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【Twitterまとめ】毒実家がメシマズで、ゴミ屋敷化している話

毒親がメシマズあるあるなんだよね…。料理でもコミュニケーションがとれない。

毒実母は、焦げと濃い味付けはガンになる!と異常な拘りで、味付けを殆どしない。トーストも焦げ目つけない乾いた食パンみたいに仕上げる。私は高校時代から自分が食べるもの自分で用意してたんだけど、毒実母に横から見られて

「そんなことしたらガンになる!」
「そんなもの食べるとガンになる!」

と大騒ぎされて、作ってる横に張り付かれて喚かれて、食べたら死ぬ死ぬ言われ続けるから自分の部屋で食べてた。家で普通に飯食えないって、病むよ。実家時代の食卓は、負の記憶が残りすぎてる。あと弁当にまつわる負の記憶とか。弁当に関しては別の機会に書きます。

毒実母は金銭管理も食材管理も出来なくて、(何らかの発達障害がある可能性)昔から冷蔵庫は腐った野菜が一杯だった。今の実家はゴミ屋敷。

今から5~6年前、父が大病を患って入院手術の後、帰宅したら暫くリビングにベッドを置いて療養したい(寝室が階段をあがった2階だったため体力面を考慮)とのことだったが、呼ばれて相談された。『家がゴミ屋敷になっていて、ベッドを入れるようなスペースがまるでない、助けてほしい。』仕方ないので行ったらこの有様だったって時の画像です。夫と一緒にベッドを設置するスペースを作りに行って、そのあと2~3度通って家中のゴミをぶち捨てたり色々する過程で毒実母と衝突しまくり、豹変した毒実母が病み上がりの父に掴みかかったりして滅茶苦茶だった。その時に私は毒実母に「死にたい」と言われて「死ねよ」って答えたんだった。思い出したくないのであまり書けない。画像、載せますね。

TwitterにUPしていなかった画像もせっかくなので追加します。

台所、ものの中に食卓が埋もれているのは分かるのかなこれ。

リビング、ピアノが埋もれてる。もう使えない。

階段はものだらけの中を、進まないと二階に行けない。

2階の寝室1枚目、押し入れはパンパンで布団を入れるスペースなどなくて、万年床。あまりにも汚くて撮った、毒実母が寝てる場所。毎年この畳にはダニが酷く湧いているのは昔から聞く。枕の上はカーテンレールにかかった大量の衣類。

2階の寝室2枚目、この部屋は確か8畳の和室なんだけど、この画像の時は布団1枚分のスペースしか開いてない。父親が入院中だったので、父親の布団が敷かれていたスペースは物が侵食して消えていた。周囲は物がこのくらい積み上げられていて、二面採光なのに奥に見える窓は何年も雨戸さえ開けてない。

2階寝室3枚目、毒実母が長年使っているはずのタンスだけど機能してない。衣類は古着屋で異常な量買い込んで、ゴミ袋に入れてその辺に積み上げてる。

台所、ガスコンロ前。調味料は10年前の物とか余裕である。とにかく収納は中身がパンパンの状態で開かなくなってる。

冷蔵庫の前、かろうじてスペースはある。この辺は片付けた時に、買い物してきた生鮮食料品を放置してそのまま地層に埋もれさせていたので、腐った食べ物が大量に出てきて床がカビだらけだった。というか家中カビだらけなんだけど、あらゆるゴミ袋(毒実母はこれを収納と呼んでいる、何でもゴミ袋に入れて積み上げる)を触れると手が真っ黒になる。掃除機は獣道のようなスペースだけかろうじてかけている。それでも水回りの消毒だけは命懸けでやってて毒実母は自称・潔癖症なのでキッチンハイターの在庫は大量にある。

食卓。もう機能してない。食事をとる時は物を下におろしたりしてギリギリのスペースを空けるとドヤ顔で言われた。テーブルの下も物がぎゅうぎゅうに詰まっている。

これは元、私の部屋だった2階の4畳半。顔の高さまでゴミ袋が積みあがっていた。

この奥の埋もれている棚に、私の学生時代の教科書とか、卒論書くために溜めたデータ類とか、卒業アルバムとか、あらゆる思い出が残してあったんだけど、ことごとくカビていた。大量に諦めて捨てた。卒業アルバムはなんとか、持ち帰ってアルコールで消毒して干して手元に残した。

