【大学生のとき、やっておけばよかったこと】 37歳のわたしから、過去と未来のわたしへ
Xっていうのは、不思議なやつである。
あれを見ているあいだに、本を読んだり、洗い物をしたり、
何よりベッドやソファーから起き上がって行動すればいい、と百回は思うのだけれど、なかなかうまくいかない。
自分のコンディションが良くないときでも、不思議と短い文章ならば読める(読んでいる気分になれる)のである。そして今日も、SNSの海をさまよう……
「SNSをダラダラ見るのはよくない」という気持ちになることも多いのだけれど、こうして良い言葉との出会いもある。
「学生のうちにやっておけば良かったこと」
これは、問い掛けられなければもう、思いを馳せたりしないことだなあ。と思って。勝手ながら少し考えてみることにしたのです。
即答、勉強
ミツルさんのポストを見て、最初に思い浮かんだのが「勉強」
まずは、勉強。
ついこのあいだ、大学の同期とも「勉強しとけばよかったね〜」と話したところ。
勉強、しなかった。
学科の成績を、下から何番目かで卒業した。
今でも、単位が足りない夢を見る。
高校生までは、勉学は比較的に得意(周りから、「勉強できる方」と思われていた)タイプだったことは、もう記憶の彼方。
こうして改めて言葉にすると最低だなあと思うのだけれど、勉学が苦手ではないわたしが、自分の学びたい大学を決めて入学したのに、全然勉強しなかったのである。
これについては当初の目標と、自分が求めているものが異なるとか、いろいろ言い訳はある。けれども4年間の最後まで「勉強を頑張ってみる」という方向に傾かなかった。成績は、悪くなる一方。
授業が楽しくなかったのか、授業以外のことが楽しかったからなのか
あるいは自分がただ、怠惰だっただけなのか、もうわからないけれど、ひとつだけ言えることがある。
「勉強をしろ」なんて響かない
もう、絶対にそう。間違いない。ハイパー自信がある。
あの頃のわたしにそんなこと言ったって、絶対に聞きやしない。
答えは、「うるせえババア」である。
あの頃はなぜだか自信に満ち溢れていて、疑うことを知らない、勘違いスーパーマンだった。他人の言うことなんか絶対に聞かなかった。「あたしはそんなことしなくたって大丈夫」って思ってた。
勉強なんかいつでもできる、と言ったらその通りである。
37歳のわたしは、今からだって勉強できる。でも、記憶を持ったまま大学生に戻れるならば、絶対に勉強するよ。
知ることは、面白い。いま、そのことをじんわりと実感しているのである。星も空も海も色も、本当はひとつずつ知りたい。大学できっと、そういう授業もあったよね。
授業は「単位を取るためのもの」になってしまっていたから
いま思えば、大学の授業って「こんなにオモロイこもあるんやで」っていうのを、専門家の先生が教えてくれたわけだから、こんなに有り難い環境はなかったというのに。
今持っている環境が、どれほど素晴らしいかだなんて。おとなになったってわかりゃしない。「失わないと気づかない」って言葉に、よよよと泣いちゃったりするわけだから、今でも。
だから言わない。
今のその無敵さを、余すことなく大切にして欲しい。
大学生のわたしに、伝えるならば
ソイツら、18年後も友達だぞ
18歳のわたしよ、よく聞いてくれ。
勇気を持って、軽音部に入ってくれてありがとう。
今知りあったソイツら、まだ仲良くないかもしれない。
現在は「ナマエ」と呼んでいる先輩のことを、当時は「ミョウジさん」と呼んで敬ったりもしていただろう。
いいか、その「ミョウジさん」が、未来のわたしの親友になる。
そんな「親友」と呼べるような人たちに。君はその春、出会っていたんだ。
Vtuberのことを教えてくれたのは、今は名前で呼んでる「ミョウジさん」
去年、スガシカオのライブに一緒に行ってくれたのは、同じパートの友達で、大学時代はそんなに話さなかったかもしれないね。
しんどいわたしを引っ張り出して、ワークショップに連れて行ってくれたのは、最初にライブハウスまで引っ張ってくれていったあの子
他にも、たくさん、たくさん……書ききれないくらいにわたしを支えてくれたのは、みんな、大学時代のツレだよ。
今もまだ、うちに遊びに来る。
64は捨てちゃったけど、いまでもマリオカートとか、マリオパーティーとかやってるよ。コナンの映画も一緒に見に行くし、未だにLINEでワンピースの話とかしてるよ。
君は本当は臆病で、不安で、情けない人間で、それを見栄を張って強がっているだけだってことを、そこにいる友達はみんな知ってくれている。それでも、わたしの良いところをたくさん見つけてくれる。
付き合いの長さが、友情の深さに比例するとは言わない。二十代のわたしにも、友達はたくさんできた。
でも、大学生の頃のわたしを知っている友達っていうのは、その次代に知り合った人だけ。36歳時点で、人生の半分を共に過ごした人は、大学時代の友達だけなんだよ。
だから、勉強は後回しでいい。
友達とゲームしたり、バンドやったり、何もしなくても部屋でゴロゴロする日常を大切にして欲しい。
そいつらと18年後、同じように部屋でゴロゴロしたり、ゲームやったりすることで、ハイパー救われている。
「できない」と「やったことない」を混同しないで欲しい
運動は苦手だけど、なんとなく勉強はできる。周りから頼られる。物分りの良い、わたしはなんとなくの「いいこ」だった。
「得意なやつは最初から得意」って、いろんなこと諦めてない?
