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たとえ、どこへもたどり着かなくても。

手帳を開いたら、「調べごと」とメモがあった。
ああ、あのことか。と頷く。
大切なことなのに、すっかり忘れていたことに驚く。
大切なことって、たくさんあるうえに、移り変わってゆくのかもしれない。
でもそれは、記憶から遠ざかった何かが、大切でなくなる。というわけではないので難しい。

そういったものを零さないような工夫が必要だ、と気づいたので
様々なところにメモをとる。
手帳はそのひとつで、他にもLINEのリマインダーとか、メモアプリとか、Googleカレンダーとかたくさん。

わたしはほんとうに、いろんなことをすぐに忘れる。
でも、メモを見るとそのときの気持ちも思い出されるのは不思議だ。
そうだ、確かに大切だった。

椅子に座ったところだったので、調べごとを始めた。
いろんなことをついつい後回しにしてしまうけれど、他に今日やろうとしていたこと(手帳に日記を書く、手紙を書く、エッセイを書く、本を読む)よりも、調べごとをするのがいちばんらくなような気がした。
やりたいことしかやっていないのに、すぐに面倒になってしまう。
わたしは毎日、「いちばん面倒でないこと」か「最後に残ったすべきこと」をやっているだけかもしれない。

調べごと、というのも難しい。
わからないから調べているから、なかなか欲しい回答に辿り着けない。
スマホで調べている、という姿勢がよくない。と思ってしまうのもよくないのだけれど…
パソコンに向かっていたり、ノートを開いていたりすると、あとは場所が図書館だったりすると「調べごとをしている感じ」というのは強化されるのに、
スマホに向かっているとなあ。なんて思い込みとか決めつけは、もういい加減良くないよね。考え方が古すぎる。
開き直って、検索ワードを入れる。見つけた単語を加えて、もう一度調べる。ときどき戻って確認する。
これを、何度か繰り返す。

30分ほど経ったけど、結局なにもわからなかった。

なにも、というのは語弊がある。
わたしは手帳に、順々に友だちの名前を書いた。
まずは、同じことをしているAちゃんに聞く。
次は、逆の立場で同じことをしているBさんに聞く。
ここまでやってわからなかったら、専門職であるC氏に尋ねようと思った。
C氏からもらった手紙には、「あなたの周りには助けてくれる人がたくさんいると思うから、きちんと助けてもらってね」と書いてあった。いまでは遠くに住んでいる友達。
あなただって助けてくれる人のひとりだよ。
べつに適切な回答がもらえなくても構わないけれど、「尋ねられる友達がいる」ということに深く安堵した。

そして、手帳にはこう続けた。

調べた結果が「わからない」でも、調べる前より成長した!
わからないことがわかった(・∀・)

ああ、なんという愚直な前向きさだろう。
自分で笑ってしまう。
顔文字までつけて、自分の機嫌を取って、なんとか正当化しようとしているのが妙にわたしらしい。

でもね、それでいいのだよ。
と、やっぱり頷く。

調べて結果が得られることって、なかなか稀かもしれない。
そもそも、そんなに賢くないし。

「わからないから、知らない」と言って逃げていたわたしより、よっぽどすてきじゃないか。
わからないことを学ぼうとした。
そして、次の手立てだって決めた。

なかなか生産性の高い時間だった。と思う。
生産性の高さというのは、自分の心を強く肯定してくれる。
良いことをした、という気持ち。

生産性の高さって、出来高じゃない。
今日は運良くこのエッセイを書き終えることができそうだけれど、
もし、書き終えられなかったとしても。
いま、言葉に真摯に向き合ったこの時間は、決して無駄じゃないよね。
例え、次も失敗したとしても、いつか成果に結びつかなくても。

いくつかの言葉遊びをして、いろんな事象をひっくり返して、
無駄じゃない理由を、わたしなら挙げる。きっとそうする。

だから、今日もよく頑張ったね。
たとえ、どこへもたどり着かなくても。

「調べごと」の横の四角に、「終了」のチェックをつけて、にんまりと笑ってやった。





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