良い旅を
雑踏の中、わたしを追い越した足に目を奪われた。
ニューバランスだった。
色違いで、おそろいのニューバランスが、歩いてゆく。
*
恋人とおそろいや、色違いの装備をする。
ということを、わたしも昔やったことがある。
それは、「おそろいがいい」と思ってそうしたというよりは
「ソレかっこいいね!」と言ったら、「じゃあ買おうか」という流れだった。
コンバースのジャックパーセル、
レッドウィングのアイリッシュセッター、
クラークスもそうだったし、ナノユニバースでカバンも買ってもらった。
幸福だった。
いま挙げたすべては、恋人に教えてもらうまで知らないモノたちで
新しいものを身に纏うと、自分がアップデートされたような気持ちになった。
でも、ほんとうは知っている。
彼は、「自分の好きなもの」をわたしに与え、身につけさせたかったということを。
わたしの着ていた、いちご柄のワンピースや、猫柄のTシャツが好きじゃなかったということを。
いまならわかる。
わたしは、若紫だった。
でも、幸福だった。たしかに
*
色違いのニューバランスに、
デニムのジャケットが、さっそうと駆け抜けてゆく。
土曜日の、太陽が眩しい朝。
それは、どうしたって幸福そうに見える。
わたしはそれを、見つめる。
羨ましい、とか
懐かしい、とか
憎らしい、とか
生まれてきそうな感情はいくつもあったのに、
わたしが抱えたのは、たったひとつだった。
“すてきだね”
それはもう、わたし自身は別の世界を歩いていることを意味している。
もう、おそろいのスニーカーを履けないことや、履かないことを、寂しくも懐かしくも思わない。
そうなりたい、とも思わない。
思い出に、胸を焼かれたりもしない。
ただ、確かに幸福だった。
あなたとおそろいのスニーカーを履いていたその瞬間の感情は、
消え去ってしまっても、偽りはなかった。
だからきっと、目の前のスニーカーも、幸福な時間に向かって蹴り出しているのだと確信した。
そうあって欲しい、と勝手に願った。
すてきだね、良い旅を
ほんの少しだけ祈って、ふたつのスニーカーを見送った。
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