何とかなるさぁ、好きならねぇ

ボクは、パリでお世話になった方がいます。その方は、露木誠さんです。
カレは、東京のヘアーサロンで勤めている時の副店長で、お互い、原宿・神宮前で近所付き合いができる仲の良さで、ボクの上司でもあり、僕の銭湯屋でもあったので よく風呂を入れてもらいに伺う事もありました。
ボクのアパートは、3万円風呂なし、お墓と隣り合わせで、気にしないラップ現象が定期的に起こった物件。
今だから、言えるのは、真夏 夜中、近所の小学校の校内プールに忍び込んで スリルしかない水浴びをするほどの悪友でした。ちなみに、ボクにしては、銭湯気分でした。
そんなある日、千駄ヶ谷にある、中華そば屋で露木さんとバッタリ会い、
数日間後、露木さんが、パリに向かって パリでヘアーの創作をしたいと聞かされ、実は、ボクも2ヶ月後 ロンドンに語学留学を決めていましたので その話で
紹興酒片手に盛りに盛り上がりってたこともありました。お互い、違う国なので もう会うことはないねぇと言って別れた最後の日でした。
それが、びっくりしたのが、今でも覚えています。ロンドンの地下鉄のグレーラインのジュビリーラインで露木さんの友人を地下鉄電車の中で本当に偶然にバッタリ会えたんです。たまたま、地下鉄電車の同じ車両の中で、パリの露木さんの電話番号を教えてくれたんです。それも、ボクが、パリにロンドンから移動する1ヶ月前のことでした。ボクのGFと約束していたパリ新生活があるが為に決まっていた計画。これで、ボクと露木さんの点と点が、線になった時でした。それからは、1ヶ月後、パリに到着して 露木さんとの何か縁のある再会。パリのマレー地区のBHVデパートのそばに住んでいた露木さんに再会。お互いのパリ・ロンドン生活の面白い話で夜が明けるまで話した事を覚えています。
フランス人のこと、パリの生活習慣のこと、パリのヘアー界の事、色々と伝授をして頂ける事になったわけです。
この時に感じたのは、露木さんという強い味方、GFの支え、芸術の街パリで、何かできれば良いかもと実感した頃、ワクワク、ドキドキさせてくる感情、しかし、フランス語は、話せないボクでした。もちろん、ろくに英語も話せません。
言葉なんって生活していれば、何とかなるさで乗り切ろうと思っていました。


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