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となり

あの日のことを、覚えている。

久し振りに、スターバックスに座った。
おそるおそる注文したゆずシトラスティーが妙においしくて、少し泣いた。
「おいしい」という感覚は、夏から旅に出てしまっているので、今はもうほとんど会えない。
それなのに、おいしいと思えてしまったのだから、びっくりとじんわりしてしまった。
わたしはこの午後を、忘れない。

浮かれて、調子が良かったのだと思う。
「16時半まではここに座っている」と決めたのだから、時間はある。
少しだけ本を開いて読んで、それから手紙を書くことにした。

浮かれて、調子が良いと思いたかったのだと思う。
調子が悪くなったら帰らなくてはいけないとわかっていたけれど、まだ帰りたくなかった。
でき得る限りの全力で、わたしは今日という日を愉しみたかった。

それでも本は少ししか読めなくて、ポストカードの半分で手が止まってしまった。
いままでなら「ポストカードじゃなくて手紙にすればよかったな」なんて思いながら
最後の文字が小さくなってしまっていたのに。
なにを書いていいのか、わからなくなってしまった。

あなたに会えて嬉しかった。
そのことを伝えたい。
いまはうまく言葉が出ないけど
山の上のスターバックスで、わたしはいま、あなたを想っているのだと。

それは、ずいぶん拙く身勝手な手紙になってしまった。

もし、もう少し冷静だったならば、この手紙は送らなかったと思う。
わたしは一度だけ窓の外をぐるりと見回して、深く息を吸った。
だいじょうぶ、許してもらおう。
うまく書けなかったけれど、あなたならきっと、
笑って許してくれるだろうって。

今日、ポストを覗いたら白いポストカードが入っていた。

小さな窓から見える文字で、差出人を理解した。
筆跡っていうのはみんな違って、すぐにわかる。
わたしはいつも、安心してしまう。

白くて、上品な紙にきらきらの箔押し。
それはあなたが好きなもので、わたしの好きなものでもあった。

いつもは、ひとつ前の手紙の内容なんて覚えていない。
でも、わたしはあの日のことを覚えていた。
甘えてしまった午後のこと。

何でもいい。
たったひとことでも。

その言葉に、心臓がぎゅっと掴まれた。

楽しいでも、苦しいつらい悲しい嬉しいでも何でもいい。
たった一言だけでも。
これからも、あなたがその時感じていることを教えてください。
遠くて、それでも近い場所でそれを受け止めるから

手紙には、そんなふうに書かれていた。

うまく話せなくてごめんね、と事前に伝えてあった。
病気にかかってしまってから、以前と同じようにしゃべることが少し難しいのだ、と。

長時間話せないかもしれない。
そして会ったところで、具合が悪いとか、治療が痛いとか、通院が大変とか、そういう話しかできないかもしれない。
そりゃあ少しはおどけて、「鼻に綿棒入れるんだけど、それが10センチくらいあってさ」「味覚がないのに漢方の味がまずいのはわかるの」くらいは言えるかもしれないけれど。

わざわざそんなこと話しても、と思っていた。
だから約束もあまりしたくない。

でも、会いたい。
なにひとつうまくできないかもしれない。
一緒に食事をすることもできないどころか、コーヒーだって飲めない。

それでも、会っていいかな。

そんなわたしへの答えだった。
会えてよかった、というのと
ひとことだけでも、なんでも
その時に感じていることを、伝えても良い、というのは

わたしは確かに許されたのだ、と思う。

そしてわたしも願っている。
友達には、そんなふうに話して欲しい。
オチがなくても、楽しい嬉しいだけじゃなくても
惑うときに、言葉と誰かが必要ならば
どうか、話をしよう。

言いたくないならそれで構わない。
でも、「言わない」なんてそんな
寂しいこと言わないでくれよ、って。

わたしはきっと、友達にそう言うよね。
そしてわたしの友達もきっと、そんなふうに言ってくれる。
だからいまもなお、友達って呼んでいるんだ。

手紙は、北海道から届いた。

あなたは今日も、わたしの近くにいてくれているのだ。と思う。




※手紙を書いた日の日記






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