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のび太くんみたいに笑うひと

「ぐふっ、ぐふふふふっ」

文字にすると、かなり奇妙な笑い声が響いている。
これは、我が家で定期的に聞こえる、同居人の笑い声だ。

同居人は、数年前に鬱病をくらっていた。(くらっていた、というのは本人の表現)
家ではとにかく笑わなくなった。
無表情だった。
もともと、「接客業で毎日笑顔で過ごしてるのに、なんで家でも笑わなきゃいけないの?」というのが彼の言い分で、100%納得できるわけではないけれど「い、一理ある…!」と頷いてしまった。

「家は、家族全員の”パーソナルスペース”だから、難しいよね」と言っていた、女友達のことを思い出す。
10個以上年上で、旦那さんと、小学生の娘ちゃんふたりがいる、ママ。
4人の「家でくらいはのんびりしたい」っていうのは、家族であっても噛み合わないところって、きっとあるんだろうなあ。
それは悪いことじゃなくて、当然のことで。わたしは定期的にこの話を、戒めのように思い出すようにしている。

つまりわたしが何を言いたいかというと、「数年前まで、家での同居人の笑い声をあんまり聞いたことがなかった」。これに尽きる。
接客業で、友達の前で、愛想笑いのときも、心底楽しいことも、どっちもあったでしょうけれど、彼は声を大きくして笑う。楽しそうに見える。わたしはそういう笑顔しか、知らなかった。

だから最初、この笑い声を聞いたときには、びっくりした。

「ぐふっ、ぐふふふふっ」

驚いて三度見した。



えっ?
のび太くん??
あなた、のび太くんなの??

アニメ「ドラえもん」の、のび太くんの自室を思い出す。
畳に転がって、漫画を読んで笑う。
あの、のび太くんに笑い声に、そっくりだった。
文字にすると「ぐふふ」とか「むふふ」に近いその笑いは、わたしのボキャブラリーではのび太くん以外に例えようがなかった。

ああ、ほんとうにのび太くんみたいに笑う人がいるんだ。
あれは、アニメ演出上の誇張表現だと思っていた。


こっちが真面目に作業をしていたり、
「今日の記事、なに? もう書くことない??」と焦っていたりするときに、この笑い声が聞こえてくると、イラッとすることもあった。
同居人は悪くない。わかっている。
でも、イラッとしちゃう。わたしだって人間だもの。
広くもない家でふたり、別のことをしていたら、こういうことだって起こり得る。
仕方がない。
わたしは、ヘッドフォンをボリュウムを、そおっと上げてゆく。




今日は、笑ってしまった。
さっきまで結構まじめな顔で「こんなことがあってさ」とか、「いろいろな考えの人がいるよね」とか、話していた。
わたしたちは少しだけ苦い顔で、煙草を吸っていた。

つい10分ほど前は、真顔だったのに。
もう忘れちゃったみたいに、のび太くんの笑い声が聞こえてくる。
あれ、いいの?
さっきのいろいろは、もう話して気が済んだのね?
そりゃあ、泣いたときだって、いつかは泣き止むものだから。
同じ感情が持続しないのは、当然のことだけど。


君が楽しそうでよかった。
今日はそんなことを、記事にしてみたよ。

いろいろ思い悩むことがあっても、
ちょっと時間が経てば、好きなYouTubeやテレビを見て、げらげら笑える。
それって立派な才能だよ。


少し、笑い声が聞こえることに、今日は救われる。
不謹慎だなんて言わないよ。
君が笑ってくれていて、わたしは「なんだよ」って思ったりするけど、
やっぱりのび太くんみたいに「笑ってるくせに、笑いをこらえている」みたいなその顔を見ると
わたしだって、笑っちゃうじゃないか。

悩んでることだって、考えなきゃいけないことだって
きっと、わたしたちにはあるのに。

わたしは、こんな夜に救われながら、今日も愉しく生き長らえている。




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