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教育の真髄とは

保幼小中高大専門と、今まで通ってきた教育機関で得たものって「知識」も確かにあるが、その知識伝達に付随する「生身の人間との関わりによる感情体験」だ。

特に教師のあり方、生徒へ向き合う姿勢はインパクトが大きい。何を習ったか内容は忘れてしまっているが、正しい間違いを飛び越えてその時教師から感じた情と熱はずっと身に染み付いていて、私にとって決して枯渇しない生きるエネルギーとなっている。

小学校5年の頃の担任が、新卒間もない若い男性教師だった(Y先生と呼ぶ)。九州訛りのやたら熱く突っ走る男臭い雰囲気のキャラクターだった。こちらは微妙に思春期の入り口。親近感と共に妙に照れ臭いような、ある種の鬱陶しさを抱いていた。

そのY先生が、社会科の授業で一時期、おそらく当時の指導要領(標準の教案ガイドライン)から明らかにズレぎみな教え方をしていたのだ。具体的な内容は「国内の田んぼはどの地域にどれだけ分布しているか?」というテーマにやたらとこだわって、自作の図表などを使って毎回そればかりについて学ばされたのだ。え、今日もまだ田んぼやるの?いつになったら次のテーマに移るの?といい加減辟易していたのを覚えている。しかも純粋な知識として残っているのは「日本の米の生産の多くは東北地方(新潟、秋田など)」ということだけだ。笑
ただ、Y先生の「国内の水田」についての尋常ない執着に近い情熱のようなものがいまだに身体と心に生々しく焼き付いていて、巡り巡って今の私の生きる糧の一部をなしている。

教師から教わったことで歳月を経て残るのは、知識それ自体よりも、人としての情熱やひたむきさなのかも知れない。

(ちなみに、今あらためて振り返ると、この「国内の米生産」のテーマは我が国の「食」のテーマの根幹であり、問題が顕在化しつつある食糧自給のテーマと深く結びついているではないか。実はY先生、当時からとてつもなく重要で根本的な問題提起をしてたんじゃないか?もしいつかY先生に再会する機会があれば是非この真意を問うてみたい。)

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