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くすぶる火

実は、禁煙している。

何が、”実は”なんだよ
と、人は言うかもしれないけれど
わたしとしては「実は」以外の切り口を見つけることができない。

実は、禁煙している。

禁煙して、もう1ヶ月ほど経つ。
喫煙歴は15年ほど。
仕事中はほとんと煙草を吸わないけれど、息抜きの数本と、あなたと喫煙所でおしゃべりすることを大切に生きてきた。

ある日、病院に行ったら「禁煙しましょう」と言われた。
次にできることはそれだ、というようなことをやんわりと伝えられ、「わかりました」と言うしかなかった。
不思議と、自分の身体のことはわかるものだ。
風邪に気づかないほどのまぬけさで生き抜いてきたのに。
次はたぶん煙草だ、とわかっていた。
でも、愛していた。
アメリカンスピリット、メンソールライト。
今でも愛している。

「わたしが依存しているのは喫煙という習慣であり、タールとニコチンではない」と信じて生きてきたので、「禁煙って言われたなら、ええそりゃあできますよすぐに」と禁煙を始めた。
あの日、家を出る前に吸った煙草が最後になるなんて思ってなかった。

信じて欲しいけど、あの日から本当に禁煙している。
吸っているのはこれだけで

「わたしのチュッパチャップス」と呼んでいる。

主治医に「禁煙」のひとことをぶん投げられた瞬間、わたしは禁煙を決意したわけだけど、周りには言えなかった。
最近は仕事以外どこへも行かない暮らしが続いていたから、言う必要もなかったのだけれど。
SNSにも書けなかった。
あの瞬間の苦しみ、生活の変化、ネタになることしか起こらなかったのに、わたしはその熱を静かに溜め込んでいた。

禁煙する意志は固かったし、「禁煙に失敗したらどうしよう」という不安はあまりなかった。
するって決めたから。
でも、言えなかった。

禁煙してから2週間ほど経って、友達と喫煙所で会ったときにはじめて「禁煙してンだよね」と告げた。
あのときもやっぱり「実はさ、」と切り出したと思う。チュッパチャップスを引っ張り出しながら。

あれから更に2週間と少しが経って、本当に信じて欲しいんだけど禁煙は続いていて
いま、ようやく言葉にした。
この先のことは考えたくないけれど、主治医の顔を定期的に見続ける暮らしが続くまでは必ず禁煙します。

わたし、煙草辞めました。

つまるところ、「認めたくなかった」
これに尽きる。

認めたくないもなにも、禁煙はしているし、これからも続けるし、意志が弱いわけでは決してないのだけれど

そうだ、別の言葉があるならば、いまようやく「腑に落ちた」ような感覚だろうか。
いま煙草を吸いたいかとか、禁煙してどうだったかとか、そういうのは5000文字ほどいただかないと書けないのでいまは語らないけれど(普段のエッセイは1000〜1500字程度)
ひとことだけ言わせて欲しい。わたしはいまでもアメリカンスピリットを愛している。
でも、禁煙した。
腑に落ちた。
言えるようになった。

いえなかった結婚と
いいたくなかった禁煙

2021年12月3日 11:51

このメモを見ながら、今日のエッセイを書いている。

友達が「実は結婚して、比較的近隣に住んでいる」と話してくれたときのことだった。
(やっぱりこのときも、「実は」という切り口だった)

なんか全然幸せなんだけど自分が結婚した事実を受け入れられなくてなんか言えなかった〜
最近だんだん受け入れてきたけど

もう、人の結婚と自分の禁煙を重ねてしまうのは大変申し訳ないのだけれど重ねてしまった。
そして「わかるなあ」なんて思ってしまったのである。
現状とは違うところの感覚。
「腑に落ちる」瞬間が、彼女にも訪れたのだと思う。
それが「最近だんだん受け入れてきた」ってやつでしょう。
そう、わたしもそう。
禁煙の話で申し訳ないのだけれど。

言えなかった言葉を、「くすぶっている」と感じることが多い。
伝えたいのに言えないとか、
言わなきゃいけないのにとか、
なんとなくマイナスな気持ちで捉えてしまっていたけれど

いいじゃないか、と今は思う。
そんなことに真剣になっちゃって、ばかだなあ。
だいじょうぶだよ、きちんと乗り越えたから。
明日のわたしが、なんとかしてあげましたから。
いまは笑い転げながら、ぐずぐずと燃える日を見ている。

きれいじゃないかもしれない。
苦しかったかもしれない。
でも、わたしにはお似合いでしょう。だって、煙草のけむりに似ているもの。



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