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ちょっとうれしいこと

ある夜、わたしは木を切っていた。

というのも、ゲームの中の話。
星のカービィの新作が発表されて、それがとても心躍る内容で、わたしはずいぶんと浮かれていた。
そういえば、今現在の最新作持ってたなあ、と久し振りに電源を入れる。
そう、その夜わたしは浮かれて、カービィに会いに行った。

スーパーファミコン時代からカービィはプレイしていたんだけど、
いや、実際に操作していたのは、カービィじゃなくて、その仲間のほうだった。
あんまりゲームがうまくなかったわたしは、兄の操作するカービィにくっついているだけ。
兄がいないと、うまいこと先に進めない。
それは今でも変わっていなくて、最近は同居人の操作するカービィにくっついていた。

ひとりで何ができるかなあ、と思ってガチャガチャ操作していて見つけたのは、ミニゲームだった。
それが、気を切るやつ。

虫がいたら左右に避ける、という単純な仕組みなんだけど、なかなかうまくいかない。
わたし、こういうの苦手なんだよなあ、とため息。

それでも、やってみようとコントローラーを握った。
いまはひとり、ゲームが下手なところで誰にも迷惑をかけることはないし、見られてもいない。
いいじゃないか、やってみたら。

難易度をいちばん下げて、何度か練習して
「お、案外いけるな」と思ったら、次の難易度へ。
何度か繰り返しているうちに、いちばん難しい状態でも、それなりの成績を残すことができた。

まあそれなり、なんだけど。
ずっと2位だった。

それでも、わたしは満足している。
少しだけ、おとなになれたような気がしている。

そういえば昔は、「こういうの苦手なんだよなあ」と思ってしまったこと、向き合おうとすらできなかった気がする。
へたくそなのは、恥ずかしいと思っていた。

みんなが、すいすいとできるようになる中、わたしはいつもひとり取り残されてゆく。

それが妙に悲しくて、「だったらやらない」と投げ出してしまったものが、どれほど多かったことか。

いまでは、ときどき自分でカービィを操作してみる。
簡単なモードだけ、ひとりでクリアする。
ときどき、弟を仲間に引き連れて、冒険する。
ああうまくいかないね、と笑う。
もう1回やってみよう、ということもあるし、「ここはあとで上手な人にやってもらおう」と言うこともある。

64で遊んでいた時代に「へたくそ過ぎて苦手だった」スマブラも、最近では練習してちょっとだけうまくなった。
あれは負けると悔しいから、昔は嫌いだったな。
いまでも負けるとちょっと悔しいけど、不機嫌になって「もうやらない」なんて言ったりしない。
人より時間が掛かったし、まだまだ人よりへたくそかもしれないけれど、わたしはちゃんと進化している。

それが、嬉しい。

未熟なままでも、「どうせわたしなんか」と思うことを、少しずつ乗り越えてゆくこと。
それは、ゲームでも
部屋を掃除することも
花を飾ることも
毎日noteを更新することも
本当にわたしにはできない、と思っていた。

完璧な人間じゃないから、ずっと失敗していることもあって
ダイエット、とか
新曲を作る、とか
そういうこともあるけれど。

いまは少しだけ身軽になって、
へたくそなりに、いろんなことがちょっとずつ楽しくて、
わたしの日々は、少しずつだけど加速しているようで
やっぱりそれが嬉しいのだと思う。


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