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冬、あなたに伝えたいこと

冬はあたたかい、と言っていたひとを、わたしはいまでも好ましく思っている。
町田駅の地下、だったような気がする。
記憶はうすぼんやりで、でも冬で、たぶんスタジオに行くときに通る道で、お店からの暖房がぶわりとわたしたちの頬を撫でた。
冬はあたたかい、と言って、君は笑っていたような気がする。

冬のあたたかなベッドに、わたしは埋もれている。
夏とは圧倒的に異なる幸福感の中、静かに息をしている。
ああ、もうどこへも行きたくない、と思う反面、どこへでも行けたらいいのに、と願っていることに、気づいている。
それは、「どこへでも行ける身体ではない」と自覚しているということだった。
じんわりと、重たい。
「強い倦怠感」というものを、この病気になってからはじめて理解した。
今日は仕事を休んでしまった。どうしても会社に行けなかった。
明日は会社に行きたい、と思う。仕事とか、会社に行くことが好きなわけではないけれど

冬は、あたたかい。
あたたかな毛布と記憶を抱きしめながら、わたしは友達からの手紙を思い出している。
心と体は繋がっていない、と言って笑っていた彼女のことを。

しかし、体ってふしぎよねー 心と体が仲悪いといいますか。
「来週から働けるかな?」なんて思ってたら、体は「いや無理ですけど?」ってマイペースでやってるし
もう今年いっぱいのんびりしようや…って決めたら「治りましたけど?」って、しれっとしてるし。
本当お前なんだよって。
まじめんどくさいやつだなって。もっと連携しろよって

「心と体は繋がっている」というのはよくある話で、わたしもそれを噛み締めながら生きていたりしたけれど、「繋がっていない」というのは斬新だな。
そして彼女の言う通り過ぎて、わかりみが深すぎて、わたしは大いに笑ったあと、少し泣いた。
わたしの知る限り健康なこの友達も、昨年療養を余儀無くされた。

心と体は繋がっているときもあるし、そうじゃないときもある。
近頃は、そんなふうに思いながら暮らせるようになった。
頑張りたい気持ちひとつでどうしようもならない朝も、必ず訪れる。

「当欠してすみません」と上司に告げたとき、彼女はほがらかに笑った。
「自分の体調をコントロールできない。またいつ仕事に来れなくなるかわからない」としょげているわたしに、「だいじょうぶだよ!」と力強かった。
「大丈夫じゃないときには、大丈夫って言えばいいから!」
そしてしっかり休んでください、と。

わたしはこのあとの人生で、いったい何度眠れぬ夜を過ごすのだろう。枕を濡らすのだろう。
動けない、動きたい、動くべき、休みたい、休むべき、うまく判断できなくて苦しいときは必ず訪れる。

ただ、変わらないことがある。

友達が、上司が、わたしに
そしてわたしがあなたに伝えたいことは、「無理をしないで」ということ。
無理かどうか悩んだら、いったん休めばいい。
わたしは仕事を休んでごめんなさいって思うけど、誰かが仕事を休んだら「おだいじに。ゆっくり休んでね。むりして来ないでくれてよかった」って、必ずそう思うから。
悪いことをしたら謝ることは大切だけど、わたしの中の罪悪感という思い込みは、いつも勝手に膨れ上がっているだけで、周りはあんまり気にしてないのだ、と思えるようになった。

だから、だいじょうぶ。
そう思って今日も、冬のあたたかさにくるまれて、目を閉じることにする。



【photo】 amano yasuhiro
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