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エロを小さじ1 《第七話》

《第七話》池上貴明と運命の女

「背の高い女。ポニーテール。どこだ?」 
 B駅から電車に乗った池上貴明は、ゆっくりと乗客を見回しながら車両の中を歩いた。
 身長約170センチ、目が大きくて、髪はポニーテール、ジーンズと黒のカットソーを着た女を探しながら歩いた。
 今日、貴明が出会う運命の女。

 さっきまで池上貴明がいたB駅前の雑居ビルの一室、ファシナンテの事務所には、貴明を含めて十人の男たちが集まっていた。
「ここにお集まりいただいたのは、本日、恋愛運が最高に良い方々です」
 小早川純也というアドバイザーが、十人の顔を見回しながら言った。
「お目にかかるのは、今日が、二度目、三度目の方もいらっしゃいますね」
 貴明も、ここに来るのは二度目だった。
「二度目、三度目の方々は、過去の恋愛運の良い日に、運命の女性と行き違いになってしまったのでしょう。お声かけが上手くいかなかった方もいらっしゃるでしょう。そうですね、異性に声をかけるのは、勇気のいることかもしれません。でも、これも慣れです。初めて自転車に乗ったとき、フラフラして怖かったことを覚えていますか? 何度も練習して、今では何も考えなくても自転車には乗れるでしょう。それと同じです」
 洒落たノーカラーのジャケットと白のTシャツを着た小早川純也は、爽やかな笑顔を見せた。
「本日は、皆さんにとって恋愛運が良い日。つまり成功率が高い日なのです。自信を持って、女性にお声をかけてください」
 参加者たちが頷く。
「では、復唱を」
 小早川純也は声を張り上げた。
「こんにちは。良かったらお茶でも」
「こんにちは。良かったらお茶でも」
 参加者全員が声を揃えて復唱する。
 小早川が皆の顔を見回し、また声を張り上げた。
「あまりに素敵だったので、思わず声をかけてしまいました」
「あまりに素敵だったので、思わず声をかけてしまいました」
 小早川が、もっと大きな声で堂々と、と注意を与えた。
「こんな可愛いくてセクシーな人と、コーヒーが飲めるなんて幸せです」
「こんな可愛いくてセクシーな人と、コーヒーが飲めるなんて幸せです」
 参加者がより大きな声で復唱する。
 恥ずかしさと馬鹿らしさで、貴明は自分の頬の肉が痙攣しそうになっているのを感じた。

「では、これから個別にアドバイスさせていただきます」
 小早川がそう言い、参加者たちは待合室の椅子に座った。
 前回同様、これから順番に名前を呼ばれ、ひとりづつ別室に入り、小早川純也と面談することになる。貴明は、待合室にいる男たちをさりげなく観察した。どこにでもいそうな男たちが、スマートフォンを触りながら、宙を見つめながら、名前が呼ばれるのを待っている。
 
 貴明の順番が回ってきた。別室はスチール製の机と椅子だけが置いてある。
 軽く会釈をして、小早川の向かいに座った。
 前回同様、小さな白い紙を小早川から手渡された。白い紙を見た。汚い字で走り書きがある。
『身長170センチくらい、目が大きくて、ポニーテール、ジーンズと黒のカットソー』
 本日の運命の女性、その外見だ。
「池上貴明さんは、二度目ですね。前回は、お声かけが上手くできなかったのでしょうか?」
「いえ、声をかけて、喫茶店に一緒に行ったのでですが、残念ながは好みのタイプではなく、その後お互いに連絡を取っていません」
 小早川がバインダーに挟んだ紙をを素早くめくった。たぶんそこに、参加者の情報が書いてあるのだろう。最初にネットで記入したアンケートも印刷されて入っているのかもしれない。
 アンケートには、身長体重、職業や趣味、好みの女性のタイプなどの項目があった。
「あぁ、今日の運命の女性は、池上貴明さん好みの背の高い美人ですよ」
 小早川が嬉しそうに言った。

