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次のおしゃべりを用意して、待っています。(note連続更新140日に宛てて)

最近、友達と連絡を取る機会が増えた。

会ってお茶をしたり、
一緒にどうぶつの森をやったり
手紙を書いたりしている。

「note、ときどき読んでるよ」

多くの友達が、そんなふうに言ってくれた。



noteの連続更新をして、140日を越えたところになる。

「無職のあいだは、毎日更新を頑張ろう」と決めた。
何があっても、なくても
きっとその先で、”何か”を見つけられるだろう。
もし、見つけられなかったら、そのときに考えたら良い。

そんなふうに思っていたし、
いまも、そんなふうに思っている。

アクセス数を気にしたり、書くことがないと思ったり、
うまく書けるときも、そうじゃないときもある。
いったいいつまで無職を貫くだろうと不安になるときもある。
「あ、そういえば働いていたときも不安だったなあ」と思い出したりもする。
いまでも、毎日いろんなことを思う。
そのかけらを、少しずつ、言葉にしている。



毎日続ければ、”どこか”にたどり着けるような気がしていた。



それは、「バンドを続けていれば、いつかメジャーデビューができる」みたいな妄想と似ている。
実際に一部の人は、メジャーデビューをするのだろうけど、しない人のほうが多い。
わたしも、そのひとりだった。
メジャーデビューに向けて頑張ったときもあったし、
やっぱり、それが大切ではない、と思っていた時期もあった。
そうして、たどり着くであろう”どこか”を目指して、足掻いていた。



140日間、いろんなことがあった。
書くことがしんどい、と思う日も多かったけど
それ以上に、たくさんの出会いがあり、
押していただいたハートマークに、後押しされた。

細分化すれば、どこかにたどり着いたのかもしれない。
それは、ポケモンでいうところの「新しい技を覚えた」みたいな感覚で、
ピカチュウがライチュウに、ヒトカゲがリザードンに進化するような、
圧倒的な”どこか”と呼べる場所では、ないような気がしている。

そしてその”圧倒的などこか”は、自分で設定するべきだった、と思う。
メジャーデビュー、みたいに。
そういうのを設定しないで、「いつか、なにか」と思っていても、それは「いつか宝くじが当たりますように」って言っているのと、同じだった。
本当に当たればいいのだけれど。



それでも、と思う。

それでも、「たまに読んでるよ」と、友達に言ってもらえて
あなたの日常に、少しだけまぎれこんで
わたしのおしゃべりを聞いて、ちょっとだけでも心が軽くなったのならば
それでいい。
それが、いいのだと思う。

全部読めない、でいい。
あなたが次に、わたしのnoteを訪れたときに、
わたしは次のおしゃべりを、用意しておく。
読みたいものを、いくつか読んでくれたら良い。
今日はたくさん読みたいな、という日は、490記事あるからさかのぼって欲しい
190記事くらいはピアノだし、あんまり古い記事は読まれると恥ずかしいけど
自分で読み返して、リライトしたり消したりするまでは、しばらく置いておくよ。



元気だよ。
わたし、元気だよ。

手紙に書くように、元気だと言うよ。

あなたと同じように、悩むこともある。
このままでいいのかな、と思ったりする。
無職なので、日々の忙しさに忙殺されることはないけれど
ふっ、と足元が暗くなるような錯覚に、陥ることがある。

それでも、
日々のささいな出来事に彩りを添えて、あなたに話す。
案外、日々は悪くないもんだ、と伝える。

クッキーを一枚かじるだけで、
ジュースを一本おごってもらえるだけで、
あなたに手紙を書くだけで

ささやかなそれだけで、
わたしの暮らしは、ゆたかになる。



臆病なわたしは、”どこか”をまだ設定していない。
まだ、ふわふわとただよっている。

それでも、
まだしばらく、このおしゃべりを続けていきたい。

わたしとあなたと、
心と身体の安寧を、願いながら。

この手紙が届いたことを知らせてくれて、ありがとう。

きっと、届いているんだって。
わたしどこかで、勝手に信じていたよ。
前向きなやつでしょう? 笑っちゃうよね。
また一緒に、笑おうね。



【photo】 amano yasuhiro(Twitternote

【model】わたし(げんきです)



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