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エロを小さじ1 《第一話》

《あらすじ》
あなたは『エロティックの素』をご存知ですか? 知らない? これをシュッシュッと吹きかけると、セクシーになれるんですって。
この物語に出てくる島冬美は、このシュッシュッのあと、長谷博史に声をかけられました。恋人ができたのです。『エロティックの素』の効果は本物だと冬美は言います。
えっ、詐欺だろ? 冬美の姉、春香もそう考えて『エロティックの素』の講習会に乗り込みました。そして池上貴史と出会いました。
エロティックの素に効果はあるのか? 詐欺なのか? 恋人たちはどうなるのか?
性的な描写はありません。
エンタメ系恋愛小説です。

《第一話》エロティックの素は、いかが?

 『モテる女になる! セクシーへの最短距離』という講習会は、まるで料理教室のような雰囲気で進んでいる。
 料理教室と違うのは、玉ねぎや人参やじゃがいもを切りながら「モテる女になるために最も重要な要素、それはセクシー」と講師が繰り返し言っていることだ。
「皆さん、世の中には外見が特に目立つわけでもないのに、常に異性を惹きつける女性がいますでしょう。皆さんは、そんな女性を観察したことがあるかしら? 私はあります。そして分かりました。そんな女性からは、必ずと言って良いほど性的な魅力が、セクシーな匂いが溢れ出ていたのです」
 人参を切りながら、講師は言った。
「性的な魅力と言っても、それは肌の露出や異性へのボディタッチなどといったあからさまなものではありません。ほんのりと香るのです。色気は内面から、毛穴からにじみ出るのです」
 肉を切りながら、講師は小鼻を動かした。
「そうですね、お料理でいうところの隠し味。モテる女になるには、小さじ一杯程度のセクシーさ、隠し味が必要なのです」
 西洋漆喰が塗られた壁、天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がる、明らかに高級だと分かるマンションの一室。
 講師の名は、小早川洋子。四十代だろうか、白く艶やかな肌をしており、華やかな容姿をベージュカラーの上品な服で包み込んでいた。
 彼女こそが、さりげなく印象深くオンナを匂い立たせることに成功している女。島春香は小早川の短く整えられた爪を見ながらそう評価した。

「それでは、皆さん。肉じゃがに、これを振りかけますね」
 小早川は舞台上のマジシャンのように腕をくねらせながら、小さなハート型の瓶を参加者全員に見せた。何の仕掛けもありませんとでも言うように、瓶の表と裏まで見せた。
 そして、シュッシュッと、鍋の中の肉じゃがにその瓶の中の液体を吹きつけたのだ。
 無色透明の液体。講習会の最初に説明された『エロティックの素』というやつだ。
 この液体が、自身の性的な魅力を強めるという話だった。あなたもセクシーな女になれますよ、という話だった。成分に関しては、もちろん企業秘密、説明はなかった。

 小早川は、エロティックの素を吹きつけた鍋の中身をサッとかき混ぜてから、満足気に頷き、肉じゃがを器によそった。
「皆さん、この肉じゃが、特にじゃがいもをよくご覧になって。この艶。妖艶な雰囲気。お分かりになるかしら。じゃがいもですよ、ただのじゃがいもが、エロティックの素のおかげで、こんなに色っぽくなりましたよ」
 小早川の高く華やかな声が部屋中に響く。
「はぁ?」
 春香は思わず声を出して笑いそうになった。が、慌てて口を閉じた。
「わぁ、セクシー」
「やだぁ、ホントにエッチ」
 小早川を取り囲んでいた女たちから声が上がったからだ。
 春香は、周りの女たちの顔をこっそりと見回した。皆がみな、女性雑誌にある『寝てみたい男特集』のアイドルを見たような恍惚とした目をしている。
「セクシーなじゃがいもなんて、はじめて」
 溶ろけるような表情で言う女もいる。
 はぁ? 春香は、自分がどんな態度を取ったら良いのか戸惑った。高級感のある和食器に盛っただけで、肉じゃがは肉じゃがだ。液体を吹きつける前となんら変化はない。何がエロティックよ。
 小早川はそんな春香の心を読んだかのように、参加者ひとりひとりの目を覗き込むように見る。
「まさか、このじゃがいものセクシーさにお気づきになっていない人はいないでしょうね。良いですか、皆さん。自分がセクシーになりたい、エロティックな雰囲気を醸し出したいとお考えなら、まずは自分の周りの色気に敏感になること。察知した色気は謙虚な姿勢で受け入れること。それが重要なポイントですよ」
 春香には小早川の言葉が全く理解できなかった。
 でも、周りの女たちはそうだそうだというように頷いている。隣に立っている眼鏡をかけた女など、ノートにメモまでしている。
「今回、なぜ私が肉じゃがなどにエロティックの素を吹きつけたかと申しますと、こんなじゃがいもですら、艶やかに妖艶に変身できると証明したかったからです。では、皆さんのような綺麗な女性に吹きつけたら? もうお分かりでしょう。最上級のエロさを、皆さんは歩いているだけで醸しだせるのです」
 隣からツバを飲み込む音が聞こえて、春香は思わず隣の眼鏡をかけた女の顔を見た。完璧にやられてると思った。小早川の堂々としたトークの力で、眼鏡女はすでに酔ったように顔を赤らめている。 

「さぁ、今から、このエロティックの素を、皆さんにもつけさせていただきます」
 小早川がそう言うと、壁際の飾り物かと見間違うほど直立不動でずっと待機していた若い男たち三人が、ハートの小瓶を持って参加者たちに静々と近づいてきた。三人ともモデルのような整った顔立ちで、全身を黒い服で包んでいる。
「皆さん、本日のエロティックの素小さじ一杯分は、サービスですからね」
 三人の男たちは無言で、微笑む一歩手前の無表情を上手に保ちながら、参加者の女一人一人にハートの小瓶から液体を吹きつけ始めた。シュッシュッ。シュッシュッ。
 参加者たちは首を垂れて、髪や肩で液体を受け止めている。ありがとうございます。セクシーな女になりたいです。参加者たちの心の声が聞こえてきそうだった。
 悪魔祓いの儀式みたい。春香は、鳥肌がたった自分の腕を触った。悪魔に取り憑かれた人に、神父だか牧師だか知らないが、黒い服をきた男が聖水を振りかける、何かの映画で観た場面を思い出した。
 小さく流れるピアノ曲が、厳粛で不気味な雰囲気をより盛り上げている。
 春香の頭にも、エロティックの素が吹きつけられた。冷たい液体だった。

「皆さん。皆さんは、今日、ここから家に帰るまでの間に、男性に声をかけられるかもしれません。それもご縁です。ぜひ、その男性と楽しいひとときをお過ごし下さいね」
 講師の小早川は、優しい声でそう言った。
 そして、キッチンの一段高い場所に移動して、仁王立ちした。
 小早川は、参加者を見下ろし、ハートの小瓶を高々と掲げ、声を張り上げる。
「エロティックの素、通常価格は二万円です。が、今回講習会に参加してくださった皆さまにだけ、特別価格の一万円で提供させていただきます。今なら一万円。半額の一万円です。ぜひ、この機会にお求めになって、エロティックな人生をお楽しみ下さいね」
                
 
 
 


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