さみしさの海を泳いで
3度、横顔を見つめて
2度、ゆっくりと触れたあと
「ありがとう」と別れを告げて、抱きしめた。
別れには、いつまで経っても慣れない。
特に今日は、「他を生かすため」の選択だったから、なおさらのような気がしている。
アニメとか、ゲームとかの、「生贄をひとり捧げるか、国が焼け滅ぶか」みたいな場面を思い出してしまう。
大袈裟すぎなのはわかっているけれど。
*
わたしは今日、紫色のラナンキュラスと別れた。
いちばん最初に咲いたそれひとつを、パツンと切って、抱きしめてからゴミ箱に落とした。
別れには、いつまで経っても慣れない。
「もうこの花はどう見ても限界」というところまで傷んでいたり、
「次にはあの花を買おう」と決めていたりすると、開き直れることもある。
でも、今日はそうじゃなかった。
ふたつのつぼみが、無事に開いてきたところだった。
ラナンキュラスを買うと、開花途中のひとつとは別に、つぼみもついてくることが多い。
最近は、つぼみを咲かせることができなかったのだけれど、今回は開いてきていた。
それも、ふたつとも。
しっかりと。
そうなるころには、最初のひとつは傷んでくる。
わたしは花に詳しくないけれど、ひとつのからだで、栄養を分かち合っているのだと思う。
だから、開き切ったひとつを維持しながら、ふたつを咲かせることは、このからだには重たいんじゃないだろうか。
そんな気がした。
最初のひとつとは、もうずいぶん長いときを過ごしたんだ。
花は枯れる。そんなことは、最初からわかっていた。
*
「花は嫌いだ」と言っていたころを、いまでも覚えている。
*
多少は、花と接点のある人生だったと思う。
母はピアノ教師で、わたしもピアノ教室に通っていた。
発表会と言えば、お花。
発表会のたびに、母は花を予約して、一緒に取りに行っていた。そんな記憶がある。
実際に自分が花をもらうか、というとそうではなかった。
花をもらうのは先生で、
その花は、発表会のあいだはピアノの上に置かれて、写真撮影のときには先生の膝の上に置かれた。
「花がないと、寂しいから」
母は、そんなことを言っていた気がする。
おとなになって、ピアノを弾いて、花をもらったこともあった。
そのときの花はずいぶん大きくて、いつもどうしていいかわからなかった。
写真を撮ったあと、ライブハウスにそのまま置いてきたことも、何度かある。
あのころのワンルームに飾る場所はなかったし、なんだか分不相応な気がしていた。
冷たくて寒くて誰もいないわたしの部屋にいるより、ライブハウスで誰かに愛でられたほうが、花もしあわせだろうと思って。
なんて言いながらわたしは、
花をお世話する気力とか、その生と死に向き合うことができなかったんだと思う。
「あなたからもらったお花」が枯れてゆくこと
それは、「特別なライブの夜」から遠ざかっているようで、寂しくてたまらなかった。
だから、会社を辞めたときも「花は送らないで」と言っていた。
だって枯れてしまったら、あの場所で過ごした思い出が遠くなってしまうようで。
誰かが嫌いで辞めたわけじゃなかったから。
あの日代わりにもらったのは、ぬいぐるみだった。
ブリザーブドフラワーを抱えたくまのぬいぐるみは、いまでも変わらずわたしの部屋を見守ってくれている。
*
寂しさ、は強い感情だと思う。
あっというまに、全身を支配する。
溺れて、息ができなくなる。
他のすべての感情を、容易く殺す。
わたしはいつも寂しかった。
旅立つ、そのとき。
学校を卒業するときも、仕事を辞めるときも、引っ越しをするときも、恋人と別れるときも
ほんとうに何かを憎んだことはなかった。
ただ、お別れのときが訪れてしまった。
ほんとうは、寂しくてたまらなかった。
でも、もう知ってしまった。
寂しさが、いちばん強い感情だ。
わたしにとって、これ以上は決してない。
だから、もう決めている。
「寂しさ」を理由に、わたしは決断をしない。
寂しいから、ここにいる。
と、わたしは絶対に言わない。
だってそんなことを言ったら、どこへも行けないし、なんだって捨てられない。
映画の半券だって、もう終わってしまったイベントのチラシだって、めくり終わったカレンダーだって、
わたしはきちんと、愛しているんだから。
*
少しだけ、寂しさと折り合いがつくようになった。
これは、そういう話だと思う。
そうしてほんの少しだけおとなになったわたしは、違う道を選べるようになった。
出会って、別れること。
共に過ごす時間を、力を込めて愛すること。
「別れが寂しいから出会わない」と、わたしはもう言わなくなった。
それは、別れの寂しさを超越したわけではない、と知りながら。
*
ラナンキュラスの横顔を、
3度、見つめて
2度、ゆっくりと触れたあと
「ありがとう」と別れを告げて、抱きしめた。
傷んだ部分を少しずつ落としていたスイートピーも、もう限界だと気づいていた。
「ドライフラワーとしても人気」のエリンジュームは、まだまだ平気そうに見えたけれど、ずいぶん短くなってしまった。
わたしは花の水を変えながら、茎を少しずつ落としている。
そうしていると、花が長持ちするそうだ。花屋で働いていた人に教わったおまじないを、わたしはいまでも信じている。
明日か、明後日には花屋に行こう。
次は、赤いアネモネを育てたい、と思っている。
【title photo】 amano yasuhiro
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