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何度でも読み返したいnote5

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。更新は終了しました(2024.6.10)。
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#家族

姉と弟との10ヶ月間

弟がいる。 それも2人弟がいる。 兄弟3人九州で生まれて、 私は19歳で京都の大学に出ていき、 上の弟も19歳で神戸の大学へ。 我が三人兄弟一番下の末っ子は、姉と弟と違って優秀で地元の大学の薬学部に現役で合格した。 人生24年目、彼はずっと九州にいる。 3人同じ親から生まれてきても性格は全然違う。 一番上の私は冒険好き 上の弟は野心家で、 下の弟は末っ子根性染み付いた現実家。 お兄ちゃんとお姉ちゃんが家を出て行っても、 コロコロと実家で父と母に可愛がられ、 家族の

母と歩けば。

実家を出て二十数年が経つ。 気がつけば、家族で暮らした年月よりも一人暮らし歴のほうが長くなっている。 私もきょうだいも巣立ち、両親は六十代後半で地方へ移住し、今はそれぞれがそれぞれの場所で生きている。 そんな家族も、毎年お盆とお正月には全員で集まる。 両親の家に集合して、たくさんしゃべって、さんざん食べて飲んで、賑やかに過ごす数日間。その楽しい時間の中で私がいつも思うのは、「もう二度と、家族みんなで住むことはないんだな」ということ。 そりゃそうだ、きょうだいにはパートナーが

世界にひとつの距離

年に数回、家族が全員集合する。 地方移住して田舎で暮らす七十代の両親の家に、私たち四十路越えの子どもらが集まり、わいわい過ごす数日間。私もきょうだいもそれぞれ仕事や予定があるので、到着するタイミングや滞在日数をぴったり同じにするのはなかなか難しい。別々に来て、別々に帰っていく、でもできるだけ長く重なるように来る、その暗黙の感じが私はけっこう好きだ。 そんな帰省スタイルが、今年の夏は少し違った。急な出張できょうだいの予定が変わったことで、途中で合流し、同じ日の同じ電車で帰れる

ねぇねぇ聞きたいこといっぱいあるんだけど。

3/18は母の命日です。母は3年前にがんと戦い抜き、62歳の若さで亡くなりました。 noteをはじめたのは、正直なところ、母への気持ちをまとめておきたかったから。 もう3年、まだ3年、か。 4年前の春、ようやく妊娠した。母も大喜びだった。臨月に入り、大阪の実家に里帰りした。産前産後は母に甘えて、身の回りのサポートをしてもらおうと思っていた。こまめにLINEでやりとりしていたものの、里帰りして実際に会った母はどうも体調が優れない様子だった。今まで見たことがない辛そうな表情

冷蔵庫のホワイトボード

高校を卒業して就職した会社は、大変な会社だった。人手不足で、残業も休日出勤も多かった。私が入社2年目の春に、先輩が寿退社。私の部署が人手不足なことは関係なく、ほかの部署の手伝いまで任されるようになった。 本当に忙しかったころは、朝からなにも食べずに出社をして、仕事をしていた。お昼休みの時間になっても、休む気になれず、自席でずっとパソコンとにらめっこ。食欲が湧かなくて、母が作ってくれたお弁当を、一口も食べられなかった。誰にもばれないように、事務所のゴミ箱にお弁当の中身を、こっそ

焼肉よりも君にラブ

娘が生まれる前、私は妻とあることを誓い合いました。 それは、「我が家は子供ファーストにはしない」ということです。 家で流す音楽も、テレビ番組も、映画も、旅行先も、食べるものも、私たちが子供に合わせるのではなく、子供が私たちに合わせるような家庭にしようと決めたのです。 それが今やどうでしょう。 テレビのリモコン権は7才の娘が独占し、リビングでCDをかけようものならうるさいと一喝されて、見にいく映画は「すみっコぐらし」です。 さらに娘は極度の偏食なので、家でも一人だけ

母の隣りは

五月の連休、帰省した実家の庭先でビールを飲んでいたら、母が家から出てきた。育てている花や野菜の様子を見て、水をやって、それから私のいるベンチに腰掛けた。少し横にずれて、並んで座る。 あの花はお隣の○○さんが株分けしてくれたものだとか、来月に入ったらオクラの苗を植えるのだとか、楽しそうに話している。移住したら家庭菜園をやりたいって言ってたもんね、夢が叶ってよかったねえ、なんて思いながら、私はふと気がついた。あれ、私いま、緊張していない。母と二人で居るのに。 そういえば前回遊

親父が死んだ日

もう何年も前の思い出話です。考えて見るとこの世に家族を亡くすことよりも悲しいことはないだろうと思います。ふと思い出したので書いておこうと思います。 *** 何年もずっと実家に帰れず親不孝を続けていた。だがその年は急に都合がついて実家に帰ることができたのだった。家に着き、母親が出してくれたお茶を呑みながら雑談をしているうちに、いつのまにか日が落ちてあたりが暗くなっていた。 しばらくすると玄関の方から親父が帰ってきた音がした。俺が戻ってくることを知っていたようで茶の間に少し