 前回は『身長157センチくらい、花柄のスカート、白のブラウス、色白の女性』と書かれた紙を渡されて「一時間以内にこのキーワードに合った女性を見かけたら、お声をかけて下さい。運命の女性です」と言われた。
 あれから三週間、また違う運命の女性が現れたのかと、貴明は心の中で笑った。
「お声かけで、何か不安な点はありませんか?」
「不安というか、この運命の女性っていうのは、どうやって調べているのでしょう?」
 小早川純也は不思議そうに首をかしげて、貴明の顔を見た。
「だから、運命ですよ。最初にご説明したように、私どもはウザキ占いをやっています。繁殖能力の高いウサギが占ってくれるのです。キーワードを書いた紙をウサギが選んでくれるのですよ」
 ウサギね、貴明は心の中でまた笑った。
「僕の、前回の運命の女性は、背の低い目の細い女性でした。今回は背の高い目の大きい女性。運命の女性のタイプは、毎回変わるのですか?」
「池上さん、人は日々変わる。もちろん運命も日々変わるのですよ。また、池上さんの好みのタイプが、その日の運命の女性とは限らないのです」
 小早川純也は顔に貼り付けた爽やかな笑顔を崩さないまま、資料のバインダーを閉じた。これ以上の質問は受け付けないということだろう。
「では、池上さん、運命の女性と出会えますように」
 小早川はそう言って、机の上に置いてあったエロティックの素の小瓶を素早く手に取り、シュッと貴明の胸元に吹きかけた。

 前回、貴明が『身長157センチくらい、花柄のスカート、白のブラウス、色白の女性』を見つけたのは、B駅から電車に乗ってすぐだった。
 カラフルな花柄のスカートが、人の少ない列車内でとても目立っていて、すぐに見つけることができた。
 その日ファシナンテの待合室で見た十人の男たち、そのなかの数人がそれぞれ女に声をかける姿も列車内で確認できた。
 あの日、貴明も花柄スカート の女に近づいた。貴明は、女と向かい合って話すことを苦手としていない。生まれてから一度も、女だからということで、緊張したことなどなかった。
「そのスカート、素敵ですね」から始まって「お茶でも飲みませんか」までスムーズに進行した。そう、スムーズすぎるくらいスムースに。
 貴明は思う。電車の中で知らない異性から声をかけられて、通常、女性は気を許すだろうか? ナンパされてすぐについてくるだろうか? ストーカーや不審な人物が起こす事件を誰もがよく耳にするのに、見ず知らずの男に、たとえお茶だけだとしても、そう簡単について行くだろうか?
 なぜ、ファシナンテが示唆する運命の女性は、声をかけた男たちについて行くのだろうか。
 父さんも言っていた。声をかけたら、あっさり喫茶店に行くことをオッケーしてくれたと。
 貴明にとって、ファシナンテの言う『運命の女性』は謎だらけだった。
 花柄スカートの女と喫茶店に向かい合って座ると、池上貴明は質問を始めた。
「失礼ですが、今日は、どこでなにをしていたのですか?」
「なぜ、僕の誘いにすぐに乗ったのですか?」
 つい尋問のような口調になってしまった。
「今日は、お料理教室に行ってました」
「えっ、誘われたから。お茶ぐらいならと思って」
 貴明を上目遣いに見ていた花柄スカートの女は、次第に怯えたような目をして、何を訊いても、首をかしげて黙るようになってしまった。
「あなたは、エロティックの素を知っていますか?」
 最後に貴明がそう訊くと、花柄スカート の女はビクッと肩を震わせ、顔を赤らめ、店から出て行ってしまった。

 貴明は、さらなる情報が欲しかった。どうしても、この出会いの謎を解きたかった。
 だから、花柄スカートの女とは残念ながら上手くいかなかったとファシナンテに連絡した。
 二度目の『恋愛運が良い日』の連絡が来るのを待ったのだ。