「勉強ができる子」「運動ができる子」って棲み分けされて、それは覆らないと思っている。
そして、「いいこ」のわたしは、常に優等生でいなければいけない。
だから、できそうなことを無難にこなしてばっかりで、新しいことに挑戦するのが苦手だったね。
「できない」と「やったことない」を混同しないで欲しい。
子どものころ、逆上がりも二重跳びもできなくて、すっごく恥ずかしかったよね。わたしにとって、できないことは恥ずかしいことだった。自分なりに努力もしたけれど、できるようにならなかった。
おとなってのは、むやみに周りを笑ったりしないもんだ。
友達ってのは、挑戦を喜んでくれる存在だ。
たぶん君は得意なことなんて少ないタイプだから、最初からできることは少ないと思う。「注意されること」と「否定されること」は違う。そのことを理解して、間違えたからって落ち込まずに、もっといっぱい失敗して欲しい。
わたしは今でも信じられないけれど、「やったことがない」の中に、得意なことがあった。
洗濯とか掃除が、思ったより好きだったんだよ。いま、床を歩ける(床掃除をする面積のある)部屋に住んでるんだよ。信じられる?
やりたいこと、全部やって欲しい
そして、やりたいことを全部やって欲しい。
なんでもいい。バイトでも昼寝でもデートでも引越しでも
いまは東京に出てから七つ目の部屋。
間取り図を見るトキメキを忘れられなくて、不動産関係のアルバイトをしているよ。
友達(やっぱり大学時代のツレ)の内見に付き添って、すごく感謝されたりした。
大学生のころは、「散歩」が夢だったよねえ。
でもあそこは、坂ばっかりで、隣の駅も遠くて。なんだか歩く場所がなくて、駅と学校と家の往復ばかりで、ちょっと息苦しかったよね。
それがさあ、大学を出たあとには、玉学と町田のあいだもひとりで歩けるようになったし、多摩川の水道橋の上も歩いたりしたよ。信じられる?
軽音部で、いろんな楽器を弾ける友人たちを、「すげえな」って思いながら、「わたしには無理だな」って思ってたよね。
あれからずっと、「いいなあ」って思っているんだけど、ギターはまだ弾けない。いつか弾けるようになりたいと思っていたら、18年も経ってしまった。歌は少しだけ、歌えるようになったよ。
こう思うと、大学時代に好きだったものはいまも好きだし、好きなことが仕事に繋がったりもした。
そして、あのときやらなかったことは、今でもやっていなかったりする。
君が今持っている直感を、信じていい。
そしてわたしは、君の直感の決断を、今でもひとつも後悔していない。
願わくば、「できない」ことを恐れないで欲しい。「やったことない」と混同しないで欲しい。「できるようになる」までの時間は長く、過程を楽しめないと思う。しかしそれは、君の性格なので仕方がない。たくさん苦しんでください。
ただ、「嫌いなものが嫌いなまま」なのかは、わからない。
あれだけもらって困っていた花を、今では自分で買っている。
もし何か、「嫌いが好きへ傾く瞬間」があったら、飛び込んで楽しんでね。ずっと嫌いでいなくていいからね。変わってゆくことを、怖いと思わないで。
本当に後悔していること
「勉強しろ」は大学生のわたしに話しても絶対に伝わらないと思うんだけど、「本当に後悔していること」は、もしかしたら伝わるかもしれない。それくらい後悔している。
授業を受けるだけで取れる資格は、取っておいて欲しい
教員、学芸員……いろんな資格を取る機会があったけれど、ぜんぶスルーしてきたね。
ちょっとめんどくさかったもんね、履修が。
でも、「授業を受けるだけ」で取れるのは、すごいことなんだよ。
おとなになったら、何十万も払わなきゃいけないやつが、今なら実質無料なんだよ(ありがとうお母さん)
資格なんて要らない、って思ってたよね。もちろん、なくても生きていける。
ただ、挑戦しようと思ったとき、変化を求めたとき。その資格ってやつが、自分を後押ししてくれる。
おとなの世界っていうのは、資格があると結構便利なのである。
履歴書に書かなきゃいけない、面倒な自分の「長所」や「スペック」を、資格の一部が肩代わりしてくれる。
どうせ将来のこととか考えるの面倒くさいだろうから、だからこそ持っていて欲しい。
資格っていうのは、先々のことを考えている人が取るものだと思っていたけれど、実際はイロイロ考えるのが面倒な人こそ、取っておけばいいのだと思う。
いいんだよ、将来の夢なんてなくって。
でも、その状態で、卒業と同時に社会に放り出されることだけは、知っておいて欲しい。
就職関係のアレコレに、顔だけでも出して欲しい
どうせ就職しないから、と思って、就職関係のイベントは全部スルーだったね。まあ、「就職」という言葉を憎んでいたまであるから仕方がない。
もちろん、大学最後の1年間、一生懸命に音楽活動をしたことは、今でも後悔していない。立派だったと思う。
就職しなくてもいい。
でも、大学っていうのは「就職の選択肢」を無償で学べる最後の機会なんだよ。
世の中には、どんな仕事がある?
