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東京一人旅_#2_めぐろをめぐる

夜行バスで深夜23時に岡山を発ち、翌朝8時半に新宿に到着。そのまま小田急線に乗り換え、東北沢駅で降りる。ここでメインの所用を済ませたら昼前になった。

再び東北沢駅から反対方向の小田急線に乗り、新宿駅を経由しJR山手線に乗り換える。次の巡礼先は「目黒駅」だ。
ここの駅ビルでかつて20代の頃、上京直後から2年近くアルバイトしていた。
現在、JR目黒の駅ビルの名称はアトレ目黒だが、当時はサンメグロと呼ばれていた。その中の、とあるアジア系エスニック衣料店で働いていた。

食事はスタッフの休憩スペースで簡単に済ませることが多かったが、息抜きがてら昼休憩や終業後に駅周辺を歩き回り外食することもあった。目黒駅界隈は思い出が詰まっている。

JR目黒駅の東口を出て右に曲がると、目の前にこんな大きなビルが。昔からあったっけ?以前はあったとしてももっと古い建物だったような記憶だ。

なけなしの懐から捻出してお昼に食べた萬馬軒のラーメン、店名は忘れたがカリカリサクサクした衣が美味しかった天丼。仕事終わりにちょっと贅沢して食べたネパール料理。ネイティブな内装が雰囲気あって、ちょっとイケメン外国籍のお兄さんが料理を運んでくれた。寂しいことに、いずれの店舗も今はもう姿を消していた。
そして、職場だったその衣料店も、とうの昔に閉店して久しい。

中でも印象に残っているのが、いまはもう無いインドネシア小料理店。バイト帰りの夜にちょくちょく立ち寄った。
オーナーがインドネシア駐在経験のある日本人のKさん。インドネシア人の奥さんと二人で切り盛りしていた。Kさんは温和で飄々としていながら、思慮深くて芯のある方だった。ジャワ島出身の奥さんは、堅実さと可愛らしさが同居するホッとする雰囲気の女性で、インドネシアの郷土料理がとても上手だった。
お客はインドネシアフリークの常連で埋め尽くされ、カウンターのみの狭い店内はマニアックなインドネシアネタで盛り上がった。

奥さんは今や、目黒地区の別のオーナーのインドネシア料理店にて凄腕シェフとして、大活躍&大出世している。
ランチにこの店に立ち寄り、彼女と再会した。厨房で忙しそうに働いていた彼女は、20年経っても変わっていなかった。異国に来て色々紆余曲折大変なこともあっただろうに、その料理の才をしっかり生かして、底抜けに強く輝いていた。私は、彼女の生命力に胸を打たれた。彼女の前途に心からエールを送る。


お店の名前はチャべ。チャべ(cabe)とはインドネシア語で唐辛子という意味だ。
ランチに選んだのは「Nasi Padang」。スマトラ島パダン料理をベースにしたおかず。全体的にコクがあり唐辛子がよく効いている。

思えば、この目黒の職場で働くことで、インドネシア関連やその他国籍の方との出会いがいくつかあった。
上述のインドネシア料理店のオーナーご夫婦の他、インドネシアテキスタイルはじめ色々なファブリックに詳しい女性。
お店にちょくちょく立ち寄ってくれた埼玉在住のインドネシア人研修生や中東国籍の男性。
大使館勤務のインドネシアの方の身内の少年やそのお手伝いの女性。少年は当時6歳位で、恥ずかしがり屋で無口だったが、ある時突如、私の名前を大声で(しかも微妙に間違えた発音で)呼んでくれたのが可愛らしくて忘れられない。

当時しがないフリーターで、ただただがむしゃらに日銭を稼ぐのに精一杯だったけど、今思えば結構バラエティに富んだ経験をして楽しかったし、この目黒という地で頂いたご縁は貴重で、本当に有難いことだと今更ながら実感する。あの頃大変だったこと辛かったこと泥臭かった事も全てひっくるめて、目黒の思い出は、胸の奥底でキラキラと輝いている。

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