 そして今日。
『身長170センチくらい、目が大きくて、ポニーテール、ジーンズと黒のカットソー』の女は、電車の中で、怒ったような顔をして立っていた。
「あの、良かったら、お茶でもご一緒させていただけませんか」
 貴明は、前回と同じように声をかけた。 
 ポニーテールの女は振り向いて、一瞬だけ驚いたような顔をした。
「ええ、いいですよ。お茶だけなら」
 薄く笑った。
 女のその笑い方が、貴明の癇に障った。唇を歪めた、馬鹿にしたような笑い方だったからだ。
「じゃあ、次の駅、終点で降りて、コーヒーでも飲みましょう」
 貴明は女の表情に気づかなかったふりをして、そう言った。
 ファシナンテに提出したアンケートには、好きな女のタイプを記入しなければならなかった。貴明は悩んで、自分の母親を思い浮かべながら書いた。
 つまり、大嫌いな女のタイプ。高身長、派手な容姿、大きな目、勝気、と記入したのだ。その大嫌いな女のタイプそのものが、今、目の前にいる。
 終点の駅前にある喫茶店に入った。テーブルが壁で仕切られていて、半個室のようになっている店だ。落ち着いて誰かと話しがしたいとき、貴明がときどき利用している店だった。
 向かい合わせでテーブルについた。注文を訊きに来た店員に、二人ともコーヒーと言った。
「池上貴明といいます」
「島春香です」
 お互いに名乗り、一呼吸置いて、
「なぜ?」
 二人同時に同じ言葉を口にした。
「あ、どうぞ、あなたから」
 島春香に譲られた。
 貴明は軽く咳払いをして質問した。
「なぜ、あの電車に乗っていたのです?」
「えっ?」
「始発駅から乗ってきたのですよね? その場所で、あなたが今日、何をしていたのか、教えていただけませんか?」
 今回は、尋問のような口調にならないように気をつけた。
「私は……講習会に参加してました」
「講習会? 何の?」
 島春香に睨みつけられた。大きな目が強い力を放つ。
「あなたこそ、何をしていたのですか? なぜ、私に狙いをつけたのですか?」
 きつい口調で問い返された。
 貴明は、少し考えてから、思い切って訊いてみた。
「あなたはエロティックの素を知ってますか?」
 春香が大きい目をより大きく見開く。
「知っているどころか、さっき、吹きつけられました」
「僕もです」
「えっ? なんで?」
 春香の驚いた顔を確認してから、貴明は続けた。
「今日は、僕の恋愛運が良い日だそうです。同じく、今日、恋愛運が良い男十人がB駅前にあるファシナンテという事務所に集められて、ひとりひとり講習を受けました。今日の僕の運命の女性は、身長170センチくらいの、目が大きくて、ポニーテール、ジーンズ姿の女性。その女性に声をかけるようにアドバイスをもらいました」
 春香は息をのんだ。
「身長170センチでポニーテール、って私のこと? 何、それ? 気持ち悪い」
「そうですよね。気持ち悪いですよね。だから、僕は知りたいのです。あなたが今日、参加した講習会は何ですか?」
「私が参加したのは、モテる女になる!セクシーへの最短距離、という講習会です」
「モテる?」
「別にモテたくて参加したわけではありません。以前、妹が参加して、エロティックの素を買わされているのです。私は詐欺ではないかと疑って、その証拠を掴むために来たのです。私は、講習会に参加した女性たちに声をかける男性たち、つまり池上貴明さん、あなたも詐欺師たちの仲間だろうと思っているのです」
「あぁ、なるほど。僕は仲間ではありません。それどころか、僕自身、運命の女性が、つまりあなたもファシナンテが用意した『サクラ』もしくはファシナンテの一味なのではないかと思っていました」
 二人で顔を見合わせた。
「どうやら、僕たちは二人とも、この作られた出会いのカラクリが知りたいようですね」
 春香がうなずく。
「僕とあなたの、情報交換をしませんか?」
 

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