会話は、おねえさんの世界では新鮮で刺激的だったのかもしれない。

 僕からの返信が途絶えた時、その沈黙は青空のように絶対的だっただろうか。繋がりが途絶えたら過程なんかどうでもいい、全部台無しだなんて思っちゃいないか。

 だとしたら、それは違う。無駄足ではない、寄り道なんだ。些末でも喜びがあったじゃないか。微弱でも刺激があったじゃないか。終止符を打った僕が言うのもなんだけど、とても楽しかったよ。あの青空だって青一色じゃなかったよ、そのグラデーションを楽しまなくちゃ。

おねえさん、僕はまだ音楽が好きだよ。最近は映画や小説も好き。
クソチビちゃん、きっともう立派な大人だよね。僕は相変わらず弱そうなまんまです。

今、2人のことを思い出したりしています。

2024年4月5日午後 出先にて 花見がしたい、春。



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