僕たちの北極星

久し振りに、アマノさんとゆっくり話した。

最近あったことの、どうでもいいことをつぶやき合う。
おやつを食べて、にんまりする。
看板のひとつずつを読んで、笑う。
少し眠たくて、黙る。
気が向くと、ふらりと遠くへ行ったりする。

わたしたちは、
少なくともわたしは、このひとの隣で、すこやかに自由な時間を過ごす。
隣を、守られた自由。

今日話したことの、半分以上をわたしは覚えていない。
他愛のないことを話す、それはやさしい時間だった。

覚えていることもある。
大切なこと。
最近考えていること、生き方のこと、最近得た学びの言葉
わたしたちはぐるぐると何度も、そういう話をする。
形は変わっても、話していることの本筋は、なぜだか一緒のような気がする。

わたしたちは、いつもなにか不安だった。

前回話したときより、お互い前進しているはずなのに、”何もしていないことが不安”と思ってしまう、臆病なわたしたちのはずなのに
進んでも、不安は襲いかかってくる。
ずうっと、浅瀬で息をする魚のように

「なんだか、自信が溢れるような人を撮影したら、自然とシャッターをたくさん切ってしまった」というようなことを、アマノさんは言った。
ばかみたいな言葉だけど、と前置きしたうえで、わたしは「きらめき、だね」と言ったら、頷いてくれた。

そのきらめきは、眩しい。
羨望で目を焼かれるような、眩しさ。
それでも、目を逸らせない。

「そういう生き方、だよね」とわたしは言う。

二十代の頃のがむしゃらさは色褪せて、おとなになったような気がして、不安ばかり襲いかかってくる。
このままでいいのか、と何度も問い掛ける。
それでも、

「自分が作ったものが、いちばんかわいいって。言える感じ」
誰かの評価じゃなくって

「そういうものを作って、自己肯定感を上げるような、生き方をしたいよね」
「それだ」と、アマノさんはつぶやくように、だけど鋭く答えた。

どこにいて、何をしていても良かった。
わたしが、わたしを認めてあげたかった。
なにを持っていなくても「これを持っている」と、わたしが、胸を張りたかった。
きらめき、
そういう生き方をしたかった。

それが、わたしたちの北極星だった。

どこにいても、何をしていても
いつも同じ場所に、きらめく
わたしたちは、北極星を目指していたんだ。いつだって

いつだって、空の同じところに北極星はあるのに
いつでも、照らしてくれているのに
わたしたちはどうして、かんたんに北極星を見失ってしまうのだろう。

どうして、足りないものばかり数えてしまうんだろう。

そんなにうまくいくわけはないよね、とわたしたちは指を指して確認する。
そんなに優れた人間では、ないはずだ。
だから、作り続けるしかないよね。と、頷き合う。

わたしたちは、北極星の場所を確認して、それぞれの帰路についた。

また、その輝きを見失うときは、きっと来る。
そんなに遠くならないうちに、きっと。
不安っていうのは、どうしてあんなに、大手を振ってやってくるのだろうか。
いやになっちゃうな。

でも、わたしたちは何度も確認する。
きらめきを求めて、空に手を伸ばす。

わたしたちは何度も、
北極星の場所を確かめながら、歩いてゆくのだ。




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