ここは元・毒姉の部屋だった6畳。もう何が何やら分からないでしょ、この画像。

毒実母が溜め込んだ、何が入っているか分からないゴミ袋は、少し触るとこうして手が黒くなっていく。マスクをして片づけをしていたけど、激しいアレルギー反応で鼻水が止まらず、後日耳鼻科に行ったら後鼻漏って診断されてしまった。

私はこんな実家へ、毒実母から執拗に『里帰り出産をしろ!!!』と迫られていたんだよね。無理だよ本当に無理です。無理なんだよ。出産した数年前はもう少しマシだったのかもしれないけどでも、子供の頃から収納は常にパンパンに溢れかえって似たようなもんだった。部屋の中にゴミ袋の山が常にあった。

こういうゴミ屋敷を作る毒実母は、片付けようとすると「私の所有物に触るな!」「意味があってここに置いてあるんだ!」と、激昂する。片づけを常に妨害されて戦うしかなかった。あの頃、私はどれだけダメージを受けただろう。

精神病んでる人の分離不安からくるゴミ屋敷化は、簡単な対処法はない。治療しないと。毒実母はこの頃は買い物依存の状態で物をため込んで、分離不安の精神状態で物が一切捨てられず部屋にため込み滅茶苦茶にするような感じだったらしい。通販のカタログが大量に届いて、大量に買ってて、目に余るので父親が気付いた時に返品したりしても追いつかないとは聞いた。

改めて書くけど、毒実母の「ゴミ袋収納(あれで収納したと思っている)」は私が生まれた頃から。私が生まれた時に住んでたド田舎の戸建ての広い家も8畳くらいの部屋が天井の高さまでゴミ袋に入った何かで埋め尽くされて使えなかった。

ずっとずっと。謎のゴミ袋が大量につまった家が実家だった。

毒実母が「安く買えた私は賢い」と、リサイクルショップで服をバカみたいな量買ってきて部屋中のカーテンレールにひっかけるので、カーテンレールが曲がってネジが抜け落ちて何度も崩壊する事態になり、父親がポールつけたり補強していた。戸建ての実家は二階に3部屋あるんだけど、そのうち2部屋は補強されたカーテンレールのすべてにぎゅうぎゅうに実母の服がハンガーでかけてあって日が入らず常に薄暗くて電気つけないといけない。ていうか部屋の中もゴミ袋だらけだから入れないけど。

ゴミ屋敷が形成される際の心理に関して一番納得した文章がこれ。繰り返し読んで、自分の部屋が荒れたときよく「部屋の散らかり方と分離不安」考える。私のツイートや反響で出てきた『片付けないのにハイターが好き』は「分裂機制」で説明がつくらしい。

友人知人に「実家がゴミ屋敷」って話すと、わりと冗談みたいに受け止められて「うちの実家も汚いよー」とか、なかなか理解して貰えなかったけれど、この時に思い切って写真バンバン撮ってきたのを人に見せたら

『ゴメン…あなたのお母さんて心の病気…なのかな…??』

と、やっと伝わったけど別に伝えなくてもよかったかな。ドン引きされたし。というか私は人生であと何度、親しい人に絶句されるのだろうか。人に異常性を伝えるために証拠の確保って大事だと思うよ。悲しいけど。

自分の思い出の品、実家に少し置いといたものがカビてダメになってて、ほとんど捨てたダメージは結構大きかったかな。もう私の物も無いし。あんな毒実家二度と行かない。

実家に帰れる、帰って寛げる、思い出の品を見返すことが出来る、そういう経験が出来るのって、当たり前のことでなくて恵まれてる事だと思います、って言ったら卑屈かな。実家存在するけどゴミ屋敷だよ。

本当はもう少し、散らかった部屋と分離不安の話などきちんとまとめて書きたかったんだけれど。画像見ながら思い出してたら精神的にまいってしまって無理だった、ごめん。まだこの話は辛かった。最初に貼った元ツイートには、いろんな方からの充実したリプライがいっぱいついてて読み応えがあるので、そちらの一読をお勧めします。特に同じ境遇の方々からの「家は汚いのに水回りだけ異常にハイターで消毒する謎の毒親」の話は面白いです。

反響の多かった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしてますのでオリジナルを改変しています。)

投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。