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記憶は、くらやみを照らす灯りとなる

このあいだ、イケメン風な渡され方でピアスをもらった話をした。

※(該当記事)
わたしがトイレに行っているあいだに、「かわいい」と言っていたピアスを買っておいたくれたはなし

あれから1年経つけど、
いまでも、”手に取るように”思い出せる。
あの夜のおみやげコーナー、
くだりのエスカレーター。
わたしはびっくりして、もらった紙袋を、一度落とした。

「わたしは今年の夏、あなたの霊圧を感じながら過ごします」と
プレゼントしてくれた当人にも伝えたら、こんな風に返事が来た。

や、忘れるくらいでちょうどいいからwww
タバコとか吸いながら、そういえばこれ、誰からもらったっけ??くらいでいいよ!笑



人生に於いて、贈り物をもらう機会がある。
わたしは、それが人より多いタイプかもしれない。
頻度こそ減ったけど、20歳くらいのときから現在まで、友達からお下がりの洋服をもらいながら生きている。
むかし、「なぜだか何かものを与えたくなる」と言われたこともある。

洋服については、「自分で買ったもの」と「ソレ以外」の区別は大体つくのだけど、
ほんとうに、前述の言葉通り「誰からもらったっけ?」と思うものもある。
花柄のワンピースとか、かわいいニットとか、みんなが好きそうやつは、わからなくなる。
わからなくなってしまったら、二度と思い出せない。


ときどき、ずっと覚えているものもある。
きっと、このピアスのことも覚えていくのだろう。
あの夜のおみやげコーナーと、下りのエスカレーターを忘れても。
きっと、
記憶のいくつかは、わたしに根付いてゆく。



この懐中時計は、良い例だ。
受け取ってからもう、10年近く経つ。

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ライブの当日に、ギタリストのインフルエンザが発覚して欠席。
勤め先での企画ライブ、2バンド出演。
プレッシャーと混乱を極めた、そのとき

わたしの出番の前に歌ってくれていたその男が、眩しかった。
この男の眩しさに、わたしはいつも救われてきた。
今宵も、わたしは一方的に、この男に救われる。
同じ光の中に、わたしも立つのだ。
でも、今日だけは助けて欲しい。

「それ、貸してください」
当時は、敬語とそうじゃないのが混ざったような口調で、話しをしていたと思う。
詳細は覚えていないけど、「貸せ」と伝えた。
その懐中時計を首から下げて、無事に2ステージのライブを終えた。

返すと言ったときに、「あげますよ」と言われた。
混乱したまま、わたしは懐中時計を首から下げて帰った。
そののち、「いままで君には助けてもらってばっかりだと思っていたけど、このときは助けになれたような気がしたから」みたいな風に説明された。



このときからわたしは、ライブのときに懐中時計を欠かさない。
「あんな苦しいライブを乗り越えたんだから」、と言い聞かせる。

あれから、企画やワンマンライブ、バンドへの加入や活動停止など繰り返してきた。
いちばん大きなステージでは、ZeppTokyoまで連れて行ってもらった。

この時計は、10年前の眩しさを頼りに
乗り越えてきた、苦しいライブの記憶を閉じ込めてある。
わたしは何度も思う、
「どんなに苦しいライブも、何度だって乗り越えたんだから」



生きてゆくということは、
地上に縛り付けられる理由が、増えるということだ。

そんな風に思ったのは、10代の頃だったと思う。
言い方が皮肉染みているので、いまよりうんと若いときの話だと思う。
いまなら、もうちょっとマシな日本語を使える。

それでも、感覚は変わっていない。

君があの夏にくれたピアス
記憶を封印した懐中時計
一緒に買物に行っときに買ったTシャツ
かわいいねとはしゃいで買った、おそろいのネイル
お気に入りだけど捨てられない、と言って譲り受けたパーカー

君が好きだから、と言ってくれたハリボーのグミ。
あれ、ほんとうはね
わたしの好きな人が、好きなグミだったんだよ。
「これがいちばんだ」って笑ってたから、
わたしも好きになったんだ。
10年以上前の話だけど、いまでも覚えているよ。



いくつかの記憶は、わたしに根付いてゆく。

かつてはそれに「縛られている」なんて思っていたけれど
いいじゃないか。
「支えられている」のだ。
眩しさとかやさしさを、詰め込んで

そうして、
これから訪れる暗い夜も
わたしは、一筋の灯りを信じて、生きてゆけるのだから。






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