見出し画像

癌が患者家族に与えるトラウマについて

肺癌診断を受けたばかりのたかなしです。

医療費のために小銭を稼ぐべく診断までの経緯を書き綴ったところ、思いの外多くの方に読んでいただきました。ありがとうございました。

たくさんの方がメッセージをくださったのですが、特に、ご自身が癌などの大病を患った経験がある方に加え、ご家族が癌と闘病中、あるいはサバイバーであるという方が何人もいらっしゃって、病気というものは患者だけでなく、その人を大切に思う人々をも苦しめることを思い知らされました。

今回は、私が姉に癌の診断を伝えた際、癌が患者の家族に与えるトラウマについて考えたことを書こうと思います。

私には1歳年上の姉がいます。他の家族とは疎遠なので、親しく付き合っている家族は姉だけです。あと、90代後半の祖父を時々訪ねて行ったりもします。

癌かもしれないと分かってから診断がつくまで、私は姉に状況を伝えることができませんでした。医師や看護師には何度も「もう言った?」「早く伝えた方がいいよ」「一緒に診察に来てもらったら?」と言われました。でも、私は診断が確定していないうちから、つまり誤報となる可能性のあるうちから姉に心配をかけたくありませんでした。これまで大抵のことは自分でどうにかしてきたし、これからもやっていけない理由はないではありませんか。

数年前に父が急死し、昨年祖母が老衰で亡くなりました。父が亡くなった時、私は父と関係が良くなかったので葬式にも出ませんでしたが、父を大事にしていた姉は大層憔悴していました。祖母の葬儀では私たちはともに大好きだった祖母の死を悼み、慰めあいました。姉は家族を大事にする人間です。揺るぎない診断が下される前に、妹まで(全然すぐにではないけれど)死ぬかもしれないと思わせるのは、非常に残酷なように感じられました。

それに、なんて伝えていいかも分かりませんでした。心配させるのは怖かったものの、重荷だと思われるのはもっと怖いので、当面癌については伝えないことも検討しました。病院で緩和ケア科の看護師さんに「伝えないとダメですかね🥺」などと駄々をこねたりもしていました。家族の同意が必要となる手術は行わないことになったので、知らせないという選択肢は可能でした。姉は他の自治体に住んでいるから来てもらうのも大変だし、他の家族に話が伝わるのも嫌でした。

それでも、色々思案した結果、私は伝えるだけ伝えておこうと決めました。口で言うのは難しい気がしたので、メールで。ショックが大きいはずだから、平日は避けて土曜の朝一番に連絡したのは私なりの気遣いです。週末でなんとか気持ちを処理してください、みたいなね。

癌の確定診断を聞いた翌日、早速それを実行に移しました。極めてカジュアルに伝えようと努力した結果が以下の文面です。

できるだけカジュアルに伝えようと頑張った結果

「分かった。頑張ってね」くらいの反応が返ってくればいいなと思っていました。誤算だったのは、何時になっても既読がつかなかったことです。私は疑心暗鬼になりました。本当は読んでるけど無視してるんじゃないの?もしかしてショックすぎて反応できないの?このアカウントはもう使ってなくて、私には新しいアカウントを教えてくれてないの?本当は私のことなんてどうでもいいの!? 明らかに、本心では心配してほしかったのですね。

痺れを切らして、電話をかけたのが20:26のことでした。姉はすぐ電話に出て、のんきな声で「連絡しようかなって思っとったんよ。明日(私)の誕生日じゃろ。一緒にどっかに行こうか」と言いました。

「メッセージしたんじゃけど、見てない?」と私は聞きました。「え?見てない。連絡くれとったん?」と姉は答えました。私は無視されていたのではなかったことに安堵し、癌になったことを努めて明るく伝えました。姉はかなり動揺しながらも、私の説明を聞きました。抑えた涙声の、検査の段階から言ってくれてもよかったのに、とか、一人で頑張ったね、という優しい言葉に、重石が持ち上げられるような気持ちを覚えました。家族に知ってもらい、支えてもらうというのはこんなに安心するものだったのか、だから医師や看護師はしきりに家族のことを持ち出していたのか、と納得しました。

でも、この軽くなった重みはどこに行ったのかというと、今度はそれを姉が支えているのです。姉が他の家族に言ってもいいかと聞いたとき、私は最初、やめてほしいと言いました。でも、姉が「この重みに一人で耐えられるか分からない」と言った時、自分がとても自分勝手な要求をしていることに気づきました。決して私が悪いわけではないけれど、癌患者を家族にもつことで、姉も苦痛を被っており、支えが必要なのです。そして、その支えは苦痛をもたらす当人である私には提供しづらいものなのでした。「それなら言ってもいいよ」と私は言いました。

翌日は私の誕生日で、私たちは一緒に出かけました。姉は高級な店で普段よりとても高い料理を奢ってくれました。癌になるとみんな優しくしてくれるなって思いました。蟹、おいしかったです。一緒に食事をとりながら、姉は、昨夜は癌についてたくさん検索した、ステージIVでも何年も生きる人もいるそうだ、あなたと10年先もこうして過ごしたいと言いました。

私は医師から聞いた肯定的なことを、覚えている限り全部姉に伝え、姉を安心させようとしました。しかし、映画を見に向かう途中、この日に限って1ヶ月ぶり人生2度目の喀血を経験してしまいます。しかも、咳をする度何度も何度も血が出てくるのです。血を吐くのはわずらわしいけれど苦しくはありません。ただ、血を吐く私を姉が涙目で心配しているのは心苦しかったです。私だって血を吐く人なんか見たことないし、目の前にいたら心配です。自分は状況を理解しているけれど、姉は何が起こっているか分からず、なす術がありません。その無力感たるや、想像するだけで悲しくなります。

癌になったことで姉に決して小さくないトラウマを与えてしまったと感じました。これから私の闘病が始まれば更なるトラウマを経験するのだろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。検査の説明を一緒に聞いたりして情報を共有していればこの日のトラウマはもっと小さくて済んだかもしれません。医師や看護師が家族について何度も言及したのは、私だけのためではなく、家族の苦痛も考慮してのことだったのでしょう。

実際、癌の緩和ケアの対象には患者だけでなく患者の家族も含まれるそうです。意図せず大病に巻き込まれるのは、患者本人だけではありません。その家族も少なくない苦痛を覚えます。自分にはできることが限られている中、自分の大事な人が苦痛を感じているのを目の当たりにしたり、いなくなってしまうかもしれないという恐怖を覚えるのは、大きなトラウマです。

姉とのやりとりを通じて、メッセージを下さったり私のことを気にかけてくださっている癌患者・サバイバーのご家族の方々も、患者と同様に傷つきやすくケアされるべき立場にあるのだと考えるようになりました。私などは診断されたばかりですが、これらの人々は長期間にわたって癌が二次的にもたらす苦痛に耐えてきたわけで、尊敬の念を禁じ得ません。また、癌ではない他の難病を抱える方々にもお声がけいただきましたが、先述のことは癌に限らずどの病気でも共通していると思います。患者それぞれとその家族の見えない苦痛・苦悩について考えさせられた数日間でした。

これから治療が始まります。効果があるかは今の時点では分かりません。自分自身のためだけでなく、姉のためにも、治療の効果があることを祈っています。姉の苦痛を抑えるために、今後は積極的に治療の情報を共有しないといけないと考えています。知らないと無駄に怖いですからね。優しい姉が大好きです。姉のためにも頑張って治療に向き合うつもりです💪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?