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【Twitterまとめ】自分が生まれた意味が分からなくなった日の事。

小2に頃に、母親から「私はお前の前に一人、後に一人、中絶している」と突然説明されて、私はたまたま運が良く生まれてきた存在みたいな劣等感を植え付けられた話は、もう書いたかな。これを機に吐き出したい。

私が小2、姉が小4の時に引っ越しすることになって、荷造りと片づけをしていた時に、母親に「ちょっと見せたいものがある」と呼ばれてた。行くと、母親が見せてきたのは中絶手術した時の書類だった、2枚。当時8歳の私はそんな意味も分からなかったが。母親が私と姉に説明したのがこう

・1人目の男の子は死産だった、お腹の中で死んでしまった
・二人目がお姉ちゃん
・お姉ちゃんのすぐ後に赤ちゃん出来たけど、年子は恥ずかしいって親戚に言われて中絶した
・その次の年に出来たのが私、2歳差ならいいと親戚に言われて産んだ
・私の後にもう一人できたけど、子供は3人もいらないので中絶した

当時、中絶の意味も分からなかったけど、赤ちゃんできても産まないで、かぎ針みたいな器具でお腹から全部出しちゃうの、まで説明された。この意味は大きくなって段々理解した。なぜ小2で、8歳で、そんなこと私は聞かなくてはならなかったのだろうか。

姉と私は、母親が異常に比較して育てていたので大変仲が悪く、姉からはそれから毎日

「お前じゃない妹が別に2人も居たなら、別の妹が良かった。お前が中絶されればよかったのに」

「私はお兄ちゃんが欲しかった。最初の子が生まれていたら、子供は二人だったからお前はこの世に居ないね」

とずっと言われ続けていた。簡単に言うと私は毎日死ねと遠回しに言われていたのだが、発言していた姉はそこまで分かっていたのだろうか。他にも色々クソ過ぎだったから想像するのも無理。

この記憶は長い事、自分がなぜ生きているのか分からなくなった原因でもある。わからなくて母親に尋ねたこともあるけれど、それは【あなたがお母さんを選んで生まれてきた】という誕生学みたいな論理でその場では片付けられた。実際は母親だか誰だか知らないけど選別されていて、それは凄くどうでもいい理由だったようで産んでやったんだから言う事を聞け、という感覚もずっと母親から受けていた。自分以外の死んだ子供のことが頭からずっと離れないで大人になった。今、自分が親になって子育していて分かることは、まともな人間はあんな話は口が裂けても子供になんか絶対に言わない。墓まで持っていく秘密のはずだ、ということ。

自分が親になって分かったことは「自分の母親は人間じゃない」ということ以外、ない。おわり。

いつか詠んだ短歌は、この話から出てきたイメージだった。

反響の多かった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしますのでオリジナルを多少改変しています。)

投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。