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「俺は煙草に、火をつけた」

どうしても、語れなかった。

わたしが日々連ねていることは、自身の中で「落とし込みが終了していること」で
間違っても夢に出てきたり、咀嚼の途中である内容は書かない。
書かないようにしているというか、それは書くべきではない。書きたくない。

だから禁煙については、最後まで書くことができなかった。

わたしはまだ、自分が禁煙していることについて、あまり納得というか、理解できていない。
確かに、禁煙はしている。
11月の20日くらいから。
「松永さん、禁煙しましょう」という、医者からのひとことですっぱりと辞めた。
病院に行く前の一服が、最後の煙草だった。

「こいつ、昔は煙草吸っててさ、」

家族が、友達にわたしのことをそう説明していた。
「こいつ」という呼び名が気に食わないのはさておき、「昔は煙草吸っててさ」という言葉が、いまいちピンとこなかった。
昔じゃないし。
でも確かに、もう吸ってないんだよなあ。
事実と感情が、こんなにもリンクしていないことがあるだろうか。

いまでもときどき、ほんのときどき、
こうして書いて、最後に書き終わったときに「一服しよ」と思う。
そして、「ああチガった」と思い直す。
でもそんなことだって、この半年近くで数回だった。
禁煙してしばらくは、コンビニで無意識のうちに煙草を買いそうになったけど、やっぱりそれも数回で、買うことはなかった。

新宿に向かう電車に乗ったとき、なぜだか神宮寺三郎のことを思い出した。

わたしも詳しくは知らないのだけれど、おそらく「推理モノのサウンドノベル」みたいなジャンルのゲームに出てくる主人公で、探偵だ。
新宿にオフィスを構えていて、神宮寺コンツェルンの三男。
いま調べたら年齢は32歳だった。
金持ちの三男で、新宿のオフィスで探偵業って、なんかもう、目が点になるような設定だな…

神宮寺三郎とは、大学生のときに出会った。

当時付き合っていた人が神宮寺三郎のことが好きで、一緒にプレイした。
KIND OF BLUE、
あれはずいぶん渋い話だった。
高架下かどこかで、サックスを吹いているおじいさんがいるとか、なんだかそういう物語だった気がする。

ゲーム自体の仕組みは単純で、聞き込みや移動の最中に選択肢が出てきて、それを選ぶことで物語が進行していく。
そして、選択肢の中には頻繁に「煙草に火をつける」という項目が出てくる。
神宮寺三郎は、すぐに”バーかすみ”に聞き込みという名のサボりに行き、そしてそれが終われば煙草に火をつける。
ハードボイルドを気取っているくせに、どうしようもない探偵だった。
少なくとも、我が家の神宮寺三郎はそうだった。
プレイしている人間がどうしようもなかったので仕方がない。

そのくせ、煙草を吸わないと先に進めないこともあったので、困ったら煙草に火をつけるようにしていた。

これが、神宮寺三郎とわたしの物語のすべてだ。

あのころは知らないゲームをする、ということが楽しかった。
「おまえはほんと、好きな人に流されるよな」と友達に言われたことも覚えている。
でも、好きな人の好きなものを知れるのは面白かった。
わたしはあんまり広がりのない興味関心の世界で生きていたから、
あのころはたくさんの音楽を知り、新宿と渋谷と原宿を歩けるようになったのは、このひとのお陰だと思っている。

「好きな人に流されないで、何に流されるの?」と言ってくれた友達のことも覚えている。
「こんなふうに言われちゃってさ〜」と吐き出したら、けろりとそう言われて安心した。
そうだよね。
好きな人の好きなものは気になるし、
わたしだって好きな人がスガシカオを聞いてくれたら嬉しいもの。

それからしばらくして、そのときの恋人とは別れた。

新宿を、ひとりで歩けない女だった。
ひとりのときは不安で、神宮寺三郎のゲームサントラを聞いていた。
「俺は煙草に火をつけた」
その言葉ひとつで、勇敢になれるような気がしていた。

その頃には、もうひとりで新宿を歩けるようになって、「新宿に行けば会える友達」もできた。
そして恋人だった人は、わたしの「新宿の友達」とは友達になってくれなかった。

いまはもう恋人もなく、
ついに煙草も辞めてしまった。

いまは、神宮寺三郎だけが残っている。

いまもどこかで、”バーかすみ”で、路地裏の喫煙所…なんて、もうどこにもないか。
喫煙者には生きづらくなった新宿の街で
もしかしたら探偵事務所も喫煙になってしまったかもしれない。

でも、どこかで
神宮寺三郎が、カミュを飲みながら、煙草に火をつけているならば。

その小さな光だけで、
わたしと煙草は、ずっと繋がっているような気がしている。






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