接客業だと、想像つきやすいよね。
それ以外の仕事は? どんなジャンルがある?
知らない職業にはなれないんだよ。
宇宙を知らなければ、宇宙飛行士になれない。
大学で「職業」について学ばないと、おとなになってから「やりたいこと」の選択肢が、ぐっと狭まる。だって知らないから。知っていることの中だと、全部自分には合ってない気がしちゃってさ。
君はなかなか賢い部分もあるから、本当はもっと向いている業界とか、仕事とか、あったと思う。
失敗がたくさん許される二十代の頃、無知で当たり前だったあの頃に、いろんな選択肢を知っておいて欲しかった。知ることが、君の勇気になると思う。
それは今、大切なこと
「学生のうちにやっておいたほうがいいこと」って、言い換えると「時間と若さがあるうちにやっておいたほうがいいこと」だと思う。
三十代になって、身体を壊して、時間だけはたくさんあるような日々だったけれど、結局何もしないで過ぎてゆく時間も多い。大学生の頃、「松永爆睡」の二つ名を賜ったわたしは、今もよく寝ている。理想のわたしとはぜんぜん違う。
成長はたくさんするけれど、息はしやすくなるけれど、結局あんまり変わらないかもしれない。
今でも、「Progress」聞いてるよ。
不安はあるけど、不幸ではない
なかなかうまくいかない日々だけどね、最近思うのよ。
不安はあるけれど、不幸ではないって。
今日話したことは、もしかしたら「不安」の部分を少しだけ取り除く武器を手に入れるための手段かもしれない。
そしてそれは、これからのわたしの課題でもあり続けるから
大学生の頃のわたしが頑張ってくれていたら、今よりちょっとマシだったかもしれない。
けど、不安はなくならないと思う。種類の違う不安を、抱えていると思う。
そう思ったら、その不安を一緒に抱えてくれる「友達を大切にしろ」
言いたいことは、これだけだったかもしれない。
これからのわたしへ
ここまでに挙げた「君に伝えたいこと」とか「後悔していること」っていうのは、わたしが今からでも手に入れるべきもので、そこから逃げている部分だと思う。
時間とかお金とか若さとかがあったらできたかもね、むかしやっておけばよかったよね、っていう言い訳にすぎない。
やりたいことから逃げるな
やりたいことをやって、やりたくないことから全力で逃げて欲しい。
そしてどうか、「やりたいこと」「やりたくないこと」の線引きをできるだけ正しく行って欲しい。
いま、毎日1700日以上書いているこのnoteだけれど、最初は書くことが好きかなと思って始めて見て、すぐに投稿ボタンを押すことや、執筆に向かうためにパソコンの前に座ることが苦しくなった。でも今なら言える、書くことが好きだと。
やりたいことの中にも、面倒なことや、自分の中で「向いてないな」と思う作業もあると思う。「やったことない」との混同とかね。
まあ大丈夫。君は不器用だから、どうせ上手くいかない。最初は楽しみだったアレコレも、信じられないくらい爆速で面倒になる。そんな自分が情けなくなる。期待し過ぎて、足取りが重くなる。
でも、「あのときできなかった」て思うよりは、良いと思うんだ。
大丈夫、転んだあとのことは、未来のわたしに任せて欲しい。ずっとそうして、一生懸命で、ちょっと無責任であって欲しい。すべての責任を負おうとすると、宇宙に空気がないことも自分のせいになってしまうから。
この曲を贈るね。
結局のところ、これだと思うんだ。
いやはや、これもう16年前だってよ!??
ぜんぜん、変わってない。変わらずに、この言葉をお守りにここまで来ました。きっとこれからも
何度でも言うけれど、友達だけは大事にして欲しい。
それ以外は忘れていい。
呪いみたいに、胸につかえてくれたらいい。
2024年12月20日
37歳のわたしから、過去と未来のわたしへ
▼今回、ポストを引用させてもらった鍼灸師のミツルさんと書いた記事たち
深呼吸も面倒な怠惰で、虚弱代表のわたしが、「ちょっとしたことで元気になる方法」を問いかけてゆきます。
疲れやすい、やる気が起きない、イライラしちゃう……そんな同士は、ぜひ覗いていってください
▼サムネの写真も、大学時代の友達が撮ってくれたもの。
すごいね、嬉しいね。有り